2006年7月5日水曜日

No.96 crescent night 7.5

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撮影場所:奈良県若草山山頂
音楽:東京星菫派顧問菊池雅志“月光”を仮あて

一年前の七月五日は、奄美にいたのだ。
新月の頃で、夜になると宿のまわりの空は濃い闇とむせるような熱気に包まれていた。
奈良若草の頂で撮った鎌のように細い二日月をつないでいると
灼熱と静寂と2つの時間が溶け合っていく。
一年が過ぎたのだなと、誰にというわけでもないが乾杯したくなった。
     2006.7.5未明 T.M


++++++++一年前のMLから+++++++++++++++++++++++++++++++++
Re: [japanesque:00230] パラダイス、である。

深夜モードを通り越して夜が明けてしまった。
荒編したものをDVDに落とし、
たったいまテレビで見たところ。
「イヤイヤ詰めた」と、
さっき書いたが、豹変した。
取り消しておきたい。
あっちもいいが、こっちはもっといい。


「極上至極な楽」と企画書に書いたが
south paradiseは、そのままの一本となった。
ある日、流れる雲を見上げ
ここではないどこかへ…
と思い立った男あるいは女が向うのは
あふれるような生命力がみなぎる南、である。はず。

なぜなら、つかれたいのちは
いのちによってなぐさめられ
励まされるほかないのだから。

で、男あるいは女は、南へ向う。
そして46億年と出会うのだ。
それは水と樹木。
いいかえれば細胞の源と酸素の供給源。
この二つが可能な限りあるべき姿で
つまりpureな状態で維持されている場所。
ひとは、水でできている。
いや、はるか昔、彗星によって運ばれた水の粒子が
この過剰なほどいのちあふれる星の起源だったという。
奄美をひらけば「あまみ」。天の水と読めるから
というのはちと強引だけどね。
あそこには本質的に
つかれたいのちを慰謝してくれる
濃密でpureなものがあるのだと思う。

雲を見て南に誘われた
男あるいは女=わたしあるいはあなた=わたしたちは
そのsouthで水と空気と樹木にふれることで

もしかしたら女あるいは男に出会うことで
自分の中に秘められた可能性=想像力=夢見る力と
いつか再会することになる。はずです。そうなればいい…

5分足らずで、と思っていたが
見直して、そういうことが暗喩できている、
と感じられた。



おとなしい感じの真っ白な服をまとって南に向った
男あるいは女は やがて
あざやかなオレンジ色の服を着たもうひとりの自分と出会う。
その赤い服をまとって南で過ごすのは、いわば夢の時間。

太古の家=夢の跡を目にし
あざやかな花=生きている夢を手にし
息苦しいほどオゾンが充満した森=明日の夢に遊び


すべてのいのちの源となった海辺で再び真っ白な服に戻る。
しかしその服は潮風にあおられ荒布のようにはためいている。
風に布をなびかせて、男あるいは女は昂然と顔を上げて
波うちぎわを歩いていく。帰るべき場所に向っていく。
目を上げた先には巨大なオレンジ色の夕日が燃えている。


慰謝と再生。
これが極上至極なリゾートライフの本質であります。
疲れていることを自覚できようとできなかろうと
ひとは根源的に、なぐさめられ力づけられることを望みます。
生きていることは愉しいことだ、と囁かれます。
南に向うとは、そういうことなんだね。
だってひとは南からやって来たのだから。

さて、なんでPDPなんだ?
ま、いいじゃん。
South paradiseをpurevisionで見たら
そりゃ一目瞭然。眼からウロコだもの。

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