2011年9月7日水曜日

鳥鎮とグルミットと火祭りと。白露に




青柳さんがポストした鳥鎮(ウーチン)の灯りの写真を見た。
ゆうべは恒吉さんがポストしたパキスタンのグルミットの水の情景と
須賀川火祭りの実行が困難という記事に添えられた火の写真。
灯りと水と炎。
三枚の写真をあらためて見ながら、いくつかのシーンがフラッシュした。
ひとつはうつくしま未来博覧会が終わった直後の松明あかし
もうひとつは5年前、有栖川の地下での出来事。
古いウェブノートを探したら、二つとも残っていたので、ここにコピー。


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2001 11/12 02:20 10日夜七時。須賀川が燃えた。

10日夕、思い立ち、須賀川に急行。
郡 山で東北線に乗り換え須賀川に。会場までのシャトルバスに飛び乗って五老山へ。人の波に混じって進む途中の夜店で腹ごしらえ用に焼き肉を買っているときに ジ・アースのアテンダント3人とばったり。挨拶もそこそこに松明あかしの丘に急ぐ。燃えていた。人をかきわけ、丘に上がる。去年の撮影地点よりやや高め正 面からの焔の群れは壮観。丘を下り、最前列に。須賀川二中の応援団のそばに陣取り火の粉を浴びながら見入った。見入られた。魂を奪われるような、引きずり 込まれるような圧倒的な焔。燃え落ちた松明の名残が地上で火の海をつくりだし、じっと立っていられないほど高ぶった。松明太鼓がさらに狂騒をかきたて、日 本のどこにも見ることのない静謐でありながら激烈な勇猛さを秘めた奇祭が深まっていく。目の前の光景に比べれば、去年撮った映像など屁のようなもの。制約 があったとはいえ、あのポジションからは、この松明あかしの秘めた本質は望むべくもなかった。たとえどんなに巨大なスクリーンだろうと3Dだろうと、あれ はローポジに据えるべきだった。松明あかしの本質は、地に立って、あるいは跪いて、あるいはひれ伏して慟哭とともに、炎上する城を見上げる、それ以外には ありえない。そのことを思い知らされた。

新しく知らされたことがある。
体制に秘して、松明あかしをつづけるために、考え出した名分は「むじな狩り」だったとか。
たとえばこう考えてみる。
須賀川の民衆が智慧を絞って編み出した「むじな狩り」に名を借りた怨念はらしの奇祭「松明あかし」を成立させるために、狩りだされたことになった「むじな達」は、大挙してジ・アースのあったあたりの森に逃げていったというまことしやかな物語が付け加えられる必要があった。
それが「むじなの森」という地名で残った。

こんなふうに夢想してみた。
ジ・アースの屋上に掲げた幻の戦旗「屈服は致しませぬ」の由緒は、まことに正しいものだったのだと、思った。
2001年11月10日土曜日五老山の夜、大地は確かに燃えていた。



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2006 01/16 22:3ジョン・レノンの“スタンバイミー”
ク ライアントが帰り、D2も帰った後、Mixが終わりコピーをしているときにIguがシャンパ ンを買ってスタジオに戻ってきた。もうよせ、と言おうと思ったが、そのコトバを飲み込む。KawaとSoumの目頭が目に入った。まいったよ。Soumが 上司と連れ立って小石川のオフィスに挨拶にきたのが11年と3週間前。賢明が東京から消えて2年半経った冬。賢明と渡辺の三人で穂高の家具屋で選んだでか い一枚板のテーブルをはさんで会ったことをぼんやりと覚えている。Soumは緊張していたのか怒ったような表情を崩さず、とても丁寧だった。それ から年に何タイトルを仕上げてきたか。12年で100か200か300か。狭いスタジオでIguから手渡されたシャンパンボトルを一生懸命こじあける Soumを見 ながら、ああこいつは最初から髪が薄かったな、とはじめて会った夜を思い出し、鼻の奥が痛くなった。安物のへなへなのプラスチックコップにIguがシャン パンを7人分注ぐ。 居合わせた7人が寄り集まって乾杯。誰かが献杯、かなと呟いた。別な誰かが、はじまりを祝って、と呟いた。誰からともなく、おつかれさまでした、とコトバ が洩れた。7人が狭いスタジオの虚空を見上げ、おつかれさまでした、と唱和。Iguが音楽をかけた。ジョン・レノンの“スタンバイミー”。おれが東京でい ちばん信頼してきた選曲家Iguが選んだその曲がrstudioM1のマスタースピーカーから流れ、満ち、空虚な空間を埋めていった。そういえばこの間 買ったiPodmovieの記念刻印も stand by me.だったなと思ったとたんに顔をあげていられなくなった。いつものディレクター用の椅子に座り、そそくさと帰る支度をはじめた。その背中にKawaの 号泣。ゴメン ナサイ、ゴメンナサイと途切れ途切れに聴こえた。地下から表に出た。助手席に座った途端、どっと疲れが出た。徒労と絶望にとらわれた。奈良、古河と12年 間に撮った万を越すカットがフラッシュしていった。俎板の鯉となってこの二ヶ月、いっさいじたばたせずに顔を上げていた二人の来し方を思い浮かべた。一緒 に退くべ きではないかと数日前に詰め寄ってきたIguの顔もフラッシュ。完徹をしながら黙々と粛々と丁寧にTSP地下スタジオを掃き清めていた一昨日のKとSの姿 が甦った。陣を払うべきか否 か、いま自問している。その選択だけは、昨日までまったく想像すらしていなかった。総退陣。それも悪かねえか、彼らと別れ、二時間。思いもしなかった迷い を迷いに迷っ ている。感傷に過ぎないと思いながら、咽喉まで一つのコトバがこみあけてきている。

2006.1.16 19時過ぎ rスタジオに居合わせた7人は
Soum Kawa Igu Take Mano Wata T.Mであることを記しておきたい。
ちあきなおみの“ダンチョネ節”と宇崎竜童の“夜霧のブルース”を聴きながら

♪どこで散るやら 果てるやら ダンチョネ
友よ あの娘よ さようなら ダンチョネ
おれが死んだら 三途の川で
鬼を相手に 相撲を取る ダンチョネ

♪青い夜霧に灯影が紅い
どうせおいらは独り者
夢のすまろかおんきゅの街か
あぁぁ 波の音にも血が騒ぐ
かわいあの子が夜霧の中へ
投げた涙のリラの花
何も言わぬが笑ってみせる
あぁぁ これが男と言うものさ

花のホールで踊っちゃいても
春を待たないエトランゼ
男同士の相合い傘で
あぁぁ 嵐呼ぶよな夜が更ける

なお、理由はありませんが
本日1月16日をもって湯治部メーリングを閉じます。
その旨をアナウンスした上で、ML関係者を絞り直し
本来の湯治部メンバーを対象に再開予定。





11年前の須賀川松明明かしのこと




Date: Fri 10 Nov 2000 17:04:25
To: 水の惑星 miraite2@mail.pref.fukushima.jp>
From: 益子透
Subject: [the-earth:00119] その前夜


《屈服はいたしませぬ》
ここは奥州みちのく。
とある小さな小高い山に、突如立ちのぼる真っ赤な火の手。
火はたちまち燃え広がり、山全体が炎の海と化す。
やがて、魔物のような火の化身は晩秋の夜空を焦がし始める。
折しも、詰めかけた多くの群衆からは感嘆のどよめきがわき起こり、
と同時に割れるような拍手があたり一面にこだまする。
遠くから聞こえ来る哀愁をおびた太鼓の音色。
あまり例を見ないこの催しものの正体こそ、
日本三大火祭りのひとつ、福島県須賀川市に伝わる伝統行事
『松明あかし』なのである。
この奇祭の歴史が四百余年にも及ぶと知るとき、
何故にかくも長い年月を経ながら、今なお現存しうるのか、
そして松明あかしの原点とは何なのかという疑問がわいてくる。
落城の憂き目をみた須賀川二階堂氏の苦難を忍び、
時の犠牲者の霊を弔うために挙げられる『のろし』。
それが松明あかしなのだ、と聞いたところで、ではなぜ、
気の遠くなるような年月を『火』を絶やさずに来れたのか、
松明あかしの存続を可能にしているものは一体なんなのだろうという
更なる疑問がわいてくる。
伊達政宗の手にかかり、須賀川・二階堂氏が滅亡したのは今から
約四百年前の天正十七年(1589)十月二十六日のことである。
伊達方一万の軍勢に対し、二階堂軍勢二千五百で応戦するという、
『負け』を覚悟しての戦いであった。
にもかかわらず我が身を捨てて善戦。一時は優位にたったものの、
反撃むなしく敗れ去った。
『最後の戦い』との思いから、死闘を繰り広げた二階堂勢の戦いぶりは、
敵の大将・政宗を唸らせたという。
二階堂氏の結束の堅さ、そして時の女城主・大乗院に対する忠誠心に、
ひとかけらの偽りもなかったという所以であろうか」
-『松明あかし』国分ヒサ著/歴史春秋社刊-


暮れなずむ須賀川の空を目の前にこのレポートを書いています。
ちょっと長かったけど須賀川市内の本屋で買った「松明あかし」の序文から。
現在十日午後四時。照明部、ライトのテスト準備中。
数十本並べられた松明の前で地元須賀川高校の応援部諸君が
明日に備えて声を張り上げてます。
その松明の彼方に秋の夕日が沈もうとしています。
町にも会場にも、明日の松明あかしへの期待が高まっているように感じます。
天下の伊達政宗に弓をひき、女だてらに一歩もひかなかった大乗院の心意気
「屈服は致しませぬ」にあやかって、明日の二十世紀最後の松明あかしが
みごとに須賀川の夜空を染めあげ、新世紀の迎え火となることを願いつつ。


P.S
演出部は昼過ぎに大松明が出立する二階堂神社に明日の晴天を祈願。
実行委員の経営する酒屋に立ちより「松明あかし」の絵馬十枚、
スタッフ差入れ用・特製地酒「松明あかし」などを入手。
これらの前準備の写真はのちほどWEBページにアップします。