2011年8月6日土曜日

明日は上弦。満ちていく。



5日の宵。
一時間ほど浴びた夕月。
明日は、いや
今夜は上弦。
満ちていく月は、格別。





館岩のコスモスと
どこで撮ったか忘れた三日月と。

千年相聞第41夜「三日月とコスモス」











2011年8月5日金曜日

娘たちからの「案内状」イメージ




ふるさとの両親に宛てた招待状

ひなた涼子とこばやし小夜子の連名
コスモスの押し花
涼子の描いた映写会想像図
小夜子の書いた手書きメッセージ



余白に
きょうこ、ゆう、そらの添え書き



“Moliendo Cafe”


http://www.youtube.com/watch?v=bPSsx0EvWl0


日が暮れていく頃 

闇が再び姿を現す
静けさの中 
珈琲農園はその珈琲を挽く音に
悲しい愛の歌を再び感じ始める

それはまるで無気力な夜の中 
嘆き悲しんでいるかのよう

一つの愛の苦しみ 
一つの悲しみ
それは給仕のマヌエルが持ってくる
珈琲の苦みの中にある
珈琲を挽きながら 
終わることのない夜が過ぎていく・・・
“Moliendo Cafe”

8.4の夕月と夕日について



夏の楽園」と「思いで」の2篇を
いっきに仕上げ、まったなしで
SWテクニカルに戻り、迷路にはまった。


ほんとうなら
これだけ想いをこめた仕事の後には
適切な休息をとるべきだった。


これまでも
自分にとってターニングポイントと
なるような仕事のおりには
かならず【脱出】の時間を確保していた。


もろもろのなりゆきで
そう自衛できなかったことが
月末から月初めにかけての一週間の
混迷の源だった。


日比野から
速攻で離脱すべきだと
アドバイスを受けながら
どこかでダイジョウブだと
タカをくくっていた。


まさか
これほど混乱するとは。


自分が
もしかしたらもう
すべて出し尽くしてしまい
燃えかすになっているのかも
そんな妄想にとらわれて一週間。


ねむってもねむっても
眠りの充足を自覚できず
読みかけの小説は止まったまま
ただ、微速前進するのだと
アホのように思い込んで
放り出すこともできず
深間にはまっていったように思う。


きのう
はじめて眠りを自覚して目覚めた。
夕暮れの空に浮かんだ月も観た。
あぁ、きれぇだなぁ、と思った。


公園のいつものベンチに座り
秋のような風のしたで
夕日と月を眺めながら
気がついたら長岡に電話していた。


もう、ダイジョウブだと
伝えることができた。


再生
というキーは
ほかの誰でもなく
ぼく自身のために
必要だったのだ、
そう素直に思えた。


なにかをつくるということは
吐き出す、ということは
つまり、自分に向かってるのだと
ふつうに思うことができた。


ひとりひとりが
そうなのだと、思えた。


肉体の隅々に澱んでいた
細胞としての役割を果たした
おれの名残りが、分身が
すーっと脱けていくのが
はがれ落ちていくのが
実感できた。


夕月も夕日も
ため息つきたくなるくらい美しく
みごとな大暑の夕を
しみじみ味わうことができた。


そういう、ことだ。


2011.8.5 18;00  T.M











再録 《あなただけのふるさと》2010.10.10



101010
【ふるさと】の夕日を3つつないだ。
12タイトルの
どの【夕日】もまたふるさと、
ではあるけどね。
なぜなら
夕日は【なぐさめと再生】だから。
ふるさとがあるひとも
ふるさとを忘れてしまったひとも
ふるさとを思い出したくないひとも
ひとは誰もこころのなかに
【ふるさと】をもっている。
目を閉じて
いままででいちばんホッとした時間
いいなぁと感じた場所
うれしいと思ったできごとを
ため息とともに想像すると
きっと、
その場所があなだけの【ふるさと】だ。
ぼくは
そんなふうにおもいます。


Why do you say goodbye?




《どうしてサヨナラしないといけないの?》


Oh no
You say goodbye and I say hello
Hello, hello
I don't know why you say goodbye
I say hello
Hello, hello
I don't know why you say goodbye
I say hello

You say yes, I say no
(I say yes but I may mean no)
You say stop and I say go, go, go
(I can stay till it's time to go)

Oh, oh no
You say goodbye and I say hello
Hello, hello
I don't know why you say goodbye
I say hello
Hello, hello



  Japanesque sunset
《ハロー・グッドバイ》

-digitalJapanesqueseries vol.1-


再録 《ひとは、ある日》2010.10.01


ひとは、ある日、
ふとしたできごとをきっかけに
それまでまったく想像することもなかった
想いや行動を引き起こすことがある。
そして、その刹那、
ひとは、自分の中に秘めたさまざまな
“いまとは異なる時間。世界。人生”の可能性に
直撃されることになる。
異化される時間。劇場化される日常。
だれにもいつでもどんなときでも、
いまある日常以外の時間や人生や世界が、
ここではないどこかに必ず存在する。
ひとは、
その瞬間と思いがけず遭遇することで
なぐさめられ勇気づけられ力づけられ
可能性の存在に、不意に気づかされることになる。
自分の中にいつもと異なる
もうひとつの時間が、特別な瞬間が
たしかに流れていることに、思い至ることになる。
そして、ため息をつきながら、
ふたたび日常へと帰って行く。
昨日までとは、少しだけ
そして確実に異なっている
自分の中の、もうひとつの時間の存在を胸に。
ひとは、いやされ
そして、再生する。
想いとカラダにかかわるあらゆる表現は
この“いやしと再生”を、目ざす。
日々の暮らしのなかで、
この“いやしと再生”を
もっともシンボリックに表現するのは
沈む夕日と昇る朝日である。
一日の=人生の
最上の豊饒な時間としてのsunset。
沈む太陽は、同時に
再び昇っていく太陽でもある。
sunrise=再生を前提とした
sunset=いやしの時間。
だからこそ、夕日は、終わりではなく
再び生きていくための[始まり]の時間である。
日常の中に潜む極上のひととき
=再生のためのいやしの黄金の瞬間。
これをdigitalJapanesqueシリーズの第1弾としたい。
2010.10.01未明 東京星菫派・益子透



2011年8月4日木曜日

その炭に火をつけるんよ




「その炭は売らなんだ
一本も売らなんだ
ぜんぶ自分の家に運んだだ」

「なんでじゃ?」

「なんでゆうてもな
売れなんだよ
どうしても
売る気にならなんだな
長い冬
話し相手もないもんでな
ひとりでじっと暮らしておって
みょうに淋しゅうなったときにな
その炭に火をつけるんよ
するとな
胸がぽっと
あったまるんじゃ」


今井保之
手書き童話《女鬼》より抜粋












千年相聞番外編 《女鬼》


ふと気づくと それは始まっている。


何をどうしたらいいか
見当がつかなかったので
「千年相聞」を何本か観る。
よくできているな、と、納得。

すでに、このあいだの「古河案件」で
DJを社会的に開いてはいたけど
あらためて見直すと
この千年相聞シリーズ、絶後である。
3.11を経過した現在ゆえに、なお。

プロローグにあたる
《ふと気づくと それは始まっている。》と
番外女鬼編と名付けた
《その炭に火をつけるんよ》の2タイトルをウェブに。

混迷脱出のしるしと、した。

2011.8.4 四日目の夕月を眺めた夜に T.M




千年相聞プロローグ


ふと気づくと 
それは始まっている。

夏の終わりのような
青春の切なさのような
初恋のときめきのような
いとおしいような
失うのだけれど
満たされていくような
そんな心を呼びさます。

「夕焼けの空」 彫刻家 安藤栄作




チェンジ。8.4
一度起き、コーヒーを一杯飲んでまたベッドへ。
結局、十時間、眠った。いや、眠れた。
六月後半から過熱し、七月末に段落がついたけど
気持ちも体も停止できないまま一週間近く経過。

やっと、まとまった時間、眠れた気がする。

これで、切り替える。
切り替えた後、どう展開してくか
いまのところ予想もつかないが、まず。




2011年8月3日水曜日

エピソード4 ラスト30秒

ほぼこんな展開になります。
http://www.youtube.com/watch?v=Ry8uFXfoKoI




3~3.満月。街の近くを流れる川。夜

スクリーンいっぱいに巨大な、
のぼりたての、九月の満月。
昼の暑気のなごりで
画面がかすかに揺れている。

水音と九月の虫の合唱に、
遠くの映写会のざわめきが溶けている。
その気配に刺激されたように
電線に止まっていた鳥が、
五線譜のような電線上で
音符のように飛ぶ。



遠景。河口の街明かりと満月。






その真ん中に次の決め言葉が一行。


ひとは家に、帰ってゆく。







2011年8月2日火曜日

雷電神社 古河市雷電町7-35

エピソード7の撮影場所候補
8.6ロケハン予定

年の始まりに祈るのは、
家族のことでした。

振り向けば、妻はまだ手を合わせている。
「いったい、いくつ願い事があるの」

と笑うのも、毎年おなじ。
今年も私は、家族のこと、
そして仕事のこと、そのふたつ。
誰だってそうだろう。

昔から変わらないだろう。
いちばんの願いは「家内安全」、
家が安らかであるように。
家のなかが明るくて、
家族が健やかであるように。 時代は変わる。新しくなる。
けれど、家族の想いはいつだって。




神社は、国道4号線を北上、三杉町信号を左折して進んだ
雷電町の道路沿いにあります。
狛犬は、昭和34年です。神社の裏に、
馬頭観世音と庚申塔がありました。
神社入口のケヤキと境内中央のシイが、
古河市名木古木指定となっています。


当社の創建は詳らかでない。
然し、今を去る三百五十一年前(寛永十年)当時の古河城主、

土井大炊頭利勝公、築城の際に、城外鬼門に当たる所に鎮座し、
雹雷除けの祈祷をしていたこの社を、城の鬼門除けとして祀った。又、この付近に、雷電組屋敷を置き、その組屋敷の人と、
近隣の人々の信仰心により、社殿と祭典行事の維持がなされてきた。
旧来は、古河城下の修験が別当として管理していたが、

明治以降は、近隣の町内がこれにあたり、
現在は、雷電神社奉賛会が組織され氏子一同がうけついできている。
祭神:別雷神(わけいかづちのかみ)
境内由緒書より。







8.6【野外映画会】ロケハン資料


episode4家族はつづく...篇

http://www.youtube.com/watch?v=m_o2QyLCXhM   







1~2.公園。晩夏。
あるいは秋のはじめの昼下がり。
芝生の一角に据えられた大きな作業台。
白をベースに秋の花々が染められた一枚布が
テーブルクロス代わりにかけられている。
絵本作家ひなた涼子が、この日のために染めた布である。
作業台の上に、まっ白な折り畳み式の台紙。
半分ほどを住民たちのスナップ写真が、
拡大され埋められている。
出来ぐあいをチェックするように
ひなた涼子が頬杖をついて眺めている。


そのかたわらの芝生に座り込んだ、

こばやしそら、ひなたゆう、やまもと夫妻が
4人がかりで芝生に広げられた
数十枚のスナップ写真を取り上げ、
なつかしそうに笑っている。

けやきの樹の下。
なかにしパパと近所に住む建築会社に勤める
サワモトさんが脚立に乗って、
大きなシーツを取り付け中。
サワモトさんはプロなので、
ああしろこうしろと口やかましく
指示を出している。

すこし離れた場所で、
なかにしママがやまもと夫妻の愛犬さくらと
遊びながら、2人のシーツマンに、
もっと右よ、ちがう左、上かな…
などと、てきとうな指示を出している。

別なけやきの樹の下。
近所のアパートに住む音大生たちが
音合わせに余念がない。
芝生に座ったなかにしもえかが
謎のような笑みを浮かべ、
その音に聴き入っている。


ややあって、作業台の上。完成した絵巻物のを前に、

白い見開き状の紙を見入っているこばやしママと、
隣に座り、自慢げに見守るひなた涼子。

白い紙のアップ。
右側に次の文章がクレヨンで描かれ
左側には、公園の映画会の
ラフスケッチが添えられている。
文章は、こばやしきょうこが、
スケッチはひなた涼子が描いた。
日向家と小林家共通の親、
相馬匡と茉奈夫妻にあてた招待状である。

「おじいちゃん おばあちゃん
今度のお休みの日に
公園で映画会をするから
ぜったい来てください。
待ってます。  
小林杏子 そら 日向ゆう」

けやきの樹の下。
音合わせを続ける音大生の近くに座った
ひなたゆうと、なかにしもえか。
音楽を聴きながら、
二人そろって謎のような笑みを浮かべている。
次の言葉が重なっていく。


子が、親離れをするころ。
親は、その親のことを思う。