2009年8月15日土曜日

no.15 抒情



抒情じょじょう/ Wikiより
大半の国語辞書では「感情を述べ表すこと」を指しているが、
各分野に置いて若干意味合いが変わる。
広義では非常に感慨深い様子、対象に対して
情緒溢れるものを感じること、
胸が締め付けられるような
切なさを超えた深い感動を指すもの。














no.14 おぼろ月


あえてリアルタイム
[天然の日本/光]プロローグ曲前半使用


étude0913さよならって言えることは


吐竜の帰りに小淵沢にまわった。
町営温泉で汗を流し、光がきれいだったので
もうひとチャレンジと、近くへ。
なんでもない「里山」の風景に足が止まった。
その頃は「里山」という言いかたはしなかったけど。
どこにでもあるどこででも見かけた…
はずだけど、記憶の中にだけ
あざやかに存在している
「だけれのものでもありだれのものでもない
【ふるさと】」への憧憬。
HDVでチェックすることで、
その【空気感】が甦ってくる。
素材整理のつもりだったけど
ふと[ササヤンカ]のラストの詩を
あててみる気になった。
あてる。
悪くないんだよなあ、これが。
こういう【閉じ方】ありだなぁ…と。
アナログ版では【波打ち際の海鳥】だった。
一転してひなびた山あいへ。

ま、湯治部らしい?









夏の盛りに撮った三日月


体感温度が連日40℃オーバーしていた夏のさかりの三日月
低温実験室に入ったり夏雲撮ったり
「なつやすみロケ」先を検討していたりした
あの夏の素材。たぶん若草山、あるいは嵐山?


『何かが終わっていくのは、さびしいしかなしい。
その哀切を感じる心は、人生歳(とし)を経るほどに増してくる
と考えられるが、じつはぼくはそうでもないのではないか、と思う。
子どもの頃の方が、もっとさびしかったし、もっとかなしかった…(略)』

『子どもはどんどん成長していく。
夏休みが終わって学校へ行くと、先生も、教室の机も、運動場も、
まるで見知らぬもののように小さくなっている。そこは未知の世界だ。
未知の世界に向かって一歩を踏み出すのは恐ろしい。
だから彼らは、いつも世界に向かって緊張している。
これが大人になれば、ひと夏の前も後もそんなに変わりはない。
さびしさやかなしさを忘れ、生きる意味さえも失っていく。
夏休みの終りを考えることは、だからこの人生において、
無くしてはならないものだと思う。
その哀切は、じつは来るべきあしたを創造する力なのだ。
さびしさやかなしさの向こうからこそ、新しい何かが、
生まれてくるのである。それは伝えるべきものの
大切さを学ぶからでもあるだろう』 
   2001.8.28朝日新聞夕刊「永遠の宿題」大林宣彦より



2009年8月14日金曜日

ともすれば月澄む空にあくがるる心のはてを知るよしもがな


No.12は十二夜月とする。
[天然の日本/光]の5曲目を使用。
夏至から十日後の月。場所は渡良瀬遊水池。

 
  ともすれば澄んだ月のかかっている空にあこがれ
  出てゆく心であるが、その行きつく先を知りたいものだ。 
               新潮日本古典集成『山家集』

知りたくもなし知るほかはなし
と真崎守は[死春記]で書いた。
なお、和泉式部は
  物思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂とぞ見る
と、詠んだ。ま、西行の勝ち。だいいちおぼえやすい*^_^*






2009年8月13日木曜日

> Subject: [japanesque:00029] 愛してるからね



5年前の古証文から引用

> From: 益子自宅> Date: Sun, 01 Aug 2004 04:15:42
> To: 東京星菫派 , 菊地 雅志, "Masa. KAWADA"
> Subject: [japanesque:00029] 愛してるからね

アバコで“風”と“色”の音楽を録音するために
東京星菫派音楽顧問・菊池雅志さんに渡した1.13付けのメモの前書きから

 「目を閉じると 
  見えてくる
  色がある
  光がある
  水がある
  風がある
  音が
  空気が
  世界がある

  あなたが
  わたしが
  無数のわたしたちが
  いつの日か
  そこにいて
  そして
  いつまでも
  夢見つづける

  まだ
  誰も 
  見たことがない
  ニッポンの 
  美しい風景が
  ここにある」

だからどうしたというわけでもないが。
要するにおれはこいつをdigitalでやりたいわけです。
歳月が過ぎて、さすがに髪が薄くなり
あるいはさっぱりと坊主になってしまっている
菊池さんや石塚さんをNHKで見ながら
そう思った。
寒風と雪まじりの臼田の電波望遠鏡の前で
月光仮面もどきの格好で震える彼らの熱演に
カラダが震えるような興奮を覚えたこと。
その足で熊野に走り、熊野古道で300inchスクリーンに
宙を飛んで届いた二人の雄姿を映し出し
そいつを緋毛氈に座ったフランス女とアメリカ男と
日本人男女が呆然と観ているという
わけのわからないエンディングにしたことなど
http://homepage.mac.com/torum_3/r1118/iMovieTheater180.html
猛烈に思い出されていく。


番組で最初に演奏された
「のちの思いに」は、
「光の日本」で試みた立原道造と福島泰樹という組み合わせを
あらためて福島泰樹独りの世界に再構成したもの。
http://homepage.mac.com/torum_3/r1118/iMovieTheater150.html
http://homepage.mac.com/torum_3/r1118/iMovieTheater151.html

二年前の大雨の夜、十年ぶりに曼荼羅でお会いしたとき
歓迎のつもりか、その旨を観客に紹介し、特別演奏をしてくれた。
予定外のことで、俺は恥ずかしくて下を向きっぱなしで
会場が暗いのを良いことに涙をぼろぼろこぼしてた。
http://homepage.mac.com/torum_3/love/iMovieTheater552.html
http://homepage.mac.com/torum_3/love/iMovieTheater555.html

これからHD900を引っさげて
レガシーとコロムビアを同時に撮った
http://homepage.mac.com/torum_3/r1118/iMovieTheater181.html
あの東北に向かえるのだと考えると
センチメンタルになって眠れねえ。
お察しください。

なお、レガシーとコロムビアはほぼ同時に仕上げられ
そののちポイントディゾルブと称するようになったエフェクトと
映像デザイナーという言葉をひねり出した記念の年。
愛する山岡は、元祖小深田の愛弟子としてまだ初々しい青年でありました。
六本木TSPA編。
酔客の声と六本木の夜風がストレートに窓から出入りし
モニターにはドアの向こうで見守る郡山青年が番人のように映っていて
できたばかりのWAVEや青山ブックセンター六本木店が光り輝いた頃のこと。
おれはまだ30代だった(証拠写真↓*^_^*)。


いやあなんつーか、葉月八月は懐古回顧で開けちやった。

ひさしぶりの東北ロケに興奮で眠れず
引き出しの奥から古いメモを引っ張り出し
あのときの気分を思い出してます。
そこに書かれた
「色と風 音楽とSEに関するメモ」の最後のページには
作曲の菊池雅志さん宛にこんなメモが書いて会った。


  エピローグ
  「もう春なんだね」
  ササヤンカ村からの風を受けながら、さようなら。
  これで、この巻と、全4巻のすべてが終わる。
  挿入詩no.8「はるのしなやかな挨拶」が
  やさしげに入る。
  哀しみも喜びも、こもごも溶け合った音楽が
  スタッフのクレジットの最後まで流れていく。
  聴いているすべての人が
  いつか辿り着いてみたいと
  思いたくなるような音楽が。


そして、最後のページに
「また、いつか、
こんな仕事で逢いたいね。
ササヤンカの村からの、
誘いの風が吹くその日まで、さようなら」
と、添えてある。

pioneerのneo花鳥風月をテストケースに
六月から本格スタートしたdigitalJapanesqueシリーズが
この最後のメモの永い余白の末の一行なのだ、と思います。

手書き絵本「女鬼」をお渡ししてから
さらに月日が過ぎたけど
すべてはつながっていると、あらためて言っておきたかった。

もう、3時間もすれば
東京駅の銀の鈴でみなさんとお会いすることになりますが。


ま、そんなところであります。ご静聴感謝じゃ。


   2004.8.1 朝 T.M




2009年8月12日水曜日

流星雨



以下↓は国立天文台の期間限定キャンペーンの「流れ星を数えよう」から引用
http://www.nao.ac.jp/phenomena/20090811/index.html#Copyright
「国立天文台では、できるだけ多くの方に夜空を眺める機会を持っていただこうと、夏に活動するペルセウス座流星群を観察対象に、今年で3年目となる「夏の夜、流れ星を数えよう」キャンペーンを行います。ペルセウス座流星群の活動が活発になると思われる8月11日の夜から15日の朝までの4夜の間に15分間以上星空を眺め、結果を報告ページから報告していただこうというものです。
ペルセウス座流星群の流星(2007年8月13日1時14分)↓ 画像提供:吉尾賢治



真夜中過ぎが観察に適していると思われますので、少し大変かもしれませんが、夏休みやお盆休みを利用してゆっくり夜空を眺める機会を持ってみませんか。携帯電話からでも参加できますので、これまで流星を見たことのない方なども、ぜひお気軽にご参加ください。
「曇ってしまった」「流星が見えなかった」なども立派な観察結果ですので、是非報告してください。また、ご家族や友人など何人かで観察をしたときには、なるべく人数分別々にご報告ください。ご報告をいただく項目は、「流星を見た時刻」「流星を見ていた時間」「群流星を区別したかどうか」「都道府県」などです」


以下は「しし座流星群」について
http://www.jplnet.com/leo/leoinfo.htmlから引用


「毎年11月17~18日頃ピークを迎える「しし座流星群」は、ふだんの年でも、ピーク時に1時間当たり約30個の流れ星を見ることが出来ます。そして、33年毎に大出現を繰り返し、まるで雨のように降り注ぐ流れ星の景観を見せることから、史上最も有名な「しし座流星雨」という現象を私達にもたらします。
その記録は、紀元902年までさかのぼることが出来ます。1799年には、ブラジルでフンボルトが眺めている様子が絵に残っていますし、1833年の出現は流星観測史上空前絶後の大出現を見せ、その凄さを伝える多くの図版が残されています。この時は、最も多いときで1時間に20万個の流星が5~6時間にわたって流れ続け、「吹雪の時に舞う雪片のようなながめであった。」といいます。
この出現をきっかけに、科学者は過去の記録を検証し、33年~34年の規則正しい周期で11月に起こったすべての流星雨が同一のものであることを突き止めました。しし座流星雨の存在が確定したのです。
今日では、この流星雨が、33年の周期で公転する「テンペル・タットル彗星」がまき散らしたチリによって起こることが分かっています。前回の出現は、1966年でした。この時は、アメリカやヨーロッパを中心に大出現が観測されました。ピーク時の1分間に流れた流星は2400個、1時間では何と15万個にのぼったと言います。初めての写真撮影が行われましたが、2分足らずの露出を加えた1コマの写真に、20個もの流星が写っていたといいます」


◎イメージ
http://www.jplnet.com/leo/leoinfo.htm
↑11月17~18日しし座流星雨の流星物質の帯に地球が入り込んだ様子を示したものです。流星物質の帯は、地球の軌道面に対して17°の傾きで交差しており、その方向は、地上から見るとしし座の頭の方向になります。(各惑星の大きさは強調してあります)




◎2001のしし座流星群/Wikiより引用
「2001年11月18日から11月19日未明にかけての大出現は北アメリカと東アジア地域で条件が良く、特に日本では大部分の場所で好天に恵まれ、全国的に1時間あたり数百から数千個もの流星雨を観測することができた。北アメリカやハワイでは1767年に放出されたダストトレイルによる活発な出現が日本に数時間先行して見られた。アッシャーらは東アジア地域で1699年と1866年のダストトレイルによる極大がそれぞれ午前2時31分と午前3時19分(いずれも日本時間)にあり、特に3時19分頃には日本で大出現が見られると予測した。アッシャーらはその前数年の大出現を的中させていたため期待が高く、多くの人が大出現を目撃した。実際の極大時刻は3時20分前後とほぼ完璧に予測どおりで、極大時には1時間あたり3000個から4000個の流星が見られた。事前の予測よりも流星が多く出現する時間が長く、日本時間で午前1時から夜明け頃まで5時間近くにわたって、1時間あたり1000個以上の出現が見られた」

◎湯治部的流星群体験記/2001のwebmemoから引用
2001 11/18 17:13 獅子座流星群
今夜は獅子座流星群の夜となる。
細い三日月が出ているが、
星の夜となるだろう。
うまくいけば西表島の流星群以来の
流れ星の大軍を観ることができるかもしれない。


2001 11/19 09:09 流星雨、野辺山で体験。魂を奪われた。
野辺山の先の峠でゲット。18i日夜10 時、野辺山と須賀川の天候を
最終チェック。野辺山の条件が良さそうなので中央高速に向かうが
工事渋滞で都心を抜けるのに一時間かかった。

野辺山に着く寸前から流れ星が肉眼で見え始めた。

1993年に西表島で毎晩数時間眺めたベルセウス流星群もすごかかったが
獅子座流星群には度肝を抜かれた。流星雨という呼び名通り。
文字通り、「星降る」世界に身を置いた。
二時ごろから二時間あまり、氷点下五℃まで下がった峠で
堪能しつくした。ときにアスファルトに横たわりながら
凍えるような寒さも流星の迫力に溶けた。

自然は、あらゆる想像力の境界線をやすやすと越える。

中央道を暁闇から日の出にかけひた走りロケ現場の大森に
集合時間前に着いた。あの流星群を眺めたあとて
仕事に戻るのはいささか切なくもあるが、
快晴。野辺山に比べればすでに十数度も気温は高い。

土曜、日曜と
まことに胸のすく、記憶に残る時間を過ごせた。
これで、十日は、もつだろう。萎えずにしぼまずに
十日はやりきれなくならずに過ごせるはず。
いざとなったら土曜日につないだビデオもある。
あれは今年の強力ビタミン剤。

 

2009年8月11日火曜日

“ぬばたまの…”

   ぬばたまの 黒、髪、夜、夕べ、月、妹 …


舘岩村湯の花の六地蔵でHDF900の
導入テスト撮影時の「moonrise」と「超月光」。
月の光が、これほどあざやかなものだと、
21世紀に入るまで知らなかった(‥;)
撮った瞬間に「digitalJapanesque」というコトバが浮かんだ。
封印する、と宣言し歳月が過ぎた。

「風」と「光」をdigitalでというのが
まずクリアすべきハードルだった。

ハードルクリアのその2は、[光の日本]。
で、お待たせっ、「これで」いきます。

あえてリアルタイムとしたのは
アナログ版[光の日本]をすこしだけ気にしたことと
HDのパワーを活かしたかったから。

メディアも受け手もインフラOKとなったことだし
できればパイオニアの幻のKUROで見ていただきたい。
「黒をわからせるためには最適」という
開発陣のお墨付きが出た素材だし*^_^*



◎以下は、東京に戻ってから書いたwebmemo。
興奮状態が、よくわかる。
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2001 08/10 03:15 月に狂う。
あの夜の月の輝きが信じられない。
オフィスで渡辺と素材を確認しながら長岡に電話をし、
フィルターなどをいっさい使っていないことを確かめた。
あの青い光。雲を染めた夜の青。透明な青い紗をまとったような満月。
稜線を爆発光のように照らし出す月の出の瞬間。
「わたくしも月を見に連れていっていただいてもよろしいでしょうか」と
小さな声で問うた飯盛山に暮らすというたみさんの姉上は、ほんとうにいたのか。
夕方、相馬さんに電話で確かめたら、自分も幻のように思えてならない、と。
山すそにへばりついた数十軒の人家の明かり以外に、
周囲360℃が真っ黒な夜の山に囲まれた七つ地蔵のある山あい。
スタッフ9人と、宿の人たちが5人。
舘岩村湯の花の闇の中で月の出を待ち受けた人は14人。
オフィスのモニターにはその月の出がしっかり映っている。
だから幻ではないのだが、それにしてもだ。

なお、たみさんの姉上は、宿が忙しいので嫁ぎ先の
会津若松から里帰りをかねて手伝いに来ていたとか。
名前を「明子」太陽と月をならべて「あかるいこ、あきこ」。
なんだかなあ。できすぎちゃいないか。

明子さんは、飯盛山の自宅は月を背負ったように見ることができるのだと言っていた。
子供を迎えにいき、家路をたどるとき、目の前に巨大な月がかかると、
月に帰っていくようだ、とも言っていた。月が好きでたまらない、とも言っていた。

美しい夢を見たいと寂しい追憶のはてでおもったら


↑クリックすると拡大。ぜひ  mix素材は2004年6月と2009年4月の[渡良瀬遊水池]

digitalJapanesque版「未来ササヤンカ村」。
たぶん、こんなふうになるはず。
使用したHDアーカイブ
タイム/3分15秒
2009.4渡良瀬遊水池素材
2007.6南会津素材
2004.6渡良瀬遊水池素材
2001.8南会津素材
熱低からいきなり変化した台風9号と、静岡沖の2つの地震の間に、到達。




**********************************************
※参考
[ポッポイの汽車に乗って行きませんか]
佐々木洋一詩集「未来ササヤンカ村」より


   ねえ
   ぼくの妹さん
   ぼくのあんまり可愛ゆすぎてむずがゆい妹さん
   ポッポイの汽車は
   汽笛をピュウポオオイ 吹き吹き
   たらっぽすかんぽ坂を越え
   とんぼとんぼぎんやんま畑を通って
   クリーナの駅でひと休みして
   ササヤンカの村に行く汽車です

   行くんです
   本当に行くんです
   今
   ササヤンカの村の住民台帳には
   ぼくの名前がポツンとひとつ
   寂しがっているんです
   ねえ
   ぼくの妹さん
   ぼくの
   あんまり可愛ゆすぎてホクロを殺したくなる妹さん
   ポッポイの汽車が発車します
   ピュウポオオイ
   ピュウポオオイ
   ぼくといっしょに行こう
   ササヤンカの村へ

   ねえ
   ぼくの妹さん
   ササヤンカの村の住民台帳に
   あなたの名前を刻めば
   あなたとぼくは夫婦
   子だくさんの夫婦になるんです
   やがて
   ササヤンカの村の住民台帳には
   たくさんの住民が登録される

   ねえ
   ぼくの妹さん
   ササヤンカの村はササヤカという村
   野菜と土と風と水車がコットン揺れている村
   あなたとぼくの子供達は
   また美しい恋人達を
   ポッポイの汽車に乗せて連れてくる
   ねえ
   ぼくの妹さん
   ぼくの
   あんまり可愛ゆすぎてつねりたい妹さん
   ポッポイの汽車は
   汽笛をピュウポオオイ 吹き吹き
   あめんぼめだかっこ川を渡り
   どんぐりどんぐりどんぶりっこ林をくぐり
   クリーナの駅でひと休みして
   ササヤンカの村へ行く汽車です
   ピュウポオオイ
   ピュウポオオイ
   ねえ
   ぼくの妹さん
   ぼくといっしょに行こう

2009年8月10日月曜日

Re:時の重みは、自覚いたしました

知人から今朝届いていたメールから抜粋
  ……
  人が記憶の中で生きているということ、
  それが失われてゆくことの、せつなさが分かります。
  時の重みは、自覚いたしました。
  永遠の時を感じる、そんな映像を楽しみにしています。

地震と豪雨ではじまった今年のお盆。
お盆というのは、「記憶」の祝祭なのかもしれないね。
たいせつだったひと、たいせつだった時間、たいせつだった自分
いくつもの「たいせつ」だったことを
別な時間の流れをつくることでかみしめる…
そのために必要な「今とは異なる」記憶。風景。