2009年8月28日金曜日

素材/夏満月。40倍zoom



あのときの40倍の威力。HDVで精密にチェックしていてよくわかった。
8月1日。玉川温泉近くの橋のたもと。
湿度でややかすんではいるが、まぎれもない盛夏の満月。


秋か冬の光がきれいなときに超望遠、また狙いたい。





以下はWikiから引用**********************************************
http://ja.wikipedia.org/wiki/玉川温泉_(秋田県)
秋田岩手の県境にまたがる八幡平(火山)の秋田側に位置し、山中の一軒宿だったが、多様な泉質と豊富な湯量と効能から、本格的湯治場として人気が高く、長期で滞在する湯治客も多い。きわめて宿泊の予約が入れにくいため、1998年に同経営の「新玉川温泉」が玉川温泉から徒歩10分程の所に、さらに2004年には別経営の宿「ぶなの森玉川温泉 湯治館そよ風」が新玉川温泉の近くに開業している。湯治向きの玉川温泉に対して、新玉川温泉は観光客向けに作られている。玉川温泉と新玉川温泉とでは、新玉川の湯の方が刺激も少なく入りやすい。これは、源泉から長距離引湯している影響である。特に有名なのが、この温泉と台湾北投温泉にだけ存在する北投石(ほくとうせき)。しばしばマスコミにも報道されている。
温泉地には地熱の高い地獄地帯が存在し、岩盤浴が名物である。多くの人がゴザを引いて岩盤浴を行う光景が見られる。
地元のマタギにより1680年に発見された。発見時に鹿が傷を癒していたことから、古くは「鹿の湯」、「鹿湯」と呼ばれた。1885年明治17年)に、鹿湯という名称で湯治場として開かれるまでは、当地にあった硫黄採掘所の工夫とマタギが温泉を利用していた。
温泉地としての本格的に開かれることになったのは、五代目・関直右衛門が開発に乗り出してからである。 1929年昭和4年)に当地で湯治を行い、その効能の高さを知った関は、1932年に近隣の湯瀬温泉に湯瀬ホテルを建設すると共に玉川温泉の権利を取得した。
1934年(昭和9年)、それまでの鹿湯という名称から玉川温泉に改められた。命名は朝日新聞記者・杉村楚人冠による。
戦前は、が主要な交通手段で、交通の便が非常に悪かった。第二次世界大戦後の1950年(昭和25年)、国道およびバス路線が開通。その後開発が進むようになった。

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