2010年11月17日水曜日

きちがい御神籤

古河の秋素材をさっと見るつもりだったけど
ローポジで撮った落葉に釘付け。
スロースピードを変えながら、軽くつなぐ。
high-speedカメラ持って生かせりゃよかった。
【葉っぱのフレディ】のリアルムービー。
30秒かけて数メートルを舞い落ちてくる一枚の枯れ葉。
1shotmovie。たとえば【最後の一葉】とか。


風は、どんな軌跡を描かせるのか。
風の道が視える1カット。
【天然のニッポン】の風seriesに
minimalismの【風】集。
たとえば枯れ葉
タンポポの綿毛
ススキの胞子
椿の落花
……


いずれも30秒1シーン motion/picture30"series
コトバと組み合わせる?
形容詞。動詞ではない。

30"×20 10分
30"×30 15分
30"×40 20分

10分だろうな。
おみくじスタイル。
ランダム再生。
谷川俊太郎“きちがい御神籤”1990発売のCD
(三菱電機三部作vol.1)


2010年11月16日火曜日

立秋の十五夜【月光】

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【月series】vol.3は

立秋の満月月光






1時過ぎに携帯にメール。
コトバを失った。

昨日の午後3時に彼と話した記録有り。
そのときは、
急展開した今日の古河撮影を祝いあい
いよいよ始まるな、と笑いあった。
そして明日の朝、東京駅北口。
ロケバスで会おうと話した。

かなりよくないと聞いてはいた。
でも、その日がこんなに早く来るとは。
彼も、想像していなかった
いやすまいとしていたのだと思う。

かけるコトバもなく
時間が半日すぎた。

10年前の夏。彼の尽力もあり実現した
HD900テスト撮影の【月光】を
月シリーズの第三夜としてつなぐ。
音楽を菊池雅志さんの「紫苑」から
【月光】を借り、あてる。
最後に今日の日付と
古い短歌を二首、はじめと終わりに添えた。

「秋来ぬと目にはさやかに見えねども
 風の音にぞおどろかれぬる」

「ともすれば月澄む空に憧れる
心の涯を知るよしもがな」

H.Sに献上、と記した。

子のいない彼にとって、
今日の痛切が耐えられるのか
それだけが気にかかる。

2010.11.16 夜 T.M






   
   > From: 益子自宅 
   > Date: Tue, 07 Aug 2001 05:17:37
   > To: 湯治部 通信 
   > Subject: [tojibu:00174] リスタート
   
   

   益子です。
   本格的なライブラリーロケとしてはじめての試みは
   天気にも恵まれ、きわめて満足のいくものとなりました。

   相馬プロデューサーのご英断に敬意を捧げます。
   踏み切る勇気があれば、成果は思いのままです。
   計算づくではあの映像はものにできなかった。
   日常の仕事と超える仕事をきちんと分けられたこと
   つまり「遠くまで行くんだ」という瞬間だったわけです。
   5日の出来事は夢でも幻でもない。
   ああいう時間を生み出せるのは才能を超えた何かだけ。
   相馬さんにはその何かが備わっていることが立証されたね。
   ぼくはあの夜の出来事が相馬さんの名の元に遂行された以上、
   プロデューサーとしての相馬さんの力を最大級に評価します。
   以後は、すべて相馬さんの指示にしたがうことを言明します。
   がんばれ。あんたが大将だよ。

   夏苅さんの大奮闘に感謝を捧げます。
   あの酷熱の午後によく気を失わずに頑張った。
   ああいう無謀な仕事の進め方は以後控えますが、
   音を上げずに君が進行してくれたおかげで
   なんとかぶじに最後までやりきることができた。
   でも、いつでも音を上げていいよ。
   たかが仕事なんだから、まずは自分第一。
   そのうえで今日の午後のような頑張りもあればなおよし。
   男でも女でも凛々しさがいちばんだ。
   きみは、凛々しかった。おつかれさまでした。
   おかげで素晴らしい愉しい時間と成果があった。
   冷たい飲み物を両腕にかかえて坂道を走ってくるきみの愛が
   倉持さんや長岡くんのもう一踏ん張りを生んだ。
   愛は想像力。想い描く力だ。
   想像力だけがこんどのような奇蹟の時間をもたらしてくれる。

   倉持さんをはじめ撮影部のみなさんには何も言うことなし。
   湯治部らしいみごとな遊びぶり、いや仕事ぶりだった。
   細部にこそ神は宿る。自然もまた細部にこそすべてがある。
   ほとんどのカメラマンはこの細部をとりちがえ
   単なるミニマリズムのお化けになるけど、
   愛と想像力を持つ才能だけが、その境界を越えていく。
   十年以上に渡る倉持さんとの仕事を通して、
   ぼくはそのことを教えられてきた。
   こんどの南会津ロケであらためてそのことを痛感しました。
   花一輪、水面のさざなみひとつで、
   これほど魂を揺り動かすカメラマンをぼくは知りません。
   人もモノも自然も、
   これほど愛情あふれる映像をつくれるカメラマンを
   ぼくは知りません。
   あの年齢でどうして作為を越えて表現できるのか、
   不思議でならない。
   広告がつまらないのは、
   すべてこの作為を越えきれないところにある。
   時に越えた表現者の仕事だけが後世には残るけど。

   畑からとうもろこしをとってきてゆで、チーズケーキを焼き
   冷たい氷水と大広間での昼寝を供してくれる宿、というのも
   またこんどの仕事にふさわしい不思議な存在だった。
   あれがホスピタリティの原点だよ。旅籠の原点。
   対価なしであのホスピタリティを引きだしたのはもちろん
   みなさんが前夜と早朝に見せた真摯な仕事ぶり。
   共感がうまれちゃうんだよな、ああいうときには。
   どっかで何かを越えちゃうんだよ。
   畳の上で蝉しぐれを枕に大の字になっている諸君を見て
   ぼくは今年いちばん幸福な気持ちになれました。

   まことにひさしぶりに湯治部の湯治部たる仕事ぶりに接し
   感無量であります。やっと帰還できた気がしています。

   メーリングなので意味がよくわからない方もあろうが
   ま、なんだかマシコはこんな気分であるらしいと
   ご理解ください。

   生まれてはじめてオニヤンマの孵化を目撃し
   ややハイになったかな。

   2001.8.7 立秋 リスタート記念  益子 透
   







春の十五夜【朧月】

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【月series】vol.2は

十五夜の朧月


春の夜は寂しき極みわが胸の闇のピアノが…福島泰樹

その、春の夜の朧満月である。

仮あては菊池雅志氏の「彼方」紫苑より

無許可だが笑って許してくれるだろう



2010年11月14日日曜日

【月series】vol.1 十二夜の昼月

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【月series】vol.1は
十二夜の昼月

その世界は
とらえどころのない姿の比喩から
はじめたい。


次は、やっぱり【月】か、な?

kenichiromogi 
月はいつでもどこでもいい。
見えないときも月はいい。
幼稚園のとき、ともだちと遊んでいて
ふと思い出す母親みたいなもんかな。

昨日届いた、あるイラストレーターの感想。

> 心の根っこに繋がるとすべてがこんなふうに
豊かに観えてくるような気 がしました。
> すべてが鮮やかにみえてくるような
大きな視界ももらいました。
> 幻想と現実 緊張と緩和 
主観と客観、、、ゆらゆらゆら、、、
> 時空を超えて自由になれるはずなのに、、、
> その一歩手前みたいなところにいる自分に
> はっとしてちょっと不思議な感覚になりました。。。


まだ見ぬあなたとのこと10.16 再録11.14

2010 10/16 02:48
まだ見ぬあなたとのこと

いつだったかの秋の夜、こんなことがあった。
“天然の日本。光篇”を見終わって
いきなり号泣された。
号泣が激しくなりソファを叩きのたうち回った。
30分くらいつづいただろうか。
なんどもなんども悔しいと吐き捨てながら。
気が狂ってしまったのかと思って
怖くなりかけたことをあざやかに憶えている。


その仕事は、その夜から十年も前のものだった。
狂乱の後、ながい沈黙があった。
そして、許せないといわれた。
十年前に、このしごとをあなたがして、
そこに自分がいなかったことが
口惜しいのだ、と。
わけがわからないままに
どこかで理解している自分もいた。
そのことに気づいた時、おれも慟哭した。
そういうことが、たしかに、あった。
過分な感想や身に余る反応を
いくつももらってきたが、
あんなふうに物理的な変化に相対したのは、
ただ一度だけ。
天然の日本がdigitalJapanesqueへと
踏み出した、
あれがほんとうのきっかけだったような気がする。

【視覚】について書かれた短いコトバを
なんども読み直しながら、
digitalJapanesque、
ほんとうに扉を開けたのだと、得心した。
その小さな弾みとなっていたのが、
たぶん茂木健一郎の【夕日】への渇望と、
それに続く風景論だっのかもしれない。
【終わりから始める】というsunsetシリーズは、
ほんとうに始まったのだ。そう確信。


メディアのトップページの冒頭に
【まだ、わたしたちが
お会いしたことのないあなたへ】
と書いた。そのお目にかかったことも
言葉を交わしたこともない
未知の【あなた】との間で発生したとしか思えない
幻影のようなクロスディゾルブ。
そんなふうに今夜は思った。
十月十五日上弦の夜。

@kenichiromogi 
虫がさ、一生懸命鳴いているよ。
もうすぐ死んじゃうよ、
もうすぐ死んじゃうよ、って鳴いているんだよ。
@kenichiromogi: 車窓の景色を眺めていた。
美しいかたちの山があった。
こんな山が近くにあって、春も夏も、
朝も夕暮れも、晴れも雨もそれを眺めて
時が過ぎていくような、
そんな暮らしをしてみたい。
@kenichiromogi 
さいごに夕陽をじっくり見たのは
いつだったかなあ。
@kenichiromogi 
ざわ(4)夕暮れ、街を歩いているときに、
何とも言えぬ不安に包まれることがある。
自分を包んでいる社会的文脈がほぐれ、とけ、
たった一人で世の中に
放り出されているかのように感じるのだ。
そのような時、胸の奥が、
甘美にざわざわとし始めるのがはっきりとわかる。
@kenichiromogi 
ざわ(7)希望と不安は、とても近いところにある。
不安が希望の母なのであり、その逆ではない。
まずは自分を胸がざわざわする不安の中に
置かなければ、
希望も生まれようがないのだ。
@kenichiromogi 
ざわ(8)南の島に着く。ジャケットを脱ぎ、
靴下を放り投げ、時計を外す。
次第に裸になっていく。風や太陽と友だちになる。
あの時のように、自分を包んでいる社会的文脈を
一つひとつ脱いでいくことで、
初めて私たちは「不安=希望」の
夕暮れ時にたどり着ける。



柿と栗と芋とThanksgiving

ずいぶんひさしぶりに
J・ウィンストンの【ディセンバー】を

探し出しリピート。
【天然の日本】をまとめたころに
大熊ビルの4階でよくかけていた。
四季の中でこの4枚目がいちばんよかった。
凡庸さの底に冬の空気だけが醸し出す
凛としたはりつめた気配がただよって

飽きることがなかった。

冬のロケで北国に行くと、
出発前の慌ただしい時間の中に、
ピーンとした静止した時間を感じる瞬間がある。
たぶん、凍りついたものが壊れたり、
落ちて別の凍った葉や地面にあたる音なのだと思う。

そんな音を感じると、時が停止する。
そして音楽が聴こえてくる。
その音楽が、一時期、彼のピアノソロだった。
時間にすればほんの瞬間。
まばたきする間だったとは思うが、
短い【永遠】でもあった。

どんよりとした秋の日曜日の午後、
抱え込んだ問題に対処しようと

腕組みをしながらしたことは、
ディセンバーのリピート。

特に冒頭の♪Thanksgiving 

逃げるのではなく、静かに対処したかった。
3回リピートした。胸のざわめきも鎮まった。
やれることをやってみようと思い立つことができた。

柿と栗と薩摩芋で朝兼昼にした午後。




おれは、まだ生きている(苦笑)