2006年6月8日木曜日

break順延

第1にたまっていた小説を読みたかった。これはすんなり。第2にジャパネスク以外に実務としての仕事に集中してみたかった。こちらはそれなりに過ぎるかと、拍子抜けしかかったが、伏兵あり。イメージサイエンスの若いプロデューサーからの唐突な依頼が、その伏兵となった。依頼内容より、むしろ依頼のスタイルに感じるものがあった。本腰入れる気分にさせられた。このあいだCの件で会ったOもなかなかよかったし、こんどのWも輪をかけて骨がありそうだ。週末前までブレークと考えていたが、週明けまで延長。週末に全力をあげてみたい。ため息つかせてやりたい。そういう気分にさせられる真摯さがあった。

2006年6月4日日曜日

break


ヒートアップしてきたので、しばしブレークとします。
ほぼ寝ても醒めても状態で、かなりきつくなってきた。
あとはバラバラに撮った素材を概観すればOK。かな。
はるばる五年ともたったの五年とも…

予想通りの“宝の山”であったことは、しっかり確認できた。
しかもなお、この“宝”は増殖中でもある。
ちょっと休まないと、パンクしそうなので

No.84 な、ら、く。6.4

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06.6.4荒編 
place;吹割れの滝

奈落越え撮影直後のwebメモから++++++++++++++++++++++
2005 07/29 01:01「奄美越え奈落越え新宿砂漠」
出がけにメールをチェックしたら嬉しいメールが一本。古河の田中さんから。続けて空環研究所の田中さんからも。この二人の田中さんのメールで元気が出た。ウナギを喰ってから広尾の地下へ。陰影のある音世界ができあがりつつあった。作業を見ながら、ナレーションに手を入れる。青木菜なさんが来たので相談。録りながら様子を見ることにし、本番。ひさしぶりに気持ちのいいナレーション録りを経験。うんざりするような改悪ゼロは何年ぶりのことか。チェックを兼ね、青木さんと通しで見た。笑って欲しいところで反応してくれるのを斜め後ろから見ながらホッとした。青木さんは、しかし凄いな。いままでチャレンジしなかった世界の可能性を感じさせてくれる。合う合わないのとてもはっきりしたキャラクターだけに、貴重だ。榊原さん以来の幸運なのかもしれない。さらに夜になって澤本さんからメール。滝の撮影の日、おれが奈落越えなどとばかり書いていたから心配になったらしく現場を見にきていたらしい。そのときの写真が貼付されていて、そのポイントはおれたちが狙った場所とたがわなかった。ちよっとしんみりさせられた。さて、ここからは砂漠の時間。新宿砂漠の時間となる。

2005 07/26 01:45「この場を借りて、一本締めといきます。」
ましこです。
夏の名残の奈落越え、勝利しました。
あんな奔放な水のありようを、
まだ誰も見たことがない。
25日午前5時、雨 午後5時、雨
この12時間で、奈落を越えたよ。
あんな場所にクレーンを据えた特機部のくそ度胸と
そこまでして撮ることにこだわった撮影部と
奈落にサラウンドマイクを突っ込んだ突撃録音隊と
連続徹夜に目の下のクマを倍増させながら
無理難題に応えつづけた若き美術部の美青年若林君と
押し寄せる観光客の波を最後までもめることなく捌ききった制作部と
トイレもない120段余の急階段の現場にもかかわらず
笑顔でがんばった29歳と9歳の母娘と
ヤマユリをあのがんばっている母娘の手に飾らせたいという
ヒゲ男ワタナベの申し出にワタシは見なかったコトにしましょうと答えた
利根町役場教育委員会のお目付け役人の
上州からっ風に育てられた大岡裁きと
降水確率、台風近接の予報をものともせず、
goの英断をくだした川田&相馬プロデューサーと
異常なまでの愛嬌とやけにでかい握り飯と魚肉ソーセージを届けてくれた
元美人の中年女将と番頭さんにも
愛をこめて感謝を捧げたい。
もちろん、はるか離れた奄美にあって
7号の北上を抑えてくれた畏友にも深謝。

みなさんのわけのわからない情熱と遊び心の勝利です。
ニッポンの“夏の水”を、ゲットしました。
ありがとう。そして、おつかれさまでした。
この場を借りて、一本締めといきます。
いょぉっ!

           2005.7.26 am1:30 T.M