2006年12月28日木曜日

ぼくらのyellowsubmarine2006.12.27


'06.12.28am0:30今年最後の乾杯
忘年会のあった地下を出て、
タクシーを捕まえようとしたが
春のようにあたたかな夜に、帰る気にもなれず
Nオカ、Kヤマ、Wナベを誘った。
みんな同じような気分だったらしく
、鍛冶橋、八丁堀あたりをそぞろ歩く。
名前を忘れたが
4時まで開いているというカフェを見つけ入る。
珍しいことにハワイアンカフェ。
店内には甘いコンテンポラリーハワイアンが流れ
十二月の二十八日の日本とは、また異なる空気が。
Nオカがビールを頼んだら
なんとコナの地ビールが登場。
コナは、DJ'06マルフプランニングのラストに書いた
nightrainbowの町。
メンバーの顔ぶれにふさわしい帳尻なので
今年最後の乾杯とする。
撮影者はWナベ。


12.27夜 “ぼくたちの黄色い潜水艦”
30年前の名古屋時代。まだ若く郷里で貧乏暮らしを楽しんでいた親友が11月に亡くなり、今夜27日が四十九日にあたるのだと前置きし、yellowsubmarineの自己流意訳を語りだそうとした、その瞬間に、彼は声を失った。涙をぬぐって、再びマイクを前にしたが、またひとことも発せず、慟哭。R.O。60歳近くなるはずの成功した役者が、あんな席で激情にかられ、身も蓋もなく涙をあふれさせるのを見ながら、鼻の奥が痛くなった。どこか遠い昔に、サーチライトに照らし出された夜の底で聴いた、いくつものシュプレヒコールを思い浮かべた。この男と年明けに仕事をすることになるのだと思うと、昂ぶるものがあった。別れ際に、挨拶を交わしたときには、いつもの気さくな好感度抜群の役者R.Oに戻っていた。ひとは、深いな、としみじみ思った。生きているのも悪くねえな、と切々と思った。一年の暮れ方としては、申し分ない。これまでに聴いたyellowsubmarineの中で、最高の一曲となった。

2006年12月27日水曜日

♪明日という字は明るい日と書くのね


digitalJapanesqueシリーズをやろうと決めた夜?のカメラマンとVE

明日という字は明るい日と書くのね
あなたとわたしの明日は明るい日ね
それでもときどき悲しい日もあるけど
だけどそれは気にしないでね
二人は若い 小さな星さ
悲しい歌は知らない

若いという字は苦しい字に似てるわ
涙が出るのは若いというしるしね
それでもときどき楽しい日も来るけど
またいつかは涙をふくのね
二人は若い 小さな星さ
悲しい歌は知らない

「悲しみは駆け足でやってくる」
      アン真理子 作詞
       中川克彦 作曲

2006年12月26日火曜日

肌にゃあ墨ば打てても…


小牧にある某研究所で今年最後の撮影。
24日イブの午後に東京を出、日暮れに小牧着。
一泊し、25日終日、研究所内でロケ。
最終カット20:00。撤収後夕食をとり
春日井ランプから東名に乗ったのが22:00。
蒲田着26日3:00ジャスト。
撮影のあい間に外の喫煙所を何度も往復。
灰皿とベンチの置かれた一角に寒椿が咲いていた。
携帯電話のカメラで撮った。

雨の東名を走りながら
iPodに入れておいた八代亜紀の“雨の慕情”をリピート。
東京に着いて、柚子湯に入っていたら
なぜか緋牡丹博徒・藤純子のキメ台詞が浮かんだ。
うろ覚えだが
幼い女の子に向って
腕の入れ墨を見せながら
たしかこんなふうに言ったはず。

  「見なっせえ!
   女だてらに、
   こぎやんもんば背負うて生きとっとよ。
   だけん、身体じゃナカ!
   肌にゃあ墨ば打てても
   心にゃ誰れも打つことは、できんとヨォ」