2006年6月4日日曜日

No.84 な、ら、く。6.4

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06.6.4荒編 
place;吹割れの滝

奈落越え撮影直後のwebメモから++++++++++++++++++++++
2005 07/29 01:01「奄美越え奈落越え新宿砂漠」
出がけにメールをチェックしたら嬉しいメールが一本。古河の田中さんから。続けて空環研究所の田中さんからも。この二人の田中さんのメールで元気が出た。ウナギを喰ってから広尾の地下へ。陰影のある音世界ができあがりつつあった。作業を見ながら、ナレーションに手を入れる。青木菜なさんが来たので相談。録りながら様子を見ることにし、本番。ひさしぶりに気持ちのいいナレーション録りを経験。うんざりするような改悪ゼロは何年ぶりのことか。チェックを兼ね、青木さんと通しで見た。笑って欲しいところで反応してくれるのを斜め後ろから見ながらホッとした。青木さんは、しかし凄いな。いままでチャレンジしなかった世界の可能性を感じさせてくれる。合う合わないのとてもはっきりしたキャラクターだけに、貴重だ。榊原さん以来の幸運なのかもしれない。さらに夜になって澤本さんからメール。滝の撮影の日、おれが奈落越えなどとばかり書いていたから心配になったらしく現場を見にきていたらしい。そのときの写真が貼付されていて、そのポイントはおれたちが狙った場所とたがわなかった。ちよっとしんみりさせられた。さて、ここからは砂漠の時間。新宿砂漠の時間となる。

2005 07/26 01:45「この場を借りて、一本締めといきます。」
ましこです。
夏の名残の奈落越え、勝利しました。
あんな奔放な水のありようを、
まだ誰も見たことがない。
25日午前5時、雨 午後5時、雨
この12時間で、奈落を越えたよ。
あんな場所にクレーンを据えた特機部のくそ度胸と
そこまでして撮ることにこだわった撮影部と
奈落にサラウンドマイクを突っ込んだ突撃録音隊と
連続徹夜に目の下のクマを倍増させながら
無理難題に応えつづけた若き美術部の美青年若林君と
押し寄せる観光客の波を最後までもめることなく捌ききった制作部と
トイレもない120段余の急階段の現場にもかかわらず
笑顔でがんばった29歳と9歳の母娘と
ヤマユリをあのがんばっている母娘の手に飾らせたいという
ヒゲ男ワタナベの申し出にワタシは見なかったコトにしましょうと答えた
利根町役場教育委員会のお目付け役人の
上州からっ風に育てられた大岡裁きと
降水確率、台風近接の予報をものともせず、
goの英断をくだした川田&相馬プロデューサーと
異常なまでの愛嬌とやけにでかい握り飯と魚肉ソーセージを届けてくれた
元美人の中年女将と番頭さんにも
愛をこめて感謝を捧げたい。
もちろん、はるか離れた奄美にあって
7号の北上を抑えてくれた畏友にも深謝。

みなさんのわけのわからない情熱と遊び心の勝利です。
ニッポンの“夏の水”を、ゲットしました。
ありがとう。そして、おつかれさまでした。
この場を借りて、一本締めといきます。
いょぉっ!

           2005.7.26 am1:30 T.M

2 件のコメント:

torum3 さんのコメント...

奈落越え直後のwebメモから++++++++++

2005 07/31 19:25「解熱。7.31夜」
熱がゆっくりと引いていくのが目に見えるように感じた。15分前。つまらないニュースをあくび半分で見ながらJVC塩原ロケの帰りにSAで買ったカレーの最後の一ヶを食べている瞬間。ああ、冷めていく…と感じた。自覚した。アタマのてっぺんから両手足のつま先にかけ、少しずつすこしずつ熱が冷めていくところが生理として知覚できたのだ。もしかしたらその30秒くらい前に流れたナイキの60"CMと関係があったのかもしれない。もういいな、ここまでだな、という感覚。目が覚めていく感じに似ていた。

  [ぼくらはぼくらに 
   または少女に
   それを視せて 
   とほくまでゆくんだと
   告げるのである
   とほくまでゆくんだ 
   ぼくらの好きな人々よ]
       吉本隆明「涙が涸れる」

たぶん、そういうことなのだ。熱がなぜ熱となって荒れ狂ったのか、そのことを知るよしもないし知りたいとも思わない。この7月は、ふしぎともいえるホットな時間となったという事実だけが、いまは残っている。書いたこと、伝えたこと、撮ったこと、つないだこと…そのどこまでに真実があったのか、あるいは無かったのか。それももうどうでもいいのだと思う。掛け声だけの薄味の夏としたくなくて、きっと足掻いていたのだろう。その幻を高め維持しつづけるために、無意識のうちにまきこんでしまった人に、あるいは人たちに詫びるコトバも見当たらない。狂夏としたかったのだ、と今夜のおれは自覚したが、ついさっきまで、その狂夏のまっただ中でのたうつ自分もあったのだ。なかったのではない。それは確かに存在していたよ。誇張も嘘もなく、書き連ねた、あるいは吐き落としたコトバひとつひとつは、その折々の真実。すくなくともおれはそう認識していた。でも、熱なら、いつか冷める。冷めてしまえば、うなされていた時間が嘘のように、おだやかな世界が開けている。
すまなかった。

匿名 さんのコメント...

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