2007年11月15日木曜日

スタンバイ、よろしく。



件名: [digital-japanesque:00014] Re: 今月末だねっ!…
送信日時: 2007年 11月 15日 木曜日 1:36 AM
差出人: Toru Mashiko
宛先:

    > Subject: 京都の紅葉は
    > 今月末だねっ!とおっしゃっております。


11月14日 13.:19に
撮影部長岡の携帯から上記内容のメールと貼付写真が届いた。
紅葉情報をチェックしながら、この秋は断念するしかないか
とあきらめつつあったけど…

やりましょう。
可能なかぎり、試みてみよう。

「いま」はいましかないのだから
やろうじゃないか、と決めたのなら
その場所に向かってみたい。
色もカタチも、どうでもいい。
ふんぎりが、ついた。
踏み出さなければ、永遠に何処にも行けない、のだ。

そういう自明なことに
長岡からのメールが気付かせてくれた。
1カットでもいい。
「これが、ニッポン」という
そんな「秋」を我がHD900で切り取ってこよう。

渡辺、杉田
一日だけでもいい。やろう。
長岡
最低限の機材とスタッフを抑えるように。


これ以後、退却を厳禁。
スタンバイしてください。

記憶すべき、2つの日付。

↑タイトルをクリックすると「火鍋」ムービー
2007 11/15 00:39開明。記憶すべき日付[11月14日]
「瑞兆」とゆうべ書いたが、まさしく瑞兆となった。
朝から夜八時まで爆睡している間に数通の「知らせ」が届いていた。
あれから6年間埋火となっていた熾に新しい薪と薫風が加えられた。
動き出すときは、きっとこういうものなのだろう。
閉ざされていた靄が一気に晴れた。そんな気分だ。
11月14日。さらに記憶すべき日付となる。


  未開の自然の中に人々が住むということは、
  漆黒の闇を松明の灯で照らすようなもので、
  それが啓蒙であり開明であった。

  もっともカイメイには晦冥という字をあてることもあるが、
  晦も冥も暗いということなので、
  開明とはまったく逆の意味になる。

 「開明とは、光なのですね」

 「しかし、それは闇を松明の灯で照らすようなもの。
 そこだけは明るいが、周囲の闇はよりいっそう
 暗さがきわだつ。灯がなければ、闇は闇ではない」

 「では、闇のままであった方がよかったと?」

 「いや、人が生きるということは、
 闇をひらくということにつながります。
 《晦冥》を知ることが
 すなわち《開明》であると申しておきましょう」

 -夢熊野-紀和鏡より





2007 11/14 02:28富士山。巨大な浮雲。残照と三日月。古河往復。
隅田川沿いの高速から冠雪した富士の山。東北道に入ると真っ正面の頭上に導くような羊雲。4時間半の打合せを終え、利根川土手に出たところで画に描いたような残照と沈む直前の三日月。東京に戻り、飯抜きでさらに4時間の打合せ。往復移動に4時間。人との話に8時間半。瑞兆。記憶すべき一日。11月13日火曜日。
http://www.m-circus.com/yume_kojo/01christmas.html
ある秋のクリスマスのビッグサイズ↑公開の日。