2010年10月9日土曜日

とほくまでゆくんだ  ぼくらの好きな人々よ









[ぼくらはぼくらに 
または少女に
それを視せて 
とほくまでゆくんだと
告げるのである

とほくまでゆくんだ 
ぼくらの好きな人々よ]

吉本隆明「涙が涸れる」から
















眠れぬ夜のために T.M





ひらく。



未開の自然の中に
人々が住むということは、
  漆黒の闇を
松明の灯で照らすようなもので、
  それが啓蒙であり開明であった。

  もっともカイメイには
晦冥という字を
あてることもあるが、
  晦も冥も暗いということなので、
  開明とはまったく逆の意味になる。

 「開明とは、光なのですね」

 「しかし、それは闇を
松明の灯で照らすようなもの。
 そこだけは明るいが、
周囲の闇はよりいっそう
 暗さがきわだつ。
灯がなければ、
闇は闇ではない」

 「では、闇のままで
あった方がよかったと?」

 「いや、人が生きるということは、
 闇をひらく
ということにつながります。
 《晦冥》を知ることが
 すなわち《開明》であると
申しておきましょう」

 -夢熊野-紀和鏡より



日本郵船歴史博物館の企画書のタイトルは
【日本を、ひらく。】
その根拠となったのが紀和鏡の小説の一節だった。




未完となった【コトバの海】


[われを国賊というか。
政府が果たしてその方針なら、
われもまた所有の汽船を
残らず遠州灘に集めて焼き払い、
残りの財産を全部自由党に寄付せん]
岩崎弥太郎談


日本郵船歴史博物館の
仕事を引き受けた
いちばんのきっかけが
資料に出ていた
岩崎の、このコトバだった。
試みで終わったが
【コトバの海】で
あの歴史的建築の空間全体に
満たしてみたいと夢想した。

こころの涯は、 さてどこにあるのか。



11時過ぎ、とうとつにステッチが切れた。





30日、急に思い立ち、一気に考え、書いた。
先にいく踏ん切りにしようと、

DJ関係者以外の
いま関わっているほぼすべの人に送信。
ダメなら、あきらめるつもりで退路を断つ。
そう、言い聞かせた。

それから8日間。
全時間を【終わりの時=夕日】に投入。
夜もほとんど眠れないままに、
ヒートアップしつづけてきた。

さすがに、壊れる寸前だった。
そんなふうに思う。
11時過ぎにスイッチをオフって2時間。
カップワンタンと

カロリーメート/メイプル味を夜食に
テレビをつけたまま、
ぼんやりと朝刊と夕刊紙を読み、過ぎた。
デスクトップに向かっていると2
時間などあっという間だけど
まだ2時間しか経っていないのか、と、
弛緩を実感。

窓を開けていたら、
気温がぐんぐん下がっていく。

冷気のせいか
昨日、書いてすっかり忘れていた、
今夜が新月たったことを思い出した。

いきなり外れたプラグは
きっと、休息し新月の願をかけろ
という声なのだろう。
月ばかり眺めて過ごした気もする九月が
月の出る寸前の【逢う魔が時】から始めろ、

と、告げてくれたたのだ。
そう思いこみたい。

窓の外の夜の闇に、おれが
あるいはおれたちが望んだ
ジャパネスクの

最初の【到達】を星に祈ったら
今夜はぐっすりと、

夢も見ずに眠ってしまおう。

ともすれば月澄む空に、である。


わがこころの涯は、
さてどこにあるのか。




2010年10月8日金曜日

sunset011.かわ。E139.41 N36.8 利根川





利根川
茨城県古河市前林
緯度 36度8分5.116秒(36.134755), 経度 139度44分29.445秒(139.741513)



これがコンセプトとなるシンボルマークである





ここではない遥かかなたをゆめみる
あなたがいて
わたしがいて
わたしたちがいる


【サンセットシリーズ】
これがコンセプト。
に、しような、と
れいによってクリエでなべちやんと決定。


で、名分があれば裏も、また。
東京星菫派というのは
もともと【湯治部】が古里だったよね。
というわけで
裏コンセプトは↓




ここではない遥かかなたの湯で
       あなたがつかって
わたしがつかって
みんなでつかっている(*⌒O⌒*)



sunset010.かわ。E139.31 N35.38 多摩川





利根川
茨城県古河市前林
緯度 36度8分5.116秒(36.134755), 経度 139度44分29.445秒(139.741513)

続。【湯治部の一文字】













武士の一分。湯治部の一文字。



10/8 am1:30メモ
大切なことを忘れてた。
クリエでの打合せで出た最大のポイントは
「文字、ことば」のこと。
北緯東経 いがいに
最後に【ひとつの文字】を
と、なべちゃんから。
【ことば】のひとまとまり
ばかり考えていたので
この指摘は、目が点だった。
三菱三部作の
【感・見・動・遊・伝】
あれでいきましょう、と。
で、即決。
忘れないために、メモしておく。


【哀】は、たとえばですので。為念。


明日八日は、新月。



2010年10月7日木曜日

sunset004【うみ。amami2E129.27 N28.24】もうひとつの奄美大島





ずいぶんひさしぶりに
♪天城越えと
♪19の春
をリピートしながらつなぎなおした。
満足。


なお、好漢オキさんの消息は
奄美大島☆撮影日記▶をクリック

微修正(^∧^)

蒲田のクリエでなべちゃんと話し
いくつか軌道修正を検討。
奄美を2本から1本に減らし
犬吠埼を新たに追加。
北緯東経だと、ダブってしまうことと
早春の屏風岩&犬吠埼を
ニッポン東端として入れたくなったので。

それと5月から6月を象徴するものとして
ゴールデン・水田in小渕沢を復活。
(すまんな、なべちゃん)

奄美で古川が撮った音素材は、さっき受け取った。
おかげでアップしたやつを入れ直し?
あるいはもうひとつの方に当てておいて
仕上げ時にチョイス、もあり。か。
捨てがたいものな。



「春も夏も、朝も夕暮れも、晴れも雨も…」


車窓の景色を眺めていた。美しいかたちの山があった。こんな山が近くにあって、春も夏も、朝も夕暮れも、晴れも雨もそれを眺めて時が過ぎていくような、そんな暮らしをしてみたい。


と、茂木健一郎がツィートしていた。
ちょっと、しんみりした。
そして
茂木さんはダイジョウブなのだろうかと気になった。
ツイッターには、どこかふしぎな世界が、ある。







sunset003【うみ。E129.27 N28.24】奄美大島





こんな夕暮もある。
撮影中、耳に残ったのはただ【潮音】のみ。
嵐の前のように強い風が吹いていて
口を開けると砂粒が飛び込んでくるので
きっとみんな黙っていたのか、な。


  



それとも、
この海辺にたどり着く直前に行った


金作原原生林の強烈な印象のせい?










生きていることの不思議と歓びを刺激する【音】を。



以下のメールは無許可転載。
音についての【気配】をどう考えるかに関わるので。
 

From: 益子自宅 
 Date: Wed, 06 Oct 2010 23:59:12 +0900
To: 長岡オフィス
Cc: 武田スタジオ 
Subject: Re: パペーテの港の夕

ましこです。

じつは、こんどの【サンセットシリーズ】で
音楽は使わないことにしたのは
2つの記憶が根拠だった。

 1つめは、奄美大島の原生林で味わった
あの濃密生命感あふれる気配。
場慣れしているはずの撮影スタッフが
思わず足を止めた、あの午後の体験。
そしてもう一つがきみのメールにある
タヒチ、パペーテの午後の体験。
ボラボラ島からパペーテに戻り
深夜便待ちでホテルで休憩していた夕の
あの日曜日らしい静かで満ち足りた
ビーチの微笑みたくなるようなやさしい気配。
楽器をつま弾きながら歌う家族、おだやかな波
犬の喘ぎ声、そよぐ風、フランス語と
タヒチの島コトバが交じり合った音韻、
あのとききみが撮ったテープのコピー
しばらくぼくも持っていたけど…

 あの相異なる
2つの音のサンクチュアリを再現できたら。
 というのが根底にありました。

欲しいのは、ドキュメンタリーとしてのリアルではなく
想像力を無限にひもといてくれ、開放してくれるリアリティ。
最終的にはサブタイトルの扱いになると思うけど
こんどの12本について現時点では
【東経北緯】の位置情報だけを入れたのは
5分経ったら一日過ぎたら一ヶ月後には
目にしている同じ環境は絶対にあり得ない、ということを
時間を外すことで表現したかったから。
二度と体験できない瞬間だから【事実も真実】も無関係。
だから音もまた自由であってほしい。

ここで使う【リアリティ】とは想像上のリアリティです。
記憶の中の奄美の原生林とタヒチの夕暮のビーチは
ぼくのなかでは何の【現実性】も持ちません。
目を閉じると歳月を越えてよみがえってくる
生きていることの不思議と歓びを刺激する【幻の現実】です。

メール、ありがとう。
うれしかったです。
西村にも、よろしくね。

>From: 長岡オフィス 
>Date: Wed, 6 Oct 2010 17:48:46 +0900
>To: 益子自宅
>Cc: 武田スタジオ
>Subject: おつかれさまです(ジャケ写あり)

>益子さん、武田さん

>武田さんの言葉 
>サラウンド音響の環境は僕らを何処へでも連れて行ってくれる
>「タイムマシン付きどこでもドア」だとおもいます。
>を読んでふと思い出したことがあります。

>益子さん、倉持さんと初めて行ったタヒチロケ
>カメラが壊れ、帰国直前の夕暮れのビーチで
>ふと聞こえてきた現地の人達の歌声
>たまたま持っていたレコーディングウォークマン
>で録音したカセットテープは現在も行方不明、、、
>そして数年前、フランスロケの際、セーヌ河
>沿いに立ち並ぶ古書店で見つけた赤いジャケット
>の一枚のレコード、音を聞いた瞬間、
>あのときのビーチの情景や空気感があざやかに
>よみがえりました
>(サラウンドではなくモノラルでしたが、、、笑)

>余談ですが、西やんはBeatlesのI Am The Walrusを
>聞くと夏休みを思い出すと
>よく言ってたのも思い出しました、、、笑

>長岡

2010年10月6日水曜日

多摩川と奄美大島の経緯


多摩川・夕景
東京都調布市多摩川2丁目
緯度 35度38分44.173秒(35.645604), 経度 139度31分34.227秒(139.526174)

多摩川・満月
神奈川県川崎市多摩区菅野戸呂
緯度 35度38分29.942秒(35.641651), 経度 139度31分28.839秒(139.524677)

奄美大島
鹿児島県奄美市名瀬大字小宿/大浜海浜公園
緯度 28度24分20.375秒(28.40566), 経度 129度27分18.752秒(129.455209)

奄美大島
鹿児島県奄美市笠利町大字宇宿/土盛海岸
緯度 28度27分59.632秒(28.466564), 経度 129度43分10.056秒(129.71946)

sunset002【の。E139.40 N36.14】





♪菜の花畑に 入り日うすれ
見渡す山のは かすみ深し
春風そよふく 空を見れば
   夕月かかりて においあわし



つまらないとしかいいようのない童謡なのに
いつ憶えてしまったのか
すらすらと出てきたのでびっくり。
ま、たしかにこんな気分が
ないじゃなし…
京都郊外の街の夕焼けの次は
おなじみ渡良瀬遊水池の春の入り日。
先鋒は幸手堤下の菜の花畑である。



のべ。E139.40 N36.14
群馬県邑楽郡板倉町海老瀬
緯度 36度14分8.207秒(36.235613), 
経度 139度40分52.804秒(139.681334)



12▶15 たとえば



[やま]田沢湖 岩木山 若草山
[うみ]犬吠埼 奄美大島A  奄美大島B
[かわ]多摩川 隅田川 利根川
[のべ]渡良瀬遊水池 小渕沢 仙石原 

    渡良瀬川土手(花火大会)
[まち]京都郊外 横浜港 伊丹空港 

    横浜Xmas







2010年10月5日火曜日

錯乱。ワタナベ相談したし↓

12本で考えたけど、迷いに迷うな。
犬吠埼の夕日と、伊丹空港の夕空も入れたくなった。
それと、6月に撮った小渕沢の黄金水田も


やま/うみ/かわ/のべ/まち 


とすれば各3タイトルで収まり?もいいか。
な?

夕暮に【まちの夕日】をその街のひとたちに送った



ふと思いついて総住研で知遇を得た技研関係のみなさんに【まちの夕日】アドレスを送る。毎日過ごしている同じ場所で生起した【瞬間のバクハツ的時間】を見て、どんな感想がかえってくるのか、確かめたくなった。もっとも同報で出したので、リターンはゼロ?も。ぼくじしんも、撮影した時点で10年は経過していた。ほぼホテルと実験場を往復する十年だっただけに、若草山も平城京跡も、新鮮そのものだった。平城京跡は夜中に高感度カメラのテストをしたときの、ほとんど無明の世界の衝撃、若草山の夕日を背にした童話のような鹿のシルエットんど、この台風本土直撃十連続の夏は記憶に濃い。たぶん330inchHDへのチャレンジが、こうしたいつにない時間の流れになったのだと、いまは思える。





sunset006【まち。E135 .47 N34 .43】





渡辺から届いた最初の素材は
総住研前の舗道で撮った
7月末の街の夕暮れだった。


何度目だったか、低温実験ロケが終わり
大阪に移動するために撤収中の一瞬の夕日。
十年通いつづけて
はじめて実験場の近くに
平城京跡地があったことを知り、
名ばかり知っていた若草山も初体験した夏。
同じ頃、古河では8回にわたった
シャーウッドの施工記録撮影が進行中。
スタッフが熱中症でダウンしたりもしていた。
さらに同時に
防災住宅のビデオづくりを進行させながら
【夢工場・夏休みロケ】を
どこで何を撮るか悩みつづけていた、その【夏】。


低温実験撮影には数回、東京から通った。
行き来のあいまに、駅で新幹線で空港で
八幡平を起点にすることだけが、決まった。
倉持さん、鈴木さん、長岡さんと
何冊も観光案内ゆ地図を広げ、
アナログ時代の東北ロケの
さまざまな記憶を引き出しながら
小岩井農場、抱き帰り渓谷などが候補に。
HD撮影。仕上げHD。ブルーディスクにして
330inchのスクリーンに
HDプロジェクターで上映するという
その時点では【本邦初の試み】だったので
ショットサイズの検討、カメラワークも含め
この頃が毎日が試行錯誤ばかりだった。
※なおこの本邦初チャレンジとなった仕組みは
いまはいない電通テック池田さんと
パナソニック映像チームのバトルを通し
3ヶ月後に古河で実現した。




それから2ヶ月の間に
本土直撃の台風が10回という激烈な夏の
いまふり返れば、最初の一歩が
このどこにでもあるごくふつうの
【郊外の住宅街の夕焼け】だったと思う。




さらに、
そのなにげない日常に
ほんの一瞬だけおとずれる
【ここではない世界へと誘う】瞬間。
Japanesqueseriesを
一日の終わりの【sunset】にした
そのきっかけが
もしかしたらこの日の、この夕日…
だったのかもしれない。


あれもこれもが
びっしりと詰め込まれた夏の
気ぜわしい撤収と移動のあい間に、
思いがけない空の美しさにふと気づき
なんの打合せもなく、以心伝心のスタッフ達が
バタバタとカメラをセット。
わずか十分ほどのマジックアワーをゲット。



どんなに周到な準備を重ねても
80点どまりで終わってしまうことがあるのが
撮影の仕事だけに、こういう思いがけない
天の贈り物のような瞬間に遭遇できると
苦虫をかみつぶしたような顔をしている
相馬プロデューサーをよそに
しみじみ嬉しくなったこと
カラダの芯と腹の底から
快哉がこみあげてきたことが甦ってくる。




この地味な夕焼けの素材を手始めに
sunsetseriesの12タイトルを
切り込んでいけるというのも
なんだか冥利につきる気分あり。


編集が終わりH.264に書きだしのあいまに
ツイッターを読んでいたら
1時間前にこんなツイートを見つけた。
脳科学者の茂木健一郎さんの一行ツィート⤵




人生というのはわからないものだなあ、と。
一面識もない人なのに
「あ、このひとに夕日を見せてあげたいな」
そんなことも思ったり。ね。




なお、12の各タイトルは東経/北緯としました。
これは6本目で郊外の住宅街の夕日ですが
タイトルとしてはたとえば
【まち。E135 .47 N34 .4】とします。

※この場合の正確データは⤵
緯度 34度43分54.05秒(34.73168),
経度 135度47分17.807秒(135.78828)
京都府 相楽郡木津町兜台6-6-4



「概念としての場所・土地」と
「その場所を決定する位置情報」。
構図としては【どこ】が第一で
【位置】は、任意。

この「位置情報」を可変とすることで
【橙sunsetseries12本】は、











次に展開していく第二章
【encyclopaedia橙Japanesquesunset】
として開花させていく予定です。
だから【東経/北緯】可変。



PS武田さん
音はあくまでダミー。参考までにです。
この【住宅街】が、たぶんいちばん
音想定が難しいのかな、と思いました。
12タイトルでいちばん「ひとの気配」が
濃厚だからね。で、ちょっと考えたのだけど
青木さんと試みた【252のあいさつ】、
あれ、どうかな。と。




PS山岡さん
HD編集▶DVD/BDが前提です。
ここにはまだ入れていませんが
コトバ【動詞/ひらがな】を考えています。
とはいえ、どういう態勢でいけるのか
今日現在はまったく未定(゚〇゚;)
スタート、ということだけを宣言しときます。
試みではなく、本番。
これから賛同社/者を口説いていきますが
山岡さんは無条件でつきあってねと
公開お願いをしておきます。


渡辺さん
タイムラインごと渡すようにします。
編集データ+movデータで1セット。
なお、残りの11地域の位置情報も
調べておいてください。