2009年8月22日土曜日

千住博『美を生きる』世界文化社刊から抜粋

p145【雨】
「ふと足もとの水たまりに目をやると、凪の中鏡のように青空がきれぎれの雲の間に映り、雨が止んで雨雲が移動してゆくのだなと知り、心まですがすがしくなった…つくづく美というものは、それを感じる心さえあれば、文字通り、足もとにも存在しているのだな、と思います。羽田空港第2旅客ターミナル到着ロビーの作品[水の森]もそんな何気ない雨に煙る湖畔の光景と、雨後の水面に光が反射する美的感動を作品にしたもので、同名の作品をニューヨーク国連大使公邸にも、そして大徳寺聚光院別院の襖絵にも描きました。
最近になって私は雨の景色というよりも、雨が降っているという状態が何か創造的発想を刺激するのではないか、と思えてきました。画家としての経験を積むうちに、古より人類が絵を描いたり音楽を奏でたりするという行為は、雨の存在と密接にかかわっていたのではないかと感じるようになってきたのです」


p149-150【美的感動のルーツ】
「今から振り返ると、失われたものを描きたいというこの時の私の思いは、自ら内なる記憶から自覚的に獲得した美的感動の第一歩だったように思います。私が描きたかったものは、懐かしい記憶そのものの結晶だったのです。そして私にとってはこの“懐かしさ”こそが、絵を描く上で次第に形を明らかにしていった美なるものの鍵穴だったのです。私にとって美的感動とは、懐かしさと同室の心の動きを生み出すものなのです。それは『私が探していたものはこれだ』という思いに違いありません。その心の動きのルーツは、私の記憶の中に既に種が蒔かれていたものなのです」

「美的感動の源には遠い昔の記憶が存在しているのだと改めて感じ、それも昨日今日の記憶から遥か遡って、いつしか生まれてくる以前の生命の記憶のようなものにまで辿り着いた事に私はたいそう驚かされたのでした」

p152-154【夏】
「芸術作品にとって春や秋は描かれるべき絶好の季節、と思われているかもしれません。特に風土の美しい日本においてはなおさらです。しかし私は、実は四季の中で夏こそが最も多くの芸術作品に登場している季節ではないか、と思っているのです」
「ぎらぎら輝く太陽の光そのものが夏の感性の魅力だとしても、その時には暑いとだけ感じ、本当の良さはなかなか分かるものではありません。日焼けの跡や残った麦わら帽子を見てその残像を思い出すように、むしろ過ぎ去ってみて初めて。『あれが夏だったのだな』と感じさせるものではないでしょうか。夏とは熱気であり、具体的には形をなさないエーテルのようなものです」


p191【宇宙物理学者と美の始まり】
「美という意識は、今の私たち文明人よりはるか以前から存在していた事になります。東京大学大学院教授で宇宙物理学者の佐藤勝彦さんは、『わたしたちは澄み渡った青空や木々の緑のある風景を見て、直感的に美しいと感じます。それはなぜか。それは、私たちの遠い祖先がまだアフリカの大地で暮らしていた頃、そうした環境が人間が生き抜くための豊かな恵みをもたらしてくれるものだったからです。つまり、人間が生存していくためには、それらの環境がどうしても必要だったのです。ですらそういう景色を見ると人間は直感的に快感や心地よさを感じる。それが美の始まりだと思います』(『宇宙と、人間と』富士通マネジメントレビューNo.232)と述べています」
        『美を生きる』世界文化社刊から抜粋 2009.8.21夜

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