2006年7月7日金曜日

'04.8.1[japanesque:00029] 愛してるからね





+++++++二年前の東京星菫派メーリングから
件名: [japanesque:00029] 愛してるからね
送信日時: 2004年 8月 1日 日曜日 4:15 AM
差出人: Toru Mashiko
宛先:東京星菫派


1992.1.13
アバコで“風”と“色”の音楽を録音するために
東京星菫派音楽顧問・菊池雅志さんに渡した1.13付けのメモの前書きから

 「目を閉じると 
  見えてくる
  色がある
  光がある
  水がある
  風がある
  音が
  空気が
  世界がある

  あなたが
  わたしが
  無数のわたしたちが
  いつの日か
  そこにいて
  そして
  いつまでも
  夢見つづける

  まだ
  誰も 
  見たことがない
  ニッポンの 
  美しい風景が
  ここにある」

だからどうしたというわけでもないが。
要するにおれはこいつをdigitalでやりたいわけです。
12年経って、さすがに髪が薄くなり
あるいはさっぱりと坊主になってしまっている
菊池さんや石塚さんをNHKで見ながら
そう思った。
寒風と雪まじりの臼田の電波望遠鏡の前で
月光仮面もどきの格好で震える彼らの熱演に
カラダが震えるような興奮を覚えたこと。
その足で熊野に走り、熊野古道で300inchスクリーンに
宙を飛んで届いた二人の雄姿を映し出し
そいつを緋毛氈に座ったフランス女とアメリカ男と
日本人男女が呆然と観ているという
わけのわからないエンディングにしたことなど
http://homepage.mac.com/torum_3/r1118/iMovieTheater180.html
猛烈に思い出されていく。


番組で最初に演奏された
「のちの思いに」は、
「光の日本」で試みた立原道造と福島泰樹という組み合わせを
あらためて福島泰樹独りの世界に再構成したもの。
http://homepage.mac.com/torum_3/r1118/iMovieTheater150.html
http://homepage.mac.com/torum_3/r1118/iMovieTheater151.html

二年前の大雨の夜、十年ぶりに曼荼羅でお会いしたとき
歓迎のつもりか、その旨を観客に紹介し、特別演奏をしてくれた。
予定外のことで、俺は恥ずかしくて下を向きっぱなしで
会場が暗いのを良いことに涙をぼろぼろこぼしてた。
http://homepage.mac.com/torum_3/love/iMovieTheater552.html
http://homepage.mac.com/torum_3/love/iMovieTheater555.html

これからHD900を引っさげて
レガシーとコロムビアを同時に撮った
http://homepage.mac.com/torum_3/r1118/iMovieTheater181.html
あの東北に向かえるのだと考えると
センチメンタルになって眠れねえ。
お察しください。

なお、レガシーとコロムビアはほぼ同時に仕上げられ
そののちポイントディゾルブと称するようになったエフェクトと
映像デザイナーという言葉をひねり出した記念の年。
愛する山岡は、元祖小深田の愛弟子としてまだ初々しい青年でありました。
六本木TSPA編。
酔客の声と六本木の夜風がストレートに窓から出入りし
モニターにはドアの向こうで見守る郡山青年が番人のように映っていて
できたばかりのWAVEや青山ブックセンター六本木店が光り輝いた頃のこと。
おれはまだ39歳だった(添付の証拠写真↓)。


いやあなんつーか、葉月八月は懐古回顧で開けちやった。


ひさしぶりの東北ロケに興奮で眠れず
引き出しの奥から古いメモを引っ張り出し
あのときの気分を思い出してます。
その1992年1月13日に書かれた
「色と風 音楽とSEに関するメモ」の最後のページには
作曲の菊池雅志さん宛にこんなメモが書いてあった。


  エピローグ
  「もう春なんだね」
  ササヤンカ村からの風を受けながら、さようなら。
  これで、この巻と、全4巻のすべてが終わる。
  挿入詩no.8「はるのしなやかな挨拶」が
  やさしげに入る。
  哀しみも喜びも、こもごも溶け合った音楽が
  スタッフのクレジットの最後まで流れていく。
  聴いているすべての人が
  いつか辿り着いてみたいと
  思いたくなるような音楽が。


そして、最後のページに
「また、いつか、
こんな仕事で逢いたいね。
ササヤンカの村からの、
誘いの風が吹くその日まで、さようなら」
と、添えてある。

pioneerのneo花鳥風月をテストケースに
六月から本格スタートしたdigitalJapanesqueシリーズが
この最後のメモの永い余白の末の一行なのだ、と思います。




手書き絵本「女鬼」をお渡ししてから
さらに月日が過ぎたけど
すべてはつながっていると、あらためて言っておきたかった。

もう、3時間もすれば
東京駅の銀の鈴でみなさんとお会いすることになりますが。

ま、そんなところであります。ご静聴感謝じゃ。

   2004.8.1 朝 T.M

No.99 Light and the dark. 7.7

↑タイトル部分をクリックするとムービー

撮影場所:犬吠埼、六本木、舘岩村湯の花、仙石原、田沢湖、上野、多摩川
音楽:“色の日本”エンディング前半部を仮あて


3月28日から今日まで丸100日経過。
約5年分のHD900素材の過半を総チェックしながら
できるだけ場所と時間を中心に荒編集してきた。
ほぼ一日一本の割で試みてきたことになる。
きりのいいところでNo.100とすることも考えたが
余地を残すつもりでNo.99にとどめた。
ここから先は、組み合わせと融合。
限度の無い深みへと向うことになる。
5年分の時間を甦らせるためにはじめたが
あとはただ、奔出させるばかりである。

étudeをこのNo.99 Light and the dark. 7.7で打ち止めとする。

        2006.7.7未明 T.M

2006年7月6日木曜日

No.98 ここではないどこかへⅡ 7.6

↑タイトル部分をクリックするとムービー

撮影場所:奄美大島、犬吠埼、若草山、隅田川、多摩川、八幡平、仙石原、利根川、早坂高原
さてどこに行けるか。どこまで行けるか。流れる雲まかせである。行雲流水、である。
4年前の9月。京都の近くでロケのあい間に夕雲を撮り、DJシリーズの柱の一つに雲をターゲットとしたいと書いたことがある。「その雲のかなたへ」とタイトルを付けショートムービーをwebに置いた。仮あてした音楽は“追憶”。吐竜の滝ロケをDJシリーズの正式なスタートとしてから一ヶ月余りが過ぎた頃のこと。この夏から秋にかけ、弾みをつけたくて家庭用のSONYで雲や月をよく撮ってはwebにアップしていた。4年間。館岩のF900テスト撮影から5年間。遠くまで来たのだとは、思う。止まる気などさらさらないが、100日近くの間に、100タイトル近くつないでみて、さすがに感慨深いものもあり。気持ちを記しておくため4年前には“The way we were.”
Gladys&Knight&The Pipsを添えた。それから4年経過し、撮り集めた雲のほんの一部をまとめたNo.98にはハワイ・マウナケアロケの帰りに現地の土産物屋で入手したコンテンポラリーハワイアンから“Somewhere Over The Rainbow/What A Wonderful World”IsraelKamakawiwo'oleを仮当てしておく。




湯治部webメインページの挨拶より引用++++++++++++++++++++++++++

  東京星菫派敬白。2004.2.29
  ある日 ふと手を止めて空を見あげる
  真っ青な空に白い雲が浮かんでいる
  雲は姿を変えながら 連なる山のかなたへと流れている
  足もとには たんぽぽの綿帽子がそよいでいる
  さわりと風が吹くと 綿帽子は身をよじり
  ふわりと真っ青な空に旅立つ
  たとえば それがすべてのはじまりだ

  飢えを満たし 日々を潤すためだけにある
  幾千もの夜と幾万もの昼の 果てしない繰り返しの どこかで
  ある日 人はふと空を見上げて想うことになる

  もしかしたらどこかに はるかかなたの異境の地に
  異なる時間の流れる場所に
  いまあるすべてのこと以外にも
  心踊らせ浮き立つような 何かがあるかもしれない…

  そして人はある日 かりたてられる想いにその身をあずけ
  はるかかなたへの一歩を踏みだす
  ここではないどこかへ、と。

  [何も願わず何も語らず我と我が貧しき夢と君のほかには]
  福島泰樹のこの歌の世界を
  この世の風と光と空気と水が織りなすアラベスクとして、
  さみしさを抱え込んだり切なさに涙ぐんでいる人を慰謝できたら…。
  元気と勇気の素のひとかけらとなれたら。

  すこし照れるが、それが東京星菫派の願いである。

2006年7月5日水曜日

No.97 きみのほかにはⅡ 7.5

↑タイトル部分をクリックするとムービー

撮影場所:奈良若草山、京都鞍馬、古河、多摩川、奄美
音楽:“光の日本”エンディング前半から仮あて

沈む月を二日月から満月まで。
“きみのほかには”パートⅡとする。

No.96 crescent night 7.5

↑タイトル部分をクリックするとムービー

撮影場所:奈良県若草山山頂
音楽:東京星菫派顧問菊池雅志“月光”を仮あて

一年前の七月五日は、奄美にいたのだ。
新月の頃で、夜になると宿のまわりの空は濃い闇とむせるような熱気に包まれていた。
奈良若草の頂で撮った鎌のように細い二日月をつないでいると
灼熱と静寂と2つの時間が溶け合っていく。
一年が過ぎたのだなと、誰にというわけでもないが乾杯したくなった。
     2006.7.5未明 T.M


++++++++一年前のMLから+++++++++++++++++++++++++++++++++
Re: [japanesque:00230] パラダイス、である。

深夜モードを通り越して夜が明けてしまった。
荒編したものをDVDに落とし、
たったいまテレビで見たところ。
「イヤイヤ詰めた」と、
さっき書いたが、豹変した。
取り消しておきたい。
あっちもいいが、こっちはもっといい。


「極上至極な楽」と企画書に書いたが
south paradiseは、そのままの一本となった。
ある日、流れる雲を見上げ
ここではないどこかへ…
と思い立った男あるいは女が向うのは
あふれるような生命力がみなぎる南、である。はず。

なぜなら、つかれたいのちは
いのちによってなぐさめられ
励まされるほかないのだから。

で、男あるいは女は、南へ向う。
そして46億年と出会うのだ。
それは水と樹木。
いいかえれば細胞の源と酸素の供給源。
この二つが可能な限りあるべき姿で
つまりpureな状態で維持されている場所。
ひとは、水でできている。
いや、はるか昔、彗星によって運ばれた水の粒子が
この過剰なほどいのちあふれる星の起源だったという。
奄美をひらけば「あまみ」。天の水と読めるから
というのはちと強引だけどね。
あそこには本質的に
つかれたいのちを慰謝してくれる
濃密でpureなものがあるのだと思う。

雲を見て南に誘われた
男あるいは女=わたしあるいはあなた=わたしたちは
そのsouthで水と空気と樹木にふれることで

もしかしたら女あるいは男に出会うことで
自分の中に秘められた可能性=想像力=夢見る力と
いつか再会することになる。はずです。そうなればいい…

5分足らずで、と思っていたが
見直して、そういうことが暗喩できている、
と感じられた。



おとなしい感じの真っ白な服をまとって南に向った
男あるいは女は やがて
あざやかなオレンジ色の服を着たもうひとりの自分と出会う。
その赤い服をまとって南で過ごすのは、いわば夢の時間。

太古の家=夢の跡を目にし
あざやかな花=生きている夢を手にし
息苦しいほどオゾンが充満した森=明日の夢に遊び


すべてのいのちの源となった海辺で再び真っ白な服に戻る。
しかしその服は潮風にあおられ荒布のようにはためいている。
風に布をなびかせて、男あるいは女は昂然と顔を上げて
波うちぎわを歩いていく。帰るべき場所に向っていく。
目を上げた先には巨大なオレンジ色の夕日が燃えている。


慰謝と再生。
これが極上至極なリゾートライフの本質であります。
疲れていることを自覚できようとできなかろうと
ひとは根源的に、なぐさめられ力づけられることを望みます。
生きていることは愉しいことだ、と囁かれます。
南に向うとは、そういうことなんだね。
だってひとは南からやって来たのだから。

さて、なんでPDPなんだ?
ま、いいじゃん。
South paradiseをpurevisionで見たら
そりゃ一目瞭然。眼からウロコだもの。

2006年7月4日火曜日

No.95 東京月光 7.4

↑タイトル部分をクリックするとムービー

撮影場所:東京多摩川
音楽:東京星菫派顧問菊池雅志“月光”を仮あて

2006年7月2日日曜日

唐突だが、六本木でむじな発見7.2



TSPの六本木地下スタジオで編集をするようになって十数年になる。そのかん、年に数十日は出入りをしていたはずだけど、地下への階段折口の真ん前のバーの入り口に、むじなの彫刻が置かれていることを一度も気づくことが無かった。たまたま早く来過ぎ、編集マンが来てスタジオを開けてくれるのを表で待っているときに、気づいた。むじなである。須賀川郊外の“むじな森”をこよなく愛す俺としては、まことにうかつであったなと、後悔&反省しながらアタマと腹を撫でて詫びた。こんど“おつな寿司”の柚子稲荷でもお供えしたい。もうすぐ七夕。須賀川むじなの森で未来博覧会が開幕して5年になる。東京、雨。 スタジオにて T.M