2010年10月16日土曜日

ルビコン川を渡れ10.10.16


爆睡十時間。めがさめたのが2時ちょっと前。
きのう寝る直前まで浮かんでいたのが
【天然のニッポン】第1巻の【ひかり】篇。
4巻の皮切りとした巻。その冒頭。

http://www.tsurunoyu.com/
鶴の湯で露天♨につかりなごんでいた倉持さんを
月が出そうだから、撮りたいと上がってもらい
宿の庭先で梢の間からひかりをこぼしはじめた
八月末、涼しいというより寒いような
山の夏の終わりの満月に、挑んだ。

三脚の位置とアングル、サイズが
5cmずれていたらNGとなるターゲットだけど
結果は、絶妙のカメラセットとなった。
あれからなんどもなんどもなんども
月や夕日を撮ってきたが
この目の前の梢と彼方の月の
黄金比のような遠近のバランスと
暗部とそこを埋めていく月光の対比感は皆無。
HDどころかデジβですらない
4:3という、いま考えればマンガのような
しかし当時は業界の文法だったサイズで
カメラはただのβcamにすぎなかった。
この余白の黄金比を、ぼくたちは未だ超えられず。

出切るまで、このままでと
7分近く、スタッフ全員が息を詰めた。
そして
目と鼻の先に顔を出した月ではなく
小さなモニターに映しだされる
月光と闇の移ろいだけを見入った。
夏の終わりから秋にかけての月は
見ていて飽きることがない。
冬の冷たさも春のおぼろさもなく
その世界に溶けていくような甘いせつなさがある。
どこにも姿を見せない巨大な光源が
暗闇のなかで、その光が照らし出した
もうひとつの巨大な天体を浮かび上がらせる不思議。
反射によってだけ存在を知ることになる夜の月。
その反射を映し出す小さなブラウン管。
極大と極小が同時に存在し、
同時に認識していることの奇妙さ。
その月が、ここにある⤵
http://www.m-circus.com/columbia/02hikari.html

それから♨につかり興奮をさました。
囲炉裏の炭火の爆ぜる音と
山の夜風がたてるざわめきと
虫の鳴き声、梟の声、野犬の遠吠えを友に
冬布団をかぶってふるえながら寝入った。

その【月光】をひかり篇の冒頭に
1カット約5分置いた。
そして福島さんの

万物は冬に雪崩れていくがいい追憶にのみいまはいるのだ
を冒頭に入れた。
さらに立原道造の「のちのおもひに」を。

草ひばりのうたひやまない
しづまりかえった午さがりの林道を
うららかに青い空には陽がてり 火山は眠ってゐた
…そして私は
見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた……
夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまったときには
夢は 真冬の追憶のうちに凍るであろう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう
この「のちのおもひに」を受け、詠み人知らずの古歌

ともすれば月澄む空にあくがるる心の涯を知るよしもがな

を置き、プロローグとしたのだ。


曲は菊池雅志がつくり
尺八・菊池雅志、
パーカッション・石塚俊明、
ピアノ・永畑雅人で一発録り。
福島さんには狭いアナブースで絶叫してもらった。
福島泰樹絶叫コンサートではいまでも
【のちのおもひに】という名の
このときの試みが演じられ夜がある⤵
http://homepage.mac.com/torum_3/love/iMovieTheater555.html

「ひかり」は冒頭が
この月光ではじまりラストを落日とした。
ラストの数分は、その春に決まっていた。
太平洋の岩場を染め落ちて行く
早春の夕日をやはりふるえながら撮っている時に
福島さんの絶叫が浮かんだ。
小石川のオフィス(当時の)に戻り
【ふぐ一身百味】の冒頭をあててみた。

その瞬間に、すべてが見とおせた。
正確には、そんな気がした。
後日、倉持さんたちにビデオを見せ
エンディングだけは決まったことを伝えると
みんながどんなふうにリアクションしたのか
覚えていないけど、受け入れられたと思いこんだ。


そのときはまだ、「湯治部」という名はなかった。
ほぼ半年間にわたる【天然のニッポン】ロケと
重なりあった【風と走る。レガシー】の【みちのく】ロケで
どういうわけか毎晩毎晩♨に入っていることに
ある日気づいて撮影部の長岡と相談。
「撮影部」「照明部」と「部」がつくのだから
「演出」も「部」をつけよう。
「演出部」じゃつまんないから「湯治部」どう?
なんてことから撮影チーム全体を「湯治部」とした。
入部条件は「♨がスキです」のみ。
年齢・性別・美醜・性癖・職種・国籍・
思想・信条・趣味・嗜好・なくて七癖など一切合切不問。
入部退部は本人が思い立った、その瞬間から。理由不問。

部の印というか「部旗」を長岡が提案。
で?と聞いたら手ぬぐいを出して広げた。
ど真ん中に【ゆ】と、黒々とした墨文字が一字。
「風林火山」などと比べやけに控えめでたおやかな
その墨文字をながめながら「いいじゃん」と、即断・即決。
そして次のロケからは、どのロケ車の窓にもその墨文字を
コピーした「ゆ」の一文字が、まことに誇らしげに貼られていた。
これが【湯治部】の来歴である。

ちなみに長岡が自慢げに取り出した白い布は
何日か前に立ち寄った湯治宿のものだった。
宿は八幡平後生掛温泉。
ふつう手摺にでもぶら下げたまま置いてくるものを
彼はなにが気に入ったのか持ち帰り
(移動先で♨を見つけるといきなり突入したりがあったので
彼としては不意の♨討ち入りに備えたつもりだったかも)
部のブランドマークをどうしようという
広告屋ならとても大切な会議(旅先のことで立ち話だが)
臆することもなく屈託のない笑顔でプレゼンテーション。

時が流れ【湯治部】は、ほんらいの出自を
インターネットクラウドの彼方に紛れ込ませ
【ひとは家にかえってゆく】映像チームの
業務連絡メーリングとしてのみ名が残った。
これが【湯治部】の消息である。


【湯治部】のことはさておこう。


狼少年として4年が過ぎた。
「出すぞ出すぞ」と公言しては潰え
潰えてはまた公言しを繰り返して丸4年。
すっかり狼少年ならぬ狼中年と自嘲しながら
【étude】としての試みを痴呆のように続けた。
少しずつ増えていく素材をきっかけに
4年で300本を超えるétudeをつないだ。

デロリンマンのごときこの愚行だが
【湯治部】の数人の人たちだけは
信じていてくれた。
いや、あらためて問いただしたことはないから
そう思わせてくれつづけけたと書くべきか。
その多くは、
冒頭に書いた【天然のニッポンひかり篇】を
ともにつくったひとたちだった。
指折れば数え切れてしまえる数のひとたち。

ひさしぶりにアナログ版の【ひかり篇】
その冒頭5分を再生しながら
この少数のひとたちにカタチを遺すのだ
あらためて、そう思った。

もちろん、彼らのためにがきっかけではない。
ぼくはぼくじしんのために、始めるのだ。
étudeではなく、一度きりの真っ向勝負として。
成るか成らぬかは、どうでもいい。
リハーサルから本番へ。それだけだ。
端緒を切るにあたってひとことだけ
同伴してくれたひとたちに
来歴と感謝を記しておきたかった。
ほんらいならばお一人ずつおめにかかり
直接話し、手を握り謝意を表すべきだが
恥ずかしさが先にたち、困難である。
この照れが、ぼくに今の仕事を選ばせたのだと
そう考えて、どうかお許し願いたい。
直接間接にささえていただき
ほんとうにありがとう。


では
帆を、あげる。
渡るのは
海原ではない。
川、だ。
その川の名は
ルビコン。
渡ったら、二度と戻らない。
ようそろぉ
    2010.10.16 17;46  
     湯治部演出 T.M




2010年10月15日金曜日

閑話休題10.15夜。ちあきなおみの♪ダンチョネ節あるいは慕情。






十日あまりの夕日づけからアタマを
カットチェンジしたかった。


それがひとつめの理由。だった。
脱け出すために、もぐらせる。
さらに沈める。それは、成功。

ふたつめが、あった。
これは笑い話のような、妄想。
と、したい。

したいが、できるか?


福島泰樹を一首引く。
げに春は驟雨とともにはじまるを咲かぬ桜よ慕情というは


上野の森の満開の夜桜にあてた借り歌。
これから秋が深くなり冬にむかうというのに、
胸の底にあでやかな緋桜が咲いている。
仕事モードへの切り替えとDJapanesqueへの渇望が
こんな気分をかき立てたのだ。

と、決めた。
15時間ばかり爆睡し
撮影プランにとりかかろう。


2010年10月14日木曜日

まち。E139.39 N35.26  ♪別れのブルースあるいは♪ノクターン




♪窓を開ければ
港が見える
メリケン波止場の灯が見える

夜風潮風恋風のせて
今日の出船はどこへゆく

むせぶこころよ
はかないこいよ
踊るブルースのせつなさよ

腕に錨の入れ墨彫って
やくざに強いマドロスの
お国ことばは違っていても
恋には弱いすすり泣き

二度と会えない
こころと心
踊るブルースのせつなさよ



淡谷のり子、
石川さゆり、
憂歌団、
森進一がiTunesに入っていたので
とりあえずぜんぶ聴いてみた。

で、今宵の歌い手は森進一バージョン。
三人とも森の♪それは恋が好きだったしな。

どれも、あかりやからもらったものだった。

あかりやに、献杯。
池田さんに献杯。
そして、辻に献杯。
きみたちが逝った、その秋の夜に献杯したい。

映像は
きみたちが褒めてくれた
あの日本郵船博物館のときに撮ったもの。
出船の霧笛は、
大桟橋から出帆する真っ白な飛鳥のものだ。


むりやり、
雨の港も、重ねておいたぜ。












2010年10月13日水曜日

かわ。E139.80 N35.74 tokyo遊景





屈託を抱え込みながら、つなぐ。
自重すべし、と胸の底で。
つないでいて、なぜか胸が痛んだ。






















2010年10月12日火曜日

ひとはあそぶ



茂木健一郎が言うには…
遊びとは、
「何が起こるかわからない」という、
人生の偶有性に対する

一つの態度である。
遊びにおいて、
私たちは生の偶有性の

核心にもっとも近づく。
だからこそ、遊びは生産的である。
そして、だからこそ、

遊びは、危険な契機を含んでいる。 
『生命と偶有性』(新潮社)


ホイジンガが言うには……
ひとは遊ぶ存在である。

『ホモ・ルーデンス』




シラーが言うには……
ひと遊びのなかで完全にひとである。
『人間の美的教育について』




で、おれははこう思う…
正確には、おれが好む詠み人知らずの

せつない歌の世界では、だけんど。
一期は夢よ
遊びなされやただ狂へ















10.10.11までの編集ズミ ↓クリック


テーマはあくまで
「わたしがいてあながいてあたたちがいる」
ということを再確認。
「こころのうちのふるさと」というのは
たまたまのこと。

為念。



next! 4+1プロジェクト とりあえず93タイトル


/銀/白】moonlight/ 15タイトル
 素材▶満月・十六夜・十三夜・十二夜・十夜・三日月・二日月
 月の出[館岩湯の花・渡良瀬遊水池・仙石原・八幡平]
/透明】waterillusion24タイトル
   素材▶銚子・奄美大島・館岩・前沢・南郷・桧枝岐
 奥塩原・利根川・多摩川・横浜・古河蓮池
 古河ビオガーデン・厳頭湖・松川の池・八幡平大沼
 玉川・秋扇湖・抱き返り渓谷・吐竜・小渕沢(六月の水田)
    
/無色】wintersilence/ 12タイトル
  素材▶奥塩原・会津西街道・南郷・館岩水引・前沢・古河
        
/黄】autumnlyricism/ 12タイトル
   素材▶京都東山・立川昭和公園・秋田大館・奈良(総住研,飛鳥)
 仙石原・古河ビオガーデン・神宮外苑
曼陀羅colors/ 30タイトル
  素材▶奥塩原・館岩湯の花・前沢・玉原・吐竜・小渕沢・幸手堤
  利根川・ 渡良瀬遊水池・古河ビオガーデン・奄美大島
  京都大原・琵琶湖雄琴・若草山・奈良公園・早坂高原・厳頭湖
  松川の池・八幡平大沼・玉川・秋扇湖・抱き返り渓谷・上野公園
  千鳥ケ淵・八ケ岳
        


進行状況●現在9/12

コンテンツは、ほぼ再構成しおわったので
11日夕から基本計画にかかる。

 1.【まち】港ヨコハマ3、4月

  2.の。E139.40 N36.14渡良瀬遊水池 4月
  3.うみ。amami1 E129.27 N28.24【潮の音】 奄美大島 7月上旬
   4.うみ。amami2 E129.27 N28.24   奄美大島  7月上旬
   5.の。E135.51 N34.41  若草山   7月
  6.まち。E135.47 N34.43  京都郊外住宅街  7月
   7.やま。E140.42 N39.43 田沢湖 8月
  8.山。E141.0 N39.50 岩手山 8月
  9.【かわ】隅田川 9月

10.かわ。E139.31 N35.38 多摩川 9月
11.かわ。E139.41 N36.8 利根川  10月
12.【まち】横浜Xmas12月

12+.うみ。 E140.52 N35.42  犬吠埼 3月上旬


2010年10月11日月曜日

やま。E140.42 N39.43 辰子の湖



仙北郡の神成村に
辰子(たつこ)という名の娘が暮らしていた。
辰子は類い希な美しい娘であったが、
その美貌に自ら気付いた日を境に、
いつの日か衰えていくであろう
その若さと美しさを
何とか保ちたいと願うようになる。
辰子はその願いを胸に、
観音菩薩に百夜の願掛けをした。

必死の願いに観音が応え、
山深い泉の在処を辰子に示した。
そのお告げの通り泉の水を辰子は飲んだが、
急に激しい喉の渇きを覚え、
しかもいくら水を飲んでも
渇きは激しくなるばかりであった。
狂奔する辰子の姿は、
いつの間にか竜へと変化していった。
自分の身に起こった報いを悟った辰子は、
泉を広げて湖とし、
そこの主として暮らすようになった。

この湖が田沢湖である
悲しむ辰子の母が、
別れを告げる辰子を想って投げた松明が、
水に入ると魚の姿をとった。
これが田沢湖のクニマスの始まりという。
Wikipedia【三湖伝説】より





辰子伝説について、webをちどると田沢湖の宿のHPに女将が
かなり詳しく解説しているページがあったので興味がある方は↓


【野ゆき、山ゆき、海辺ゆき】


10年10月10日
【ふるさと】の夕日を3つ
つないだ。

12タイトルの
どの【夕日】もまた
ふるさと、ではあるけどね。

なぜなら
夕日は
【なぐさめと再生】だから。

ふるさとがあるひとも
ふるさとを忘れてしまったひとも
ふるさとを思い出したくないひとも

ひとは誰もこころのなかに
【ふるさと】をもっている。

目を閉じて
いままででいちばん
ホッとした時間
いいなぁと感じた場所
うれしいと思ったできごとを
ため息とともに想像すると
きっと、その場所が
あなだけの【ふるさと】だ。

ぼくは
そんなふうにおもいます。


今日は、ひと休みしたので
【山】と【海】と【野】を
ふるさとのつもりでつないでみた。
自分のビタミンがわりに、ね。
湯治部が【湯治部】という名を名乗る
きっかけとなったスバル・レガシーの
毎日毎日、夕日を撮った、みちのく♨ロケで
台本も構成もなく、みんなに配ったのは
A4のメモ一枚だけだった。

そのメモのタイトルは
【野ゆき、山ゆき、海辺ゆき】。
秋田の男鹿半島の寒風山の麓の岬で
撮った夕日のシーンが、↓だった。






【夕日】は

いつだって
センチメンタルだ。

ちょっと、照れますが(*⌒O⌒*)





↑デスクトップピクチャーにしたらなかなかだった




たとえば【の】にあるとしたら


それは、
こんな所だろうか?




この夕日を撮ったのは
外気温38℃の日。
低温実験室内との温度差は30℃くらいだったか。
実験の都合で3時ごろに撮影が終わり
ホテルに戻りたいという
プロデューサーと別れ、
京都の照明部の案内で
若草山に行った。
西らしくクマゼミがうるさいくらいだった。
涼みながら、鹿のフンを微妙に避けながら
古都の夕日を撮っているうちにヒグラシに変わった。
西日に染まっていく麓の奈良の街を見ていると
古のひとは、きっとこんな情景をながめ
ここに都をつくろうと思ったのだろうと感じた。

その西日に、丘の上の古木が染まっていた。
桜の古木だった。
いつか春になってこの桜が満開の頃
また撮りにこようと、夏の桜木を撮影。

明くる年の春、満開の桜をゲットした。
十五年近く撮影に通い
実験以外の奈良と、はじめて出会ったことになる。