2010年11月4日木曜日

11.1午後のもうひとつの気配

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1日の夜景スタンバイまでの空き時間に撮った「なつかしい川のある風景」と同じ場所で撮ったものと、少し手前の空き地で撮った街の遠景を合わせ、あかりやがくれた♪bird2タイプをずらしてあてた。その日、不安定な大気の状態が、こうした2つの表情を、ほぼ同時に見せたのだと思う。これもまたひとつの【sunset】。これで均衡がとれた?

ゴマカシテイタノカ

あたった。と、思った。われながら凄えな、とも。で一夜。リアクション、ほぼゼロ。あったひとつも俺の想定とは解釈が微妙にずれていた。どうも、はずれているらしい。もういちどwebムービーをチェック。夕べほどの興奮は去ってはいるが、やはり悪くない。しかし反応がない。おれの視点と、周囲の視点にズレが生じはじめているということ。通じなくなってきた、ということ、か。秋の夕日は、つるべ落としというが、あるいは俺は、その落日。13日戦争などと、意味のないもっともらしさをことさらに強調しながら、自分の劣化をゴマカシテイタノカ。賞味期限切れ。この無響は、しかし、こたえた。1時に銀座で、初顔合わせががひとつ。3時に新宿でこのあとの撮影打合せ。初顔合わせに、どんな表情を浮かべていけばいいのか。途方に暮れる。


19:00
出がけに10分あったので禁を犯し美術Oに電話。OK。ホッとし、銀座へ。ビルはあっていたが階数をまちがえ行きつ戻りつしつつ、たどり着いた。初対面だが、そう思えない雰囲気のひとだった。オリエンシートを見せてもらう。クライアントは想像どうりだった。時間さえあれば、たぶんはまっていた、そう思った。Japanesqueのことを話し別れた。気持のいい顔合わせになったと思った。新宿へ。40分ほどあったので缶コーヒーを買ってきてもらいクルマの中で時間を潰した。5分前に23階へ。吹き抜けで、落ちたら一発だなと想像しながら時間調整。と、声をかけられた。一瞬わからなかった。設計部のTさん。ひさしぶりだった。会う度に美しくなってるなと、後ろ姿を見ながら。撮影部Nに電話。恥を忍んで問いただす。OK。これで二人目。時間。向かおうとしたら宣伝部のKさんに声をかけられ案内してもらう。プロデューサーが来ていなかったので座って待っていたらMさん。立ち話。とても褒められる。飼い主と久しぶりに会えた愛犬のような気分。OK。これで3人。3人目は総責任者。タガがゆるんだ。ため息つきながら座り込んでいるところにHさん。うながされ打合せルームへ。23階で会ったの4人ともすべて女性。なんだか秘密の花園に迷い込んだようだと幸運をふり返っていると、どかどかとプロダクションご一行が…
寝起きの40分は、しかし奈落の底だった。考えてみれば、夕べの今朝。あたりまえのいつものことではあるのに、なぜかひさしぶりに焦れた。Oの声音もNの声音も、まっすぐだったので解消したが、なぜあんなにぶれていたのか、ちょっとふしぎ。それにしても顔寄せて「よかったすごく」とささやかれた瞬間は、アタマが真っ白に。外観を見せない、いきなりダイニングから、1カットの異常な長さ、3分30秒で9カットなど、文法破りばかりのまとめ方をしただけに、担当者のこの感想はなによりだった。先のことはともかく、達成したのだと、実感。そのあとの2つの打ちあせもはずむような気分で対応できた。外に出て、湯治部に8日からの第二陣開始をメーリング。こんどは13日ではなく正味2ヶ月の長丁場。同時にJapanesque/サンセットシリーズの具体化と「うつくまし相聞」が重なる。さらに年末から夢テアトルがオーバーラップ。寝起きは、どうしてもOKの連発を聴きたかった、そのわけがたぶん今後の展開に。メーリングを出して7分後にNから「撮影部スタンバイ」と返信。これが、奈落からはい上がった午後から夕方にかけての顛末。




銀座は、【可能性】と【可塑性】。
新宿の2つの打合せは【深化と拡大】そのもの。
それともう1つ。これは余談ではあるが、A経由でバレていた(苦笑)。
苦笑と書いておくしかない。戻って内容を確認。これは、まずいだろうと思ったが
文字通りの後の祭り。なかばは仕事を突破していくために書いたはず。
俺には、ギャラのほかに【理由】が、要るのだ。
いや、【理由】を見つけられると、先に向かう力が湧く、か。
それが、そのまま理由だった。はず。
ふたたび読み返す。
これは、弁明しようもねえなぁ。
とも。


ま、書いてある通りだった。
行間も字間もない。あきれるほど、そのまま。


仕事のバネに転化するしか、ない(苦笑)。
赤面。が正しいが。







2010年11月3日水曜日

ひとは、家にかえってゆく。

ショートムービーをつなぎながら、涙があふれとまらなくなった。やべえなぁと思いながら手嶌蒼の♪家族の風景を仮あて。さらに、あふれる。「ひとは、家にかえってゆく。」七年間、日英中三カ国語versionのラストをしめた一倉さんの一行。よほど入れようかなと迷いつつ、さすがにOK出しだった、とやめた。ひとの数だけ、人生がある。うれしい人生もかなしい人生もくやしい人生もゆめのような人生も、どれもあなたの、あなただけの人生なのだ、と、耳元でささやいて肩をそっと叩いてやれたら…そんな一本をつくりてえなぁ、と夢想していた。古河の四季篇は、そのひとつの答えだと思っている。が、答えは多彩。ひとの数だけ、異なっている。そんなあたりまえのことに、今夜あらためて気づかされた。だから、おもしろいんだろうな。仕事も人生も。YouTubeにupするのに1時間あまりの表示。20分でつないだものがレンダリングで1時間。webへのupに1時間。なんか間尺に合わせない気もしますが、おかげでティッシュ一箱、空にしただけで終わりそう。さてみなさんが、おれのような反応をするのかどうか。どうでもいいけど、すこし気になる。公開マスターベーションしちゃっているような思いもいくらかはあるので…ま、いいじゃねえか、とも。


22;00
メーリングの終わりにコピー。公開マスターベーションは削除。さすがにクライアントも読むわけだからと自粛。時間が経つと、興奮が覚めていく。それが悩みのタネ。さまさず、さめさせず。その塩梅が、な。13日戦争と書き、閉じるとも書いたが、実際の曲折は、ここからはじまる。グラヴィス、静岡、三田もだが、なんといっても企業PR。一倉さんとのガチンコ。今日の一宮shortは、その予行を兼ねた。昨日の川の風景を明るいトーンでまとめたのもそのため。5日の梅田次第で本腰となるか流すことになるのか判明。ま、スタンバイOKとしたい。現状、何でも来いの心境に。13日はダテじゃない、と言い聞かせておきたい。怠惰なおれに。では、揚令伝最終巻とハワイコナとタバコを手に風呂に入る。長岡推薦のクナイプ。今夜はワコルダー。長湯用iPodは♪別れのブルースをエンドレスで。

山家流【無呼吸移動】

素材のOKだしが終わり、レンダリング中。「七人の小人スタイル」と現場の思いつきで笑ったけど、じっくりチェックしてみても正直、どこで誰が何をどうしたのか見当もつかない。ベースで見ていてNGの瞬間に床にはいつくばったスタッフがちらっと見えたから想像できたようなものの…特機もさることながらカメラマン自身も相当めんどうなことをしている気配がカメラマイクを通して伝わってくる。ムービーでしかできないカット。というしかないな。トリッキーさではなく、ね。余分をギリまでフレーム単位で切ってみたけど、それでも60秒を2秒こえていた。4段階のクランク、そのあいだフレームレベルのぶれもなし。その場の工夫にしてはというより、事前に時間をかけてリハを重ねたところで出たとこ勝負だろう。それにしても6月の古河まビー・サイエで【無呼吸移動】と名づけた超スロー移動を山家さんにお願いし成功してから、徹底して【スローリビング】用に使ったけど、あたりだった。山家さんがスキューバダイビングの達人という情報がなければ頼めなかったけど。ひと足おさきにと暮れなずむ一宮で別れ、東海道を戻って今日は仙台の現場に行っているはず。おれはあの人に雪崩事故の時、助けられたのだ。それなのに「呼吸しないでガンバレ」なんて無謀な注文をつけて、すこし反省。

七人のこびと作戦成功の夜に

品川でスタッフと別れ、改札の手前で志賀さん達とも別れた。どこかに座って休みたかった。泣きを入れるが、疲労困ぱい。くたくただった。ベンチを探した。ない。休むためには、新幹線の構内に戻り、あの無味乾燥をカタチにしたような待合室を目ざすしかない。で、あきらめコーヒーショップに。JRは、いつのまにかあちこちからベンチを取っ払い、人間をなめ切ったようなどこにいっても金太郎飴のごとき駅の光景をつくってしまった。新幹線の座席はしんじられないほど窮屈だし、3人掛けの真ん中など冗談としか思えない。ため息を百くらいつきながらくそまずいコーヒーを飲んだ。タバコを3本。奄美の暴風雨と台風14号並走と10℃を切った真冬日と昨日未明の東京大雷鳴と竜巻と突風被害…21日から今日2日までの13日をふり返った。金沢、博多、尾張一宮。いずれも一睡もできずもんんとしながら本番を迎え、乗り切った。家に戻り、熱いシャワー。気温は低いようだったけど、身体の芯に熱いものが居座って離れず。さましているところに渡辺から電話。素材を持ってくるという。明日にしようと言いかけ、コトバをのみ込んだ。長岡から渡された撮影データをのぞみの最前列で電源を取り名古屋からずっと変換しつづけていた。品川に着いた時に保存が終わらず、降りずに東京駅に。その渡辺が届けますからというのだから、いいよとはさすがに言えず。おれもまた、ちょっとでも確かめたい気持が。で、昨日1日のスタンバイ中に撮った「まち」の一部を2分あまりにまとめる。金色のすすきのカットをmotion/pictureとして1シーンでいこうと思ったが、ふと気が変わった。足もとに咲いていたオレンジの名も知らぬ小さな花と淡い紫の花、昭和の風景のような1カットを追加し、雲を添えた。川音だけでいってみようと思ったが、手嶌の「家族風景」をあててみたくなった。iTunesからあてる。後半を1分カット。おだやかでなつかしくてなつかしくなるような「金色の時間」が見えた。どこにでもありそうなあらためて見つめることもないような変哲もないまちのかわりばえのしない川の姿と古びた街の光景。きのう、なぜ、ぼくたちがあの光景に魅かれ、むさぼるように収めていったのか、自分の胸の底にある何と共鳴しあったのか、わかったように、思えた。仕事の成果は、明日にまわしたい。これからとろけるような夢も見ない眠りをむさぼり、カラダの痛みが消えていたら、魂を込めて今日の成果を切り出したい。だから、やすらかな眠りのために、今夜は「川のある風景」だれもが目を閉じると思い浮べるような、なつかしくちよっとせつなく美しいショートムービーを、まず13日を戦えたおれ自身にささげてやりたい。それからたぶんこの時間には家にたどり着いたはずのクルマチームに、さらに尾張一宮で後始末のために居残った美しく食欲旺盛なひとりの女性と数人の森の小人たちのような美術チームにささげたい。26人のすべてがそれぞれの場所でやすらかで満ち足りた眠りにつかれることを祈りつつ。愛こそ、すべてだ。

2010.11.2夜 T.M拝


※11.311時追記
OKだしをしながら「七人の小人作戦」という名のきかっけのカットを繰り返しチェック。
うまくいかないだろうという前提というのもおかしいけど
もし、すべてがうまくいけばと、という申し合わせで試みたシーンだった。
床に何人のスタッフがはいつくばってたのか不明だが
なんど再生しても仕込みの気配はゼロ。
動感と期待感にあふれた素晴らしい移動シーンになっていた。

七人の根拠は、こうだ。
カメラマン、撮影助手、特機二人、床這い二人、制作。
この七人の呼吸がちょっとでもズレていたらNGだった。
約60秒の無呼吸移動。おみそれしました。

知るかぎり、4人が目撃した紅蓮。

その真っ赤な火の玉のような夕日に気づいたのは抜けにわずかに見えている空の青が消えるまえに撮ろうとスタッフがしゃかりきになっている時だった。テラスの端でふと目を上げたら屋根の間に沈む火の玉の上1/3が。スタッフに言ったら集中がもたなまなると思い、近くにいたクライアントを呼び、教えた。彼女もまた目を丸くしてコトバを失っていた。火の玉は、あっというまに沈んでいった。あんな赤を見た記憶がない。鮮烈だった。名古屋で飯を食いながらその話をしたら、倉持さんが気づいていた。倉持さんに教えられ渡辺も知っていた。その夕日を撮った携帯写真を見せてくれた。こんな色じゃない。まったく違うとつぶやくと、倉持さんが、光が強すぎて色が出ないのだ、と教えてくれた。知るかぎり現場で4人が目撃したことになる。台風13号が崩れ前線と衝突した奄美災害からはじまり台風14号ときわどいすれ違い、竜巻突風の大被害と、金沢/福岡/一宮のピンポイントロケは、異常な気象の隙間を縫うようにして過ぎた。ニッポンの四季の終わりの始まりとなるだろう2010年という年らしい秋の3連戦。なんとかすべて、突破した。そのラストを飾るのに、ふさわしい、紅蓮。くたくたに疲れはしたけど、ま、ふさわしい。いつか撮ってみたい、赤。

2010年11月2日火曜日

一宮の空と雲のこと 10.11.1

一宮にて。
浜松を通過したあたりからも青空。
現地に着いたのは2時過ぎ。
スチールが佳境だったので
下見をした後、近くの空き地へ。


雲が、夏と秋と冬。同居。


この一ヶ月、サンセットに取り組んで学んだ
「街」を入れ込む、をさっそく試す。
不細工な電線も、パッとしない家並も
変哲もない用水も、すべてが人の営みなのだ。


で、空に挑む。
見たこともない、と書いてしまえば
身も蓋もない。
でも、見たことのない、そういう空の景色だった。


空がというより
倉持正美というひとりのキャメラマンを通して
切り取られた「空の風景」が、
背筋が寒くなるほどの
叫び出したくなるくらいの
言葉にしがたい、透明さに満ちていた。


ぼくの仕事は
彼の耳に聴こえるようにため息を吐き
ときおり、いいなぁ、とうなってみせること。


空き地から歩いて数分の小さな川べりに。
そこでもまた、時間と場所を忘れ去るような
こころの箍をはずされてしまったような
じぶんの胸の中にしまいこんでいた
原風景のような「まち」の風景が。


足下に咲いていた小指の先ほどの
小さなちいさな赤い花を
うずくまるようにしてとらえた。
秋の終わりの風に揺れる名も知れぬ花が
昨日、ひさしぶりに観た緋牡丹博徒の
凛冽なせつない美しさをよみがえらせた。


一時間あまり、散歩のおりに
ふいと切り取ったようなどこにでもあるような場所で
だれも見たことのない しかし
だれのこころにもひめられているような
うつくしく鮮烈な秋の夕を、撮った。


現場に戻り、夕景の準備にかかった時
立ち上がれないほど疲れていることに気づいた。
おれもまた、彼とともに戦っていたのだと
ふと、思った。


撮影;倉持正美
CA;矢野まい
VE;長岡茂樹


立ち会い
渡辺、鈴木、宮島、益子















2010年11月1日月曜日

♪奄美越え関係者へ

おきさんは無事。
仕事に復帰したようだ。
取材に出たことをさつきwebで確認しました。
これからが正念場だとは思うが
まずは安心してください。

おれはこれから天城越えを3回リピートしてから
明日の一宮ロケに備え、早寝するつもり。

なお、天気予報をチェックしたら
明日現地入り予定時間の14:00以後晴れマーク。
明後日は終日晴れマーク。
金沢、福岡ときた連勝は、そのまま継続できそう。
ま、負けたら終わり、というのがフリーの辛いところだが、
おれは負けない。ねじ曲げてでも勝ちにしちゃうからね。

何人かは、明日の新幹線かダイレクトに現地で会えるね。
サンセット12タイトル終わったし奄美のオキさんも無事だったし
うまい飯でも食いましょう。

では、一宮で。再見。

2010年10月31日日曜日

冬の嵐が過ぎた。三十一日目、12タイトル目を決めた。





10月1日にvol1として
京都郊外の住宅街の「夕焼け」を
【まち。】の名ではじめた
12本バトルも紆余曲折を経て、
31日、10月の終わりには
「吹雪の日暮れ」を【さと。】として閉じる。
数えれば、三十一日。みそひと。
最後の一本を【相聞】とした理由?




街と里の黄昏どきのあいだに
【やま。】【うみ。】【かわ。】【の。】を配し、Japanesque_sunsetseries basicversion12title、
荒編集、これにて完成。




では、各方面に売り込みにかかる(*⌒O⌒*)
たのむぜ、みなさま。
記憶に留める仕事の機会を
お見逃しなく。
刮目して、おれの訪いを待つように。


        2010.10.31 16:16  
                                  真冬の台風が去りしのち T.M