2011年9月16日金曜日

【キサナドゥーの珍・伝説】ひろし&むじんがー 2011.9.17


かれは二人に見えるけど
一人です。
名は、Hiroshi
「ひろし、です(‥;)」

ひろし曰く
「好きな曲はアダモの♪雪が降る
でも、ぼくがいると晴れちゃう。
雪が降るのがスキなのに。ね」

だから
ひろし、です(‥;)


ひろしが自分だと主張する自画像↑


ひろしが追いかけられたイヌ↓ジョンです。




ひろし曰く
「マラカスも好きなんで
二人に見えるときは
呼ばれたりしています」


「ほら、こんなに
晴れてるでしょ。
ハレルヤHiroshiです」


「ぼくはね
ヤンキース時代のマツイが大好きだったよ。
あとね、はんぺん。芥子多めも」


「アタマにのせてるのは
カボチャをくりぬいてつくった
ちょうちん形の日傘だよ。
見えないけど
てっぺんのところに
小さな穴をたくさん開けてるから
すーすー風が入ってくる。
走るとアタマの中が
びゅんびゅん風の音で
いっぱいになるだす。

だから、ひろしです。
♪雪が降る が大好きな
はれ男の、ひろし、です」


「えっ?
スーパーソウマ?
なんだろ、それって」

彼が生まれ育ったのは

北のほうのいくつもの山を越えた
森の奥にある囲炉裏端のある家↓だといいます。


http://www.youtube.com/watch?v=HyZe3vy-7Ic

やさしい父と母の愛に包まれ
ときどき訪ねてくるクマやたぬきとともに
雨の日も風の日も嵐の日も
もちろん晴れた日も
野や川を駆けまわり
立派な男に育ちました。






その村の名は
「ささやんか」。
村の観光課がつくった
20年前のPR映画は↓
長いから
忙しいひとは飛ばしてね。





ある雨が降り続いた春の夕
母親が読んでくれた
宮沢賢治といふるさとの詩人のコトバに
彼は心を奪われた、と後に語っています。



それは、こんな詩だったとか…




雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシズカニワラッテイル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニイテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負イ
南ニ死ニソウナ人アレバ
行ッテコワガラナクテモイイトイイ
北ニケンカヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイイ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
ソウイウモノニ
ワタシハナリタイ





それ以来

彼は囲炉裏端で
一日千回の腕立て伏せや
うさぎ跳びや
ヒンズースクワットをこなし
囲炉裏の周囲を一日に1000周走り
クマと相撲をとり
たぬきと腕相撲をして
シェイプアップしたのだとか…
ひろしは、そう言ってます。






そして桜が散り、
あたりが菜の花色に染まった
春のある日
かれはふるさとの駅を
旅立ったといいます。


ホメラレモセズ
          クニモサレズ
ソウイウモノニ
ワタシハナリタイ



この4行を心に秘め

ねじり鉢巻をして
ふるさとの春の駅のホームで
降りしきる桜に見送られながら
旅立ったのだと
ひろしは、そう言ってます。


はちまきには
あの「雨ニモマケズ」が
書かれていたことは
言うまでもありません。





兄弟のように育った、あのたぬきが

桜の花びらが舞う
単線の鉄路沿いを汗だくになって
ひろしの後をいっしょうけんめい
追いかけていったことも
知らなかったのだ、と言います。

のどかでおだやかな
眠ってしまいたくなるような
うつくしいの午後のことでした。










それからいくつもの昼と
数えきれない夜が過ぎました。



ある日
泣きながらお天気を祈っている
撮影隊のひとたちと出会いました。
その撮影隊は
クルマの上に大きな旗を立てていて
その旗には、こんな文字とマークが描かれていました。



「ひとついいですか
これはなに?」と、ひろし。



これは、ひろしのクセで
すぐに話せばいいことでも
つい
「ひとついいですか?」
と、聞きたくなってしまうんだなぁ
とひろしは言います。



それはさておき
このときひろしの胸の奥に
ぽっと二つの文字が浮かんだのだと言います。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ

ふるさとを立つ
きっかけとなった
郷里の詩人の、あのコトバです。


♨と雨にも風にもマケズと
土砂降りの雨の下で
この二つのココロザシが
出会ったのだ、と
ずっと後で
ミルキーをほおばったひろしが
聴き取りにくいコトバで話していました。

さて話を戻します。


その撮影隊には

何年か前に訪れた
村の雷電神社奉納相撲で



ほっぺの赤い村娘たちに人気のあった
大関!




とほめたたえられた
大きな男がいました。

この男は、いつもお天気になるといいな
そうすれば撮影がうまくいって
みんなとおいしいご飯が食べられるのさ
と、考えていたといいます。





だから、
ひろしのまだるっこしい問いに
ちょっとムッとしたけど
「なんとかしてくれますか?」と
聞いたらしい。



雨ニモマケズ




と意気込んでいるひろしは
土砂降りの雨などものともせずに
いっしょうけんめい
「晴れるといいね」とつぶやきながら
お天気の回復を願ったのだと言います。






なかなかやまない雨に
「だめじゃん」と
言いかけた大きな大関のような男は
あまりに熱心に祈っている
ひろしの横顔を見て
文句を飲み込んだといいます。
飲み込んだ拍子に
ぐぅっ
と、音が出ました。

大男は、
いつもおなかが空いていたのです。





そんなことをしているうちに
あたりまえだけど
雨がやみました。

降った雨は、いつかやむ。
これは天が決めたことだけど
大男とひろしは
わがことのように喜んだとか。
うれしくなって抱き合って
晴れたらおなかが空いたねぇ
と、どちらからともなく固く抱擁。






それでスイカでも食べようか
ということになり
いっしょうけんめい食べたんだって…


その日は
とても美しい夕焼けになったと
スイカでふくらんだおなかをさすりながら
大きな男が言っていました。





その日から
ひろしは大男のいる撮影隊と
いっしょに旅を続けることになったらしい。


そうして
どうしてもお日様が欲しくなると
「おい、ひろしさん
あの☀祈りをたのみますぜ」
と、お願いされるようになりました。

ひろしが☀祈りをするとき
撮影隊のみんなは
「♪ハレルヤぁ」
と手拍子を打つのだとか。
これは
ひろしの後を追って
やはり撮影隊の一員となった
あの、たぬきが教えてくれたこと…


ここでひろしが同行することになった
撮影隊のことをすこし…


撮影隊がかかげた旗に描かれた
「ゆ」の文字と♨は
べつだん深い意味もなく
みんながたまたま♨が好きだった…らしい。
北の方の撮影で
後生掛♨につかり






あぁいい湯だなぁ
とほげほげしたみんなが
数日後に鶴の湯♨にたどりつき




その露天でしみじみしているときに
そうだ、これからは♨を
ぼくたちの旗印にしようと
のぼせたアタマで思いつき
その勢いで
露天風呂の上に昇った満月を
「ゆ」一文字が描かれた
宿の手ぬぐいを腰に巻いて


つまり、ほとんど全裸で
いっしょうけんめい撮ったのだとか。
それが「光のニッポン」の冒頭満月


光の日本↓
http://www.m-circus.com/columbia/02hikari.html


長いから時間のあるときに見てね






さて、たぬきです。
撮影隊の一員となったからには
たぬきたぬき
とばかりじゃなぁ
と、大男は三日三晩
あれやこれやを飽食しながら
考え続けたらしい。
「むじなってどう?」
と、たぬきにたずねました。
たぬきはすかさず
「やだ」
と身振りで答えたとか。
また三日三晩アタマをなやめ
腹を満たした
大男がたぬきに聞きました。
「むじんがーは?」
と。


やや迷ったあと
たぬきはこっくりとうなづいたとか。
で、むじんがー


ひろしが撮ったむじんがー↑




たぬきは村にいたころ
火の見やぐらの下に一日おきにやってきて
いろんな冒険のお話をしてくれる
紙芝居のなかで
マジンガー物語が大好きでした。
むじんがーとマジンガー。
これが、こっくりのワケでした。


それはともかく
それからのむじんがーは
撮影隊についてまわって
撮影隊のようすを撮影する
記録係になったらしい…
↓その第一番目のお仕事が、これ。
http://www.youtube.com/watch?v=Ydrua2UG_Ss



そして
ひろしのパワーを
最大限に発揮し
ハレルヤマンの名声を不動にしたと
撮影隊の間で伝説となりつつある
あの8.24ロケの出来事と、なった。
撮影の合間は
すべての時間が雲にふさがれ
ついには雨雲と雷雲までが空をおおった
「あの」8.24。





風はらむヨットの帆のような
真っ白なスクリーンが
真っ青な空にあがったその瞬間
いまでは撮影隊の間で
畏怖を込めて「ハチニーヨン
とも呼ばれている
いちばんめのレジエンドが生まれた。


この風にはためく白いスクリーンは
撮影隊に♨部発祥の仕事となった
ある作品のことを思い出させたのだとか。


風と、走る。↓
http://www.m-circus.com/subaru/01legacy.html
である。


ま、思い出は、ともかく。


照りつける日ざしと
プールの底のような湿気の中
たまたまやってきた
近所のクワガタ君の力も借りて
すべての本番の瞬間のたびに
真っ青な空を出現させた
「ハチニーヨン」のひろし

↓これは
その灼熱の一日を
アタマにのせた葉っぱの力で
なんとか乗り切った
むじんがー作の第二弾。

張り切りすぎたむじんがーは
腰を痛め、その夜から
三日三晩寝込んだという。




で、こっち↓は
あまりのハードさに
腹を減らしすぎて
三日間寝込んだという
大男ご一統の
撮影終了直後の茫然自失記録。






ひろしの挑戦は

さらに長州でも続けられたと言います。



腰を痛めたむじんがーを東京に残し
撮影隊と大雨の首都高を
羽田に向かった半ズボン姿のひろしは
空港で雨のため離陸見合わせに遭遇。
が、
なんとか長州に駆けつけたいと
チョコバーを口に無心でを念じた。

そのかいあったか
翌日の長州はみごとな日本晴れ。
撮影隊の信頼はさらに深まったらしい。




女子撮影隊のやのが撮ったその日の空



雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシズカニワラッテイル




帰りの飛行機の中で

まんぞくそうな笑みを浮かべ
ミルキーを三粒ほおばった
Mr.☀Souma
不敵な笑みを浮かべていたと言います。
その笑みが
ミルキーの甘さのためなのか
次の撮影にそなえた自信なのか
それはだれにもわからなかった…





それから
二週間と三日。


撮影隊の大男から
「こんどもうまくたら
ミルキー1ダース
あげちゃおうかな」
とささやかれた
ひろしが嬉々として
絶好調の秋の空を呼び寄せたことは
もう、言うまでもない…



腰の痛みがなおった

むじんがーが
いっしようけんめいに撮った
↓これがその記録

http://www.youtube.com/watch?v=gevfjdoBF4s


その日は

目が覚めたときから
くたびれて眠りにつくまで
撮影隊がやすむひまもないほど
ずーっときれえに晴れていた。
☀☀☀☀☀


あんまり晴れすぎて
月までしっかりと撮れたと
大男をはじめ撮影隊は
(*⌒O⌒*)*^_^*●^_^●)
ポケットに入り切らなくなった
お礼のミルキーを
むじんがーにも分けて
二人はならんで帰っていった。


その後ろ姿を
中秋の十六夜の月が
こうこうと照らし続けていたとか。


これは町の噂だけど。


ひろし
関門海峡を越え
玄界灘の巌流島近くに
向かおうとしているらしい…
むじんがーと二人
ミルキーをほおばりながら
いまごろは東海道を
日が沈む方向をめざして
ひたすら一歩一歩、
進んでいるのだとしたら
「また、ミルキーしいれなくっちゃ」

大男は
ふんどしをきつく締めながら
しみじみ思うのであった。

長旅で疲れたら
ここで足湯につかって



北九州空港の足湯
http://www.kitakyu-air.jp/service/relax.html


旅の疲れをほぐしておくようにと
携帯メールを打つのであった。

そして、
こんどは「小倉あじ?」

(大男は、かってなこと想像してるけど小倉と小倉あんは無関係。詳しくはhttp://www.geocities.jp/taizoota/katudo/ogura/ogura.htm)


などとつぶやきながら
麻布十番の浪花家総本店の巨大たいやきを
しっぽのほうから
パクつくのだった。




とうぜんのことながら
これが 三個目。

そして大男は
このまえ小倉に行った帰りに食べた
刺身や旭蟹のことを思い出しながら
さらに、ひろしたちにあげようと集めた
ミルキー一家を思い浮かべ
幸せな眠りについたらしい…







zzzzzz…







さて、こちら↓は
いつ撮られたのか
だれが撮ったのか わかんない
まぼろし?
と撮影隊の間でささやかれている
ビデオである。


むじんがーに
「ひとついいかな?
きみがつくったの?
と聞いたら
「じぶんで撮ったんじゃないの」
と他人事。


そうなのかもしれないし
そうじゃないかもしれないな。