2006年6月17日土曜日

No.85 たったひとりの女のために6.17

↑タイトル部分をクリックするとムービー


再開。
新しい素材からとも思ったが、気合いを漲らせるために情から入る。
素材撮影:田沢湖畔トンボのホテル
仮あて音源:1991光の日本エンディング前半

タイトルは福島さんの

「たったひとりの女のために赤々と灯しつづけてきたるカンテラ」

から借用。
どこにでもある見逃せばただ過ぎていくだけの光景が
ふと気づいてみれば、
その一瞬だけ存在する幻の女のように思えることもある。
ただの海じゃん。ふつーの空じゃん。夕日じゃん…
その通りなのだ。すべてはただの風景で
すべてはただの女で男で
いとしいひとでものでことでも、ある。
意味など、どこにもない。
そして意味は無限に、存在する。
表現されるるモノは
いつどんなときでも弱った心や痛んだ魂のためにだけ有用である。
明るく元気でなに不自由なく不安も抱えずに生きているとき
表現されるものは、ことごとく無用である。
想像は、不要である。ただひたすら生きることを愉しめばいい。
と、ぼくは思います。
Japanesqueって何?
という問いに、答えるとすればそういうことかな。

ちなみに福島さんはこんな歌も書いている。

「風孕み落ちゆくまでの一瞬をわれらはわれを愛すほかなく」風に献ずより


以下引用++++++++++++++++++++++++++++++++
件名: [yumekoujou:00075] 第1回目のロケハン / ロケ報告
送信日時: 2004年 8月 4日 水曜日 0:28 AM
差出人: Toru Mashiko
成功を確信しつつ、ロケハン/ロケぶじに戻りました。
一昨日、炎天下の川に入って撮影するスタッフの下流で
素裸になり水ごりをしロケ成功祈願をひとり敢行した、マシコです。
(じつは、あまりの暑さというか熱さに水浴びをしていた。
二十年ぶりぐらいかな、川泳ぎをしたのは)
本番は9日に東京を出発。10日、11日、12日と決定しました。
素晴らしいシーンになると思います。

なお1日から3日までのロケハン/ロケでは
深山に昇る満月と山間の湖に浮かぶ十六夜の月、ニケ
山頂と湖の夕日と夕焼け、ニケ
見たらそこで泳ぎたくなるような美しい流れの川、数ヶ
見たらそこでこころとカラダを休めたくなるような森の湖畔、一ヶ
思わず吸い込まれそうになるふしぎな水の流れ、数ヶ
「夏ッ!」と叫びたくなるような緑の草原と真っ青な空と白い雲 数ヶ
背丈より高い葭原を吹きすぎる夏の風と夏雲の影、一ヶ
…など、
「おっ、これぞまさしく夏休み」と膝を打ちたくなるような
愛と正義に満ちた凛々しい「日本の夏休み」原風景を映像に収めました。

この正調・日本の夏が、
どんなふうに作品に取り入れられていくことになるか
お盆前には、最初の答えが出るはず。
制作スタッフは、9日の東京出発に向けて
さっそく明日から準備に入りますので、お盆休み明けの
吉報第1弾をお楽しみに…

2006年6月11日日曜日

風に吹かれる牡丹



   そのひとは夕べの鐘のやるせない哀傷 風に吹かれる牡丹
     -わがひとに、もしくは藤純子に-福島泰樹“晩秋挽歌”


吉祥寺から戻った渡辺にクルマの中で、これだけでも見ませんかと渡されたSONY-HDVの小さな液晶にあらわれた福島泰樹のアップの冒頭で絶叫していたのが、この歌だった。若いピアニスト川口の演奏を観たくてなんとか曼荼羅に同行したかったが、頭に入れないと間に合いそうもない資料を前にあきらめた。様子を渡辺から聞ければと思ってはいたが、ムービーをまわしてきてくれるとは予想していなかった。渡辺は、川口が出たシーンを見せてくれようとしたのだが、たまたま画面に映ったのが冒頭の一首だったのだ。晩秋挽歌に載った-わがひとに、もしくは藤純子に-その二の第一首。耳にした途端、稲妻にあったような気分になった。はじめて福島さんの歌集を買ったのが“晩秋挽歌”だった。まだ妻に寄食して川べりのアパートで暮らしていた二十代の真ん中の頃。塚本邦雄の“詞華栄頌”で福島泰樹を知ってから、はじめて手に入れた記念の一冊。色褪せた“詞華栄頌”には加藤賢明から届いた村上一郎の自死について書かれた75年3月31日の消印のあるハガキとカラカラに乾いたもみじが二葉はさまれていた。たまたまゆうべ、急に藤純子の緋牡丹博徒が観たくなり、DVDを二枚続けて観たばかりだった。いずれも加藤泰の撮ったもの。「花札勝負/昭和44年2月公開」と「お竜参上/昭和45年3月公開」。匂うように美しく凛々しく切なかった“お竜さん”をときどき無性に観たくなる。夕べが、そんな夜だった。どうということのない符合にすぎないとはいえ、感じるところもあり。


 機動隊よそこに尿するなかれ昨日おれがオフェリア抱いたところ

はじめて読んだ福島泰樹の歌である。塚本邦雄の“詞華栄頌”74p「奔馬-福島泰樹」とタイトルのある2ページばかりのオマージュに、この歌が引かれていた。そして塚本はこんなふうにしめくくる。

「これらの作品の背後には哄笑がひびいている。世界の悲劇を己が悲劇としてではなく己が小世界の悲喜劇を日本の悲劇であるかに深刻化して死ぬの生きるのと騒ぐ事大主義など泰樹には全く無い。唇を噛んだ歯で酒瓶の栓を剥ぎ、法華三昧会をするくらいの器量がある。その野放図な生命力と、昨日抱いたオフェリアの屍骸に泰山木の一花置いて口笛と共に去る諧謔あってこその[青春]であろう。あってほしい翹望が、それこそ私の泰樹を選んだ不条理の源ではなかったか」

と。