2006年5月23日火曜日

裸の“力”

人も動物も樹木も花も、世界の《いのち》は大地から生まれた。
それらのすべての《いのち》は、同時に大地に還っていくものでもある。循環していく《生》。滋味ゆたかな大地は、だから無数のいのちを生み出し、育み続ける。たとえば、目の前に広大な森がある。その森は遠くから見るとどっしりとしたひとかたまりの建造物のように見えるはずだ。よほどの大風が吹いても森全体はさわっと震えて見せるだけ。近づいてみる。遠くからは塊に見えたものが巨大な樹木の群れであったことが見て取れる。さらに近づく。一本の巨大な樹木がある。数十メートルの樹高と数メートルの幹の太さがあるのがわかる。見上げればびっしりと繁った梢が緑の大屋根をつくっている。幹にそって目を下に。ブッシュ。根元のあたりは濃密な草や色濃い花で、すき間なく埋め尽くされている。花の蜜を吸う極彩色の鳥、蝶、変わったカタチの虫なども見えるはず。(熱帯のジャングルではなく田中一村的世界でもいい)さらに焦点を足下に合わせてみよう。つま先のほんの50cmほど前の草むらに目を近づける。

10cm四方の草むらを赤い糸で区切ってみる。それが《世界》だ。たとえば、そこでは数百匹のアリが額に汗しながら花の蜜を吸いすぎて腹がふくらんで飛べなくなった色鮮やかな蝶を力を合わせて運んでいるかもしれない。その行く手には巨大な隕石のような水玉が轟音をあげて落ちていたりする。もちろんそれは単なる雨粒だが。さらに少しはなれたところではてんとう虫のカップルがサンバを踊ったりもしている。さらにもっと小さな名もしれぬ虫達が意味のわからないカーニバルを繰り広げたりしているかもしれない。あちらこちらに、カタチの異なる東京ドームのような大きさの木の実が奇妙な摩天楼をつくっていたり、色とりどりの花粉が風に運ばれて天然色の雪のように降り注いでいるのかもしれない。さらにミクロへと進めば、得体のしれない形状をした生き物が、あるいは生き物とはとても思えないような生命体がB級SF映画のような光景を描いている。さらにミクロへ。巨木の根のほんの一部のそのまた一部の小さな小さなひげのような根が、巨大な地下トンネルとなって、土中の養分と水分をゴウゴウと濁流のような音を立てて運んでいる。その流れの中で悲鳴を上げておぼれている何かの細胞の姿も見える。もっとミクロへ。細胞。さらにディティルに…ディティルの先に無限。これが、《世界》だ。

人間は、この《世界装置》と構成要素のほんのひとかけらである。ナチュラルであるということは、こうした世界要素の一部であることを自覚し、限りなくシンクロしていくことだとしよう。

0 件のコメント: