2006年6月24日土曜日

No.88 森の気配6.24

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撮影場所:玉原高原ブナ平
2006.6.21夏至撮影

はる‐ぜみ【春蝉】

セミ科の昆虫。はねの端まで全長三五ミリメートル内外。形はヒグラシに似て、小さい。体は黒色ないし黒褐色で、雄の腹部には金毛がある。はねは透明で、数個の暗色点がある。日本に産するセミのうち最も早く四〜六月に現れる。松林に多いことからマツゼミともいう。日本の特産種で本州・四国・九州の暖地に分布。春のせみ。《季・春》

2006年6月21日水曜日

No.87What A Wonderful World6.21

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撮影場所:利根川土手
仮当てした音楽/風のササヤンカ村他

+++++++++古いwebメモから++++++++++++++++++++++++++++++++++
●けやきのフラッシュ
at 2001 11/03

駅まで歩いて、雨足の強さに気分が萎えた。Uターンし、オフィスに。いつも夜にうろつく公園の木々の葉がずいぶんと落ちてしまっていることに気づく。絵画館前の並木はどうなっているか、と気になった。
氷雨、本降り。いつもワタナベのクルマで動くので傘をさして街を歩くのもひさしぶりだ。タバコを二本、ケヤキの下で灰にした。もっとずっと小さい子供のような背丈のケヤキのそばでこんな本降りの夕にタバコを吸っていたシーンがフラッシュした。
須賀川。むじなの森。ジ・アース館の前の湖のほとり。小さなケヤキが植えられていた。あのケヤキのそばに立ちすくんで、あるいは力つきて腰をおろし、何百本のタバコを灰にしたことか。雷。嵐。大雨。台風。夜霧。夕日。十六夜。虹。ヒグラシ。カエル。鈴虫。白い雲。青い空。風。夜のゴンドラ。森の滴と名づけられた小さな三千本の灯。提灯の灯影。小松明の群れ。焔。水。水。水。水。おれのみずの日々。切迫。焦眉。灼熱。焦燥。奔流。激情。鎮静することのない、静まることのないこわばった時間。その熱い塊。混迷のピークで出あった、魂を抜き取られるような舘岩村・湯の花の月の光。足元でふみつけられそうだった小指の先ほどの紫露草が放った夏の光。
けっきょく、街には出ずに、オフィスに。窓を開け、氷雨を眺めながらハワイアンを聴いている。考えればおかしな組み合わせだが、意外と似合っている、ように思う。
《Somewhere Over The Rainbow/What A Wonderful World》と名づけられた不思議な趣のある曲をリピートしながら。今日は、なんだか誰とも会いたくない。誰の声も聴きたくない。
ワタナベは明日あたり廃虚となったむじなの森に行ってみるらしい。こんな夕暮れもいいじゃねえか。

2006年6月18日日曜日

No.86 湖畔の月光6.18

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撮影場所:八幡平山頂、田沢湖
仮あて音楽:菊池雅志「月光」

2006年6月17日土曜日

No.85 たったひとりの女のために6.17

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再開。
新しい素材からとも思ったが、気合いを漲らせるために情から入る。
素材撮影:田沢湖畔トンボのホテル
仮あて音源:1991光の日本エンディング前半

タイトルは福島さんの

「たったひとりの女のために赤々と灯しつづけてきたるカンテラ」

から借用。
どこにでもある見逃せばただ過ぎていくだけの光景が
ふと気づいてみれば、
その一瞬だけ存在する幻の女のように思えることもある。
ただの海じゃん。ふつーの空じゃん。夕日じゃん…
その通りなのだ。すべてはただの風景で
すべてはただの女で男で
いとしいひとでものでことでも、ある。
意味など、どこにもない。
そして意味は無限に、存在する。
表現されるるモノは
いつどんなときでも弱った心や痛んだ魂のためにだけ有用である。
明るく元気でなに不自由なく不安も抱えずに生きているとき
表現されるものは、ことごとく無用である。
想像は、不要である。ただひたすら生きることを愉しめばいい。
と、ぼくは思います。
Japanesqueって何?
という問いに、答えるとすればそういうことかな。

ちなみに福島さんはこんな歌も書いている。

「風孕み落ちゆくまでの一瞬をわれらはわれを愛すほかなく」風に献ずより


以下引用++++++++++++++++++++++++++++++++
件名: [yumekoujou:00075] 第1回目のロケハン / ロケ報告
送信日時: 2004年 8月 4日 水曜日 0:28 AM
差出人: Toru Mashiko
成功を確信しつつ、ロケハン/ロケぶじに戻りました。
一昨日、炎天下の川に入って撮影するスタッフの下流で
素裸になり水ごりをしロケ成功祈願をひとり敢行した、マシコです。
(じつは、あまりの暑さというか熱さに水浴びをしていた。
二十年ぶりぐらいかな、川泳ぎをしたのは)
本番は9日に東京を出発。10日、11日、12日と決定しました。
素晴らしいシーンになると思います。

なお1日から3日までのロケハン/ロケでは
深山に昇る満月と山間の湖に浮かぶ十六夜の月、ニケ
山頂と湖の夕日と夕焼け、ニケ
見たらそこで泳ぎたくなるような美しい流れの川、数ヶ
見たらそこでこころとカラダを休めたくなるような森の湖畔、一ヶ
思わず吸い込まれそうになるふしぎな水の流れ、数ヶ
「夏ッ!」と叫びたくなるような緑の草原と真っ青な空と白い雲 数ヶ
背丈より高い葭原を吹きすぎる夏の風と夏雲の影、一ヶ
…など、
「おっ、これぞまさしく夏休み」と膝を打ちたくなるような
愛と正義に満ちた凛々しい「日本の夏休み」原風景を映像に収めました。

この正調・日本の夏が、
どんなふうに作品に取り入れられていくことになるか
お盆前には、最初の答えが出るはず。
制作スタッフは、9日の東京出発に向けて
さっそく明日から準備に入りますので、お盆休み明けの
吉報第1弾をお楽しみに…

2006年6月11日日曜日

風に吹かれる牡丹



   そのひとは夕べの鐘のやるせない哀傷 風に吹かれる牡丹
     -わがひとに、もしくは藤純子に-福島泰樹“晩秋挽歌”


吉祥寺から戻った渡辺にクルマの中で、これだけでも見ませんかと渡されたSONY-HDVの小さな液晶にあらわれた福島泰樹のアップの冒頭で絶叫していたのが、この歌だった。若いピアニスト川口の演奏を観たくてなんとか曼荼羅に同行したかったが、頭に入れないと間に合いそうもない資料を前にあきらめた。様子を渡辺から聞ければと思ってはいたが、ムービーをまわしてきてくれるとは予想していなかった。渡辺は、川口が出たシーンを見せてくれようとしたのだが、たまたま画面に映ったのが冒頭の一首だったのだ。晩秋挽歌に載った-わがひとに、もしくは藤純子に-その二の第一首。耳にした途端、稲妻にあったような気分になった。はじめて福島さんの歌集を買ったのが“晩秋挽歌”だった。まだ妻に寄食して川べりのアパートで暮らしていた二十代の真ん中の頃。塚本邦雄の“詞華栄頌”で福島泰樹を知ってから、はじめて手に入れた記念の一冊。色褪せた“詞華栄頌”には加藤賢明から届いた村上一郎の自死について書かれた75年3月31日の消印のあるハガキとカラカラに乾いたもみじが二葉はさまれていた。たまたまゆうべ、急に藤純子の緋牡丹博徒が観たくなり、DVDを二枚続けて観たばかりだった。いずれも加藤泰の撮ったもの。「花札勝負/昭和44年2月公開」と「お竜参上/昭和45年3月公開」。匂うように美しく凛々しく切なかった“お竜さん”をときどき無性に観たくなる。夕べが、そんな夜だった。どうということのない符合にすぎないとはいえ、感じるところもあり。


 機動隊よそこに尿するなかれ昨日おれがオフェリア抱いたところ

はじめて読んだ福島泰樹の歌である。塚本邦雄の“詞華栄頌”74p「奔馬-福島泰樹」とタイトルのある2ページばかりのオマージュに、この歌が引かれていた。そして塚本はこんなふうにしめくくる。

「これらの作品の背後には哄笑がひびいている。世界の悲劇を己が悲劇としてではなく己が小世界の悲喜劇を日本の悲劇であるかに深刻化して死ぬの生きるのと騒ぐ事大主義など泰樹には全く無い。唇を噛んだ歯で酒瓶の栓を剥ぎ、法華三昧会をするくらいの器量がある。その野放図な生命力と、昨日抱いたオフェリアの屍骸に泰山木の一花置いて口笛と共に去る諧謔あってこその[青春]であろう。あってほしい翹望が、それこそ私の泰樹を選んだ不条理の源ではなかったか」

と。

2006年6月8日木曜日

break順延

第1にたまっていた小説を読みたかった。これはすんなり。第2にジャパネスク以外に実務としての仕事に集中してみたかった。こちらはそれなりに過ぎるかと、拍子抜けしかかったが、伏兵あり。イメージサイエンスの若いプロデューサーからの唐突な依頼が、その伏兵となった。依頼内容より、むしろ依頼のスタイルに感じるものがあった。本腰入れる気分にさせられた。このあいだCの件で会ったOもなかなかよかったし、こんどのWも輪をかけて骨がありそうだ。週末前までブレークと考えていたが、週明けまで延長。週末に全力をあげてみたい。ため息つかせてやりたい。そういう気分にさせられる真摯さがあった。

2006年6月4日日曜日

break


ヒートアップしてきたので、しばしブレークとします。
ほぼ寝ても醒めても状態で、かなりきつくなってきた。
あとはバラバラに撮った素材を概観すればOK。かな。
はるばる五年ともたったの五年とも…

予想通りの“宝の山”であったことは、しっかり確認できた。
しかもなお、この“宝”は増殖中でもある。
ちょっと休まないと、パンクしそうなので

No.84 な、ら、く。6.4

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06.6.4荒編 
place;吹割れの滝

奈落越え撮影直後のwebメモから++++++++++++++++++++++
2005 07/29 01:01「奄美越え奈落越え新宿砂漠」
出がけにメールをチェックしたら嬉しいメールが一本。古河の田中さんから。続けて空環研究所の田中さんからも。この二人の田中さんのメールで元気が出た。ウナギを喰ってから広尾の地下へ。陰影のある音世界ができあがりつつあった。作業を見ながら、ナレーションに手を入れる。青木菜なさんが来たので相談。録りながら様子を見ることにし、本番。ひさしぶりに気持ちのいいナレーション録りを経験。うんざりするような改悪ゼロは何年ぶりのことか。チェックを兼ね、青木さんと通しで見た。笑って欲しいところで反応してくれるのを斜め後ろから見ながらホッとした。青木さんは、しかし凄いな。いままでチャレンジしなかった世界の可能性を感じさせてくれる。合う合わないのとてもはっきりしたキャラクターだけに、貴重だ。榊原さん以来の幸運なのかもしれない。さらに夜になって澤本さんからメール。滝の撮影の日、おれが奈落越えなどとばかり書いていたから心配になったらしく現場を見にきていたらしい。そのときの写真が貼付されていて、そのポイントはおれたちが狙った場所とたがわなかった。ちよっとしんみりさせられた。さて、ここからは砂漠の時間。新宿砂漠の時間となる。

2005 07/26 01:45「この場を借りて、一本締めといきます。」
ましこです。
夏の名残の奈落越え、勝利しました。
あんな奔放な水のありようを、
まだ誰も見たことがない。
25日午前5時、雨 午後5時、雨
この12時間で、奈落を越えたよ。
あんな場所にクレーンを据えた特機部のくそ度胸と
そこまでして撮ることにこだわった撮影部と
奈落にサラウンドマイクを突っ込んだ突撃録音隊と
連続徹夜に目の下のクマを倍増させながら
無理難題に応えつづけた若き美術部の美青年若林君と
押し寄せる観光客の波を最後までもめることなく捌ききった制作部と
トイレもない120段余の急階段の現場にもかかわらず
笑顔でがんばった29歳と9歳の母娘と
ヤマユリをあのがんばっている母娘の手に飾らせたいという
ヒゲ男ワタナベの申し出にワタシは見なかったコトにしましょうと答えた
利根町役場教育委員会のお目付け役人の
上州からっ風に育てられた大岡裁きと
降水確率、台風近接の予報をものともせず、
goの英断をくだした川田&相馬プロデューサーと
異常なまでの愛嬌とやけにでかい握り飯と魚肉ソーセージを届けてくれた
元美人の中年女将と番頭さんにも
愛をこめて感謝を捧げたい。
もちろん、はるか離れた奄美にあって
7号の北上を抑えてくれた畏友にも深謝。

みなさんのわけのわからない情熱と遊び心の勝利です。
ニッポンの“夏の水”を、ゲットしました。
ありがとう。そして、おつかれさまでした。
この場を借りて、一本締めといきます。
いょぉっ!

           2005.7.26 am1:30 T.M

2006年6月3日土曜日

No.83 sandstorm6.3

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06.6.3荒編 
place;奄美大島

去年のwebメモから+++++++++++++++++++++++++
2005 07/26 02:49「23/25」
7月1日のプランを書いたのは6月21日。7月4日-7日のプランを書いたのは6月23日。その夜、美瑛から奄美に変更。吹割りの滝下調べを決めたのは7月1日。滝の下見レポートを奄美で受け取ったのが7月6日。奄美を終わらせたのが、7月18日。dyneを終わらせたのが7月22日。7月25日のプランを書いたのはいつのことだったか。最終は7月23日。撮影のべ7日。編集のべ12日。MAVのべ4日。今日は7月25日夜。撮影&編集&MAVのべ23日間。これはけっこう激烈であったな。さらに7月は編集&MAVが2日控えている。たいした夏でもある。

2005 07/28 03:32「♪モドレナクテモモウイイノォ」
ひるまスタジオでとりこんだ天城越えをさっきからずっとリピートしている。まともに聴いたのは、じつは今夜がはじめてのことだが、こりゃ名曲だな。なんか昔の出来の良かった頃の仁侠映画を観ているようで、思わず涙がにじむ。そして奇妙な勇気というかやる気が出てくる感じもあり。フレーズとメロがまことによく調和しているので正しい簡潔な日本語を聴かされているようで思わず居住まいを正したくなる。モノを知らないということは不幸なことも多いが、思いがけない歓びもまたあり。己の無知も時に活きる。あの奄美の熱と湿気のなかで天城越えをもじって奄美越えと名づけたのは、単にハードな仕事をクリアしたいという程度だった。はず。だがさっきから30回くらい聴き続けていると、また異なる風景が現れてもくるのだ。♪モドレナクテモモウイイノォクラクラモエルチヲハッテェなんかすげえ歌があったのだな、とあらためて。男と女のことはともかく、戻れなくてももういいの、と今夜のおれはそういう心境ではある。まいったな。奄美ならぬ天城越え。今日は、はまった。アナタトォコエタァイィアマギィゴォエェである。もう知らんぞ。

No.82 a virgin forest.6.3

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06.6.3荒編 
place;奄美大島

No.81 green island6.3

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06.6.3荒編 
place;奄美大島

No.80 うみゆかば6.3

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06.6.3荒編 
place;犬吠埼

三年前のwebメモから
2003 03/30 02:06「はじめて海に出あったとしよう」
たとえばぼくは深い森のある山あいに暮らしている。
生まれてからまだいちども海というものをみたことがない。
ある日、話に聞く、海というものが
どうしても見たくなり、
いくつもの山や丘や川や平野を越えて海に向かった。
季節はきっと、春。
桜が咲いて、大地が緑になって
空に鳥たちが飛びかい
月がしみじみときれいな夜がつづくころ。
ぼくははじめて見る海に向かったのだ。

そして、ついに
海と出会う。

そのときぼくはどんなコトバをもらすのだろうか。


最初に感じるのはきっと際限のない明るさ
同時にまぶたを突き刺すようなまぶしさ
明るさとまぶしさに目がなれた頃
はてしない水平線を前に無限の広さを感じ
そして最後にわけもなくうれしくなって笑いをこぼす。

自分の中にありつづける海のイメージは
そういうふうなものらしい。
そして、その海は
つねにひらがなで飾られている。


なんだかガキのようだが。
そんな気がしている。

webの観光ナビhttp://www.city.choshi.chiba.jp/kanko/sa_shinkou/guide/inubou/inubou.htmlから
豪快な犬吠埼の突端にそそり立つ白亜の塔、犬吠埼灯台は1874(明治7)年英国人リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計により造られた西洋型第一等灯台で、日本で24番目に点灯されました。
レンガ造りの建築物としては日本一の高塔(31.57m)として、また第一等4面レンズを通して200万カンデラの光を発しており、名実ともに日本一の灯台です。99段のらせん階段を昇った眺望は太平洋の孤島に身をおいた錯覚を覚えるほど雄大です。
平成10年には「世界の歴史的灯台100選」に選ばれました。

“80日間世界一周”達成!


80タイトル目は“うみゆかば”とした。
犬吠埼の岩場から撮った
沖を行き交うカモメと貨客船。
2003年春三月の晴れわたった昼前の光景。
いくらかセンチメンタルな気分あり。
三月二十八日からちょうど67日目。
約2週間を残し、“80日間世界一周”達成となった。
数に特別の意味もないが、
ここまで集中を継続できたことを祝っておきたい。
酒は、熊野川。
近いうちに、“熊野”攻めが叶うことを願いながら。

ま、乾杯である。

  2006.6.3未明  T.M

No.79 spring silver6.3

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06.6.3荒編 
place;九十九里

2006年6月2日金曜日

No.78 夕陽ケ丘6.2

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2006.6.2荒編 no.78
撮影場所 奈良若草山

sunsetシリーズとして
「丘のsunset」

No.77 とほくまでゆくんだ 6.2

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2006.6.2荒編 no.78
撮影場所 奈良若草山

おれはたぶん何もわかっていなかった。ことになる。
自戒と許されることを込め、若草山の夕暮れをつないだ。
あてたのは佐々木洋一の未来ササヤンカ村から3つの詩編。
秘めたのは、吉本隆明「涙が涸れる」

[ぼくらはぼくらに 
または少女に
それを視せて 
とほくまでゆくんだと
告げるのである
とほくまでゆくんだ 
ぼくらの好きな人々よ]

2006年6月1日木曜日

番外編 a competitive spirit?競争力6.1

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06.6.1荒編 
place;犬吠埼

気分転換用の番外編。
鳥はしかし、なぜこんなに変わった走り方をするのだろう。

2006年5月31日水曜日

“80日間世界一周”

犬吠埼素材からsunrise&sunsetをふくめ1ダース強。
素材の俯瞰としてはほぼOKというところか。
あとは若草山などバラ素材の主なものをチェックすればいい。
+1ダースで納得がいくか、どうか。
とりあえず“80日間世界一周”と言ったので
あと2週間余りでいけるところまで行こうと思う。
3月28日から80日目の6月16日をメドに、一日一本。

組み合わせを考えると
無限とは言わぬが、すでに際限は、ない。
さらに素材が追加されていくことを考えると
笑いがとまらず。

2006年5月30日火曜日

No.76 on the shore5.30

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06.5.30荒編 no.06/76
place;犬吠埼

No.75 遊5.30

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06.5.30荒編 no.06/75
place;犬吠埼

No.74 a spring wind5.30

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06.5.30荒編 no.06/74
place;犬吠埼

No.73 What A Wonderful World5.30

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06.5.30荒編 no.06/73
place;奄美大島+犬吠埼

No.72 ここではないどこかへ5.29

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06.5.29荒編 no.06/72
place;犬吠埼

No.71 春の潮紋5.29

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‘06.5.29荒編 no.06/71
place;犬吠埼

2006年5月29日月曜日

No.70 はるのうみ5.29

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‘06.5.29荒編 no.06/70
place;犬吠埼

No.69 奔5.29

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‘06.5.29荒編 no.06/69
place;犬吠埼

N0.68 waves rise5.29

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‘06.5.29荒編 no.06/68
place;犬吠埼

2006年5月28日日曜日

No.67 beginning5.28

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‘06.5.28荒編 no.06/67
place;犬吠埼
音楽は1991版Japanesque“風”より