2010年10月30日土曜日

楊令伝 15 天穹の章を頼んでしまった(T_T)

北方の水滸伝続篇「楊令伝 」の最終巻vol15が出ているのは
知っていたけど、ためらっていた。「sunset慰藉と再生」をテーマにしたのも
どこかで重なるものがあったのだと思う。
北方が、ほんとうのところどんな決着をつけるのか未読で悶々としても
ま、しかたないけど。テーマがテーマだけにせつない。
水滸伝19巻。揚令伝15巻。北方水滸伝正続34巻。
司馬のケレンをはるかに越えたと、おれは思う。
幕末も明治もどうでもいい
まだ流れている血が乾いていない現在こそ。
北方的、全共闘の総括の書。
それが水滸伝という幻影を得ることで
誰も書かなかった、いや書けなかった【あの時代とその後】を構築。
こころして、ページを開きたい。

閑話休題。ちょっと混乱していることを自覚

どうも“sunset”に取り組んでからジェットコースター状態が続いていて
もともと秋は好戦的になる傾向があったから、そんなものかと思っていたけど
ここ数日は、やたらとジャンヌ・ダルクを夢想。

ジャンヌが現れ、旗をふって
「フォローミー」とふり返る。
で、俺は、先駆ける。
気がつくと倒れていて青空だけが見えている。
と、ジャンヌの顔がフレームイン。
その目に浮かんだ涙に、息絶えていく自分の姿が映っている。
あっ、悪くねえな、と深い満足とともに溶暗。
流れている歌はロドリーゴのアランフエス協奏曲 。
歌い手は伊藤公子。つまり♪Follow me。

こんなイメージを思い浮べては、ため息をついている。
おれは、先祖に里見八犬伝の犬の血がまじっていて
こころの底の方で
凛々しい女に命じられたがっているのだろうか(苦笑)

男の終わりかたとしては、悪くないように思えて仕方がない。
十年前にも、同じ状態に襲われた夏があった。
戸籍に「むじな森」と江戸の頃から名づけられている
ほんとうに夜な夜なたぬきが出てきて月をみながら
踊り出すような、深い闇を抱え込んだ森でのできごとだった。

伊藤公子のフォローミーを知ったのは
スバルのモーターショーのコンセプトカー用ムービーで
あの、阿部さんが担当した映像に重ねて流されていたのがきっかけ。
映像はつまらなかったが、阿部さんの身を切るような想いが
ひしひしと伝わってきていたことを覚えている。

ま、秋のたわごと。
ピンポイント爆撃みたいなロケが連続しているので
神経がかなり過剰になっていて
その反動で無意識に鎮めようとする力が働いている?

と、したい。

2010年10月28日木曜日

冬を入れたくなってきた

いきなり真冬になったので、また、迷う。
吹雪の会津を、黄昏の一本としてもいいのでは?と。
曲り家の吹雪とぽつんとついた電灯、寂しいけど
だからこそぽっと灯がともる暖かさも…

28日未明
このところ奄美のことを考えていたからかな

2010年10月26日火曜日

12番目を“家路”に変える。

 
26日am5;43 これに変える。
千年相聞パイロット版第19夜
これでsunsetseriesを完成とする。


こころのはてにきづいた夜に
おのれの負けを記しておきたくなった。













2010年10月25日月曜日

southparadise異聞 “ 15 日ウォーズ佳境へ。 ”


件名: [japanesque:00240] 15 日ウォーズ佳境へ。
送信日時: 2005年 7月 16日 土曜日 2:10 AM
差出人: Toru Mashiko 
宛先:東京星菫派 ほか

すまんが、ひと足お先に奄美を越えた。

新月の撮入から12日目の
7月15日午後11時上弦の月、映像完成。
ツメの甘さがたたって最後はジタバタしましたが
あらためて通してみて、
われわれが現時点で成しうる、
ほぼ最良の仕事となったことを確認できた。
ここまでの仕上げ関係者に、
そのことをまず伝えたい。

さらに、寸暇を惜しんでスタジオを訪れ
激励、あるいは自らの達した世界を
確かめられた人たちに
まとめてお礼を申し上げたい。
みなさんが期待された通りの
素晴らしいdigital_Japanesqueが、
今夜片肌を脱いだところです。

音楽の井口さん
最後に長岡や古川と
大ボリュームで試写してみました。
悔しいが正直に言うぞ。泣きそうになったよ。
これは、おれだけではないと思うけどね…
大ボリュームで2回、試写した。
昨夜から今朝にかけてのおれの混乱と不安は
たぶん、これで解消できるのだと思えた。
例によってのスロースタートぶりに
怒って見せはしたものの
とりあえず脱帽しておきます。
永い付き合いも伊達じゃねえよな、さすがに。

録音の古川さん、ミキサーの浜田さん
一歩も引くな、と言いましたが
この仕事は、すでにパーフェクトな勝ちが見えた。
ひとりひとりのsouth paradiseを
追求してくれればいい。

テイストについて断っておきたい。
あの下品きわまる六本木ヒルズの影も無く
俳優座は劇場も映画館も灯がきらめいていて
WAVEがありシネ・ヴィバンがあり
青山ブックセンターがまだまともな本屋で
ときどき“れいの”あたりで打合せをしていた時代…
とはいえわずか数年前のことだけど。
あの頃の六本木のノリでいきましょう。

では17日には同じ六本木で
積水ハウスの編集をしますが
はやく終わると思うので顔を出すつもりです。
まず、圧倒するステレオを。
余力があったら5.1としましょう。
目を閉じたら、
あの杜でクルマを降りた時の圧倒する濃密な
音のシャワー体験が鮮やかによみがえること。
湖のようにおだやかな波音と
東シナ海ならではの荒ぶる波音の
差を明らかにすること。
生命樹・600年のいのちを持つ
ガジュマルに息吹を与えること。
以上がハードルです。

では、18日の大団円に向かってダッシュを!
おれは、くそして寝ます。

解熱。7.31夜

2005 07/31 19:25
熱がゆっくりと引いていくのが目に見えるように感じた。15分前。つまらないニュースをあくび半分で見ながらJVC塩原ロケの帰りにSAで買ったカレーの最後の一ヶを食べている瞬間。ああ、冷めていく…と感じた。自覚した。アタマのてっぺんから両手足のつま先にかけ、少しずつすこしずつ熱が冷めていくところが生理として知覚できたのだ。もしかしたらその30秒くらい前に流れたナイキの60"CMと関係があったのかもしれない。もういいな、ここまでだな、という感覚。目が覚めていく感じに似ていた。

   [ぼくらはぼくらに 
   または少女に
   それを視せて 
   とほくまでゆくんだと
   告げるのである
   とほくまでゆくんだ 
   ぼくらの好きな人々よ]
       吉本隆明「涙が涸れる」

たぶん、そういうことなのだ。熱がなぜ熱となって荒れ狂ったのか、そのことを知るよしもないし知りたいとも思わない。この7月は、ふしぎともいえるホットな時間となったという事実だけが、いまは残っている。書いたこと、伝えたこと、撮ったこと、つないだこと…そのどこまでに真実があったのか、あるいは無かったのか。それももうどうでもいいのだと思う。掛け声だけの薄味の夏としたくなくて、きっと足掻いていたのだろう。その幻を高め維持しつづけるために、無意識のうちにまきこんでしまった人に、あるいは人たちに詫びるコトバも見当たらない。狂夏としたかったのだ、と今夜のおれは自覚したが、ついさっきまで、その狂夏のまっただ中でのたうつ自分もあったのだ。なかったのではない。それは確かに存在していたよ。誇張も嘘もなく、書き連ねた、あるいは吐き落としたコトバひとつひとつは、その折々の真実。すくなくともおれはそう認識していた。でも、熱なら、いつか冷める。冷めてしまえば、うなされていた時間が嘘のように、おだやかな世界が開けている。
すまなかった。

2010年10月24日日曜日

♪Besame Muchoと♪天城越え

オキさん少なくとも日常の仕事はできているようだ。webは日々、更新されている。ただし書き込みに対するコメントの余裕はなさそうだ。元栄からメールで沖永良部島に本家があります、と。どこかで誰かが濃淡は異なっていても、つながっている。オキと会ったあの3日間のことを、朝から降り続いている氷雨のせいか、思った。七月の五日に上陸し、六日、七日と撮った。奄美大島空港でチェックイン待ちの時に、その日が七夕だと知った。キャストを誘い、イベントの短冊を書いた。おれは「あまみごえ」と。そしてロビーの笹竹にぶら下げた。北海道美瑛に決めていたロケを奄美に南転して10日あまり。夢のような収録素材を手に帰京し、さらに10日間の切ないような日々のこと。古いメール、webノートなどをたぐりつつ記憶が徐々にあざやかに復元していった。気づいたら3時間が過ぎていた。一部をコピーし、東京星菫派ブログに。southparadise異聞とした。この3時間の同伴者、いや同伴音楽は、あかりやさんがくれた“ベサメムーチョcollection”と“天城越え”。計20曲をリピートしたした回数はiTunesによれば182回。耳の底にベサメムーチョと天城越えが刻み込まれた気がする。体調が最悪の日曜日となったが、気がついたら少しラクになっていた。

その前の年の暮れ。SHチームの忘年会で、撮影部の忘年会から脱け出してきた古川が、ぐでんぐでんになって地の底からの絶叫のように発した♪天城越え。好きな女の歌いがい酔っ払いのカラオケなど聴く耳持たなかったけど、あの瞬間は背筋が凍った。ひとは思いがけない才能を秘めているものだ、と。古川は、録音する側ではなくされる方になるべきだと耳元で大声でどなったが、酔っぱらった古川は「ぼかぁ益子さんの仕事が大好きなんすよぉ」と繰り返すばかり。奄美の打ち上げの夜、歌わせようと仕向けたが、へらへらしているばかりで相手してくれなかったこと、いま思い出した。奄美越えから“奈落越え”へと続いた、あの暑い夏の記憶だ。 

southparadise異聞 “ユリイカとパンドラ”

2005 07/14 01:30
ユリイカとパンドラ
送信:2005年 7月 14日 木曜日 1:18 AM

表参道で8時から9時まで
Fさんに温暖化防止案の説明をし
タクシーに乗って川田さんに電話したら
PDP2台と液晶1台をセッティング中だから
見に来ないかと言われ、新橋のヴェルトへ回る。
安井さんとは去年の花鳥風月以来一年ぶり。
編集室に入ると40インチを超える
ディスプレイが3台横並び。壮観である。
異常な光景である。分配がうまくいかず
10時過ぎになんとか2台がOKに。
残りは明日の解決にまわし、映像を出してもらった。
HD900のテスト撮影をした
2001年8月5日舘岩村湯の花温泉で撮った
あの秘蔵の超月光シーンをはじめて
HDSR経由のPDPで見た。

ユリイカ!である。

あの稜線から出た満月は
光量が強すぎるので光の玉に見えるのだと
Hdarchive中にも思っていたのに、
月の陰影があったんだよ。

ただしこれは第6世代purevisionのみ。
パナソニックはまったく凡庸。
あの超満月は4年間、
光の強さだけに驚いていたけど
HD900は、その綾の部分を描出できていた。

そのことを今夜のテストランで知った。
マスモニターでチェックしていく事に
どんな意味があるのか
これは早急に解決すべき課題かも知れないね。
だってマスモニターで見えるのは
強い光の玉だけだったから。
今夜は奄美素材を封印し、archiveでテスト。

パンドラの箱は、明日と明後日だけ開かれます。
HDで撮ったものをHDSRで編集し
HD対応の最新PDPで見るのは
明日と明後日だけしかチャンスがありません。
スタジオは狭いですが、時間のあるスタッフは
ぜひ見ておく事をすすめます。


*********************************************************

「ないちゃだめ」
パンドラがとほうにくれていると、
小さな声がしました。
「だいじょうぶよ、わたしがついているから」
声は箱の中からきこえます。
「あなたはだあれ?」
パンドラはおそるおそるたずねました。
「わたしは『きぼう』です。
人間が『わざわいに』まけないよう、
おてつだいをします。
くるしいとき、かなしいとき、こまったときは、
どうかわたしをよんでください。
わたしはいつも、あなたたちの心の中にいます」
パンドラは「きぼう」のおかげでげんきをとりもどし、
またエピメテウスとなかよくくらしはじめました。
「きぼう」はパンドラだけのものではありません。
わたしたちが、くるしいとき、
かなしいとき、こまったときに、
くじけず、あきらめずにいきていけるのは、
心の中の「きぼう」が、なぐさめ、
はげましてくれるからなのです。
ほら、ごらんなさい。
雪がふり、風がふきつける、寒い冬。
でも、春はもうそこまできているのです。
歌野晶午「世界の終わり、あるいは始まり」


southparadise異聞♪モドレナクテモモウイイノォ


2005 07/28 03:32

ひるまスタジオでとりこんだ天城越えをさっきからずっとリピートしている。まともに聴いたのは、じつは今夜がはじめてのことだが、こりゃ名曲だな。なんか昔の出来の良かった頃の仁侠映画を観ているようで、思わず涙がにじむ。そして奇妙な勇気というかやる気が出てくる感じもあり。フレーズとメロがまことによく調和しているので正しい簡潔な日本語を聴かされているようで思わず居住まいを正したくなる。モノを知らないということは不幸なことも多いが、思いがけない歓びもまたあり。己の無知も時に活きる。あの奄美の熱と湿気のなかで天城越えをもじって奄美越えと名づけたのは、単にハードな仕事をクリアしたいという程度だった。はず。だがさっきから30回くらい聴き続けていると、また異なる風景が現れてもくるのだ。♪モドレナクテモモウイイノォクラクラモエルチヲハッテェなんかすげえ歌があったのだな、とあらためて。男と女のことはともかく、戻れなくてももういいの、と今夜のおれはそういう心境ではある。まいったな。奄美ならぬ天城越え。今日は、はまった。アナタトォコエタァイィアマギィゴォエェである。もう知らんぞ。



southparadise異聞05.07.19 01:38

2005 07/19 01:38

まさかあんな音楽を用意してくるとは。
最初の数十秒を聴かされた瞬間に、決めた。
感じていた欠落を補って余りある旋律だった。
6回見て、6回泣いた。
ハマルという言い方があるが文字通りはまった。
ショックですらあった。
これが自分の可能性なのかどうか。不明。
こんどの奄美行はいろいろな意味で
運と人に恵まれたのだ。それにしても…

southparadise異聞05.07.18 04:47

2005 07/18 04:47

いつまで引きずっていてもキリがないので
“奄美越え=south paradise”は
明日の完成を前に終了とする。
それにしてもサスティナブルまだ終わらず。
ほとんど持続不可能な段階に達しつつある。
MAに向かう気力が残るかどうか、
それすら心配になってきた。
ココロよりカラダが持たない。
泥沼というかシジフォスというか、
航路決めずの船出は、
やはりムリがあり過ぎるのだ。
イヤだな、という生理が鎮められそうにない。
旗かかげる気力すら皆無となった。
エムプティ。お手上げ。うんざり。
あれもこれも放り出しちまうかなあ。
啖呵切っちまおうかなあ。
拍手も喝采もどうでもいい。あきた。

southparadise異聞05.07.17


2005 07/17 23:57

おもに、浜田さん、古川さん、しんちゃんへ

いまコトブキのK3スタジオから
第2ビデオセンターに戻ったところ。

ステレオ仕上げとしての行方は見えたね。
明日は、文字通りの「奄美越え」。
奄美の音素材を配置しながら
奄美でもどこでもない根源としての
southに近づけばOK。
どこでもないpureな場所へ。

きみたちが奮闘している間に
ぼくは別件のCG編集をしていて、
まだまだ終わりそうもないのですが
今日の時間を共にしたいと
山岡に見つからないように
「奄美越えver.3」を2本つくっておいた。
先に家にたどり着いてたら
ビールでも片手に眺めてね。
「奄美越えver.3」aタイプ男と女篇
「奄美越えver.3」bタイプ19の春篇
個人的にはbタイプ19の春篇が好きだけどな。

では明日、K3で。
ともに喝采を浴びましょう。

ましこ@六本木地下


喜界島そして奄美。south paradise前夜のこと。



北から南へ舵を切ると決めたとき
P社の地下のレストランに
長岡と山岡と古川がいた。
上の会議室では紛糾をどう収拾するか
クライアントと汐留とプロダクションが
バトル中。いや、おれを外す算段中と
腹を決めた上で美瑛のロケハンから羽田に戻った
渡辺がかけつけてくるのを待っていた。
降りると言明した上で
もし続けるように申し入れがあった場合を
4人で想定しながら腹に食い物をいれていた。
そのとき古川がぽつんと呟いた。

「きかいじま」
「なに?」
「奄美なんです」
「あまみって、あの奄美か?」
「そこのはしっこで
きかいじま。
喜ぶ、世界の界。
いままでロケで行った中で
この世のはてみたいに
きれいなところでした」
「この世の涯か。
喜ぶ世界の島で
きかいじま、か。
よっし南転しよう」
「えっ、いいんですか?
おれの感じだけで」
「この世の涯なんだろう?
       それ以上、何がある。
北進転じて南へ。
こっちから申し出よう」

そこに渡辺が北海道から直行してきた。

「なべ。いろいろあったけど
美瑛は捨てる。奄美だ。
南に舵切るぞ。
南だ。南。
すぐに調べろ」

目が点になりながら
「はい」と返し、「で?」と聞いた。
長岡も古川も、すでに気持は南に向いている
そんな顔でうまそうにコーヒーを飲んでいた。
山岡は、当たり前のように微笑んでいた。

降りてきたプロデューサー二人に
その旨を伝えると、死んでいた目に
さっと炎が走った。
勝てる展開をつかんだときのプロデューサーは
まことにしたたかで強い。

ことは一気に進み
十日後には、奄美の海辺にいた。
そのそばで西郷さんのようなオキさんが
永遠に続くような微笑みを浮かべていた。
泣きたくなるような静かで美しい浜だった。

これが“south paradise”と名づけたムービーの
southの根拠である。

    B・ベントンの“雨の夜のジョージア”を聴きながら
2010.10.24 雨の夜に T.M

きっかけ

たぶん【夕日】をつなぎ出したことが、遠因だったのだと思う。
12日の夜にこんなことを書いていた。



で、おれははこう思う…
正確には、おれが好む詠み人知らずの

せつない歌の世界では、だけんど。




一期は夢よ


遊びなされやただ狂へ
 







この後の二日間で
東京夕景と横浜夕景をつないでいる。
過剰さが濃くなっていた。

勢いのあまり
こんなぶれに迷い込んだのか。

ありえない。

実在って何だ。
実在していないとはなんだ。







落花。10.21.17:30 金沢






10.21十四夜 金沢。雲に隠れて見えず。夜半に雨。
10.22十五夜 金沢。撮影が終わり撤収中に瓦屋根の上に春の宵のおぼろ月のようにぼんやりと黄色い月が。風はあたたかくなまめかしいような、匂い立つような妖しさに満ちていた。東京に戻って見上げたら南天に高だかと浮かんでいた。
10.23十六夜 OK出しが終わり眺めた。蒼空にねずみ色の羊のような雲。その雲の間からさえざえと輝く月。余韻の観月の風情は皆無。激しい嵐を予感させるような猛々しいまでの月光だった。雲の流れもまたすごい速さで、口あけてしばらく見とれた。数時間後、webにアップロードし、外へ。十六夜月と星がいくつか。月光の下の星月夜。この月を誰が眺めているのだろうか。そう思うと、やるせなくなった。

なお、“水盤”に紅い花びらを浮かべたことに深い意味はなし。水があって、すぐ近くに椿の樹が揺れていたから。落花流水とは、流れる水あってのことである。水盤の水は流れず。あふれていくのみ。




“落花流水”web辞書より
落ちた花が水に従って流れる意で、ゆく春の景色。転じて、物事の衰えゆくことのたとえ。時がむなしく過ぎ去るたとえ。別離のたとえ。また、男女の気持ちが互いに通じ合い、相思相愛の状態にあること。散る花は流水に乗って流れ去りたいと思い、流れ去る水は落花を乗せて流れたいと思う心情を、それぞれ男と女に移し変えて生まれた語。転じて、水の流れに身をまかせたい落花を男に、落花を浮かべたい水の流れを女になぞらえて、男に女を思う情があれば、女もその男を慕う情が生ずるということ。