はじめて海に出あったとしよう
たとえばぼくは深い森のある山あいに暮らしている。
生まれてからまだいちども海というものをみたことがない。
ある日、話に聞く、海というものが
どうしても見たくなり、
いくつもの山や丘や川や平野を越えて海に向かった。
季節はきっと、春。
桜が咲いて、大地が緑になって
空に鳥たちが飛びかい
月がしみじみときれいな夜がつづくころ。
ぼくははじめて見る海に向かったのだ。
そして、ついに
海と出会う。
そのときぼくはどんなコトバをもらすのだろうか。
最初に感じるのはきっと際限のない明るさ
同時にまぶたを突き刺すようなまぶしさ
明るさとまぶしさに目がなれた頃
はてしない水平線を前に無限の広さを感じ
そして最後にわけもなくうれしくなって笑いをこぼす。
自分の中にありつづける海のイメージは
そういうふうなものらしい。
そして、その海は
つねにひらがなで飾られている。
2003.犬吠埼ロケのときのメモから
digital_Japanesque連絡用。 ●ある感想から 「わたしに愛おしい古里があって その冬の白さや 夜闇の月光や 夏の緑や風や 命の水を あんな風に 美しく 幽玄に 残してくれる人がいることを知ったら うれしくてきっと涙が止まらないでしょう ほんとうに ほんとうに 素晴らしいです 改めて Japanesque・・一日も早く 待ってる人達のもとに とどけられますように」 4/12/2007 3:45 午前匿名希望
2009年9月4日金曜日
2009年9月3日木曜日
メモ9.3
異化される時間。
劇場化される日常。
その瞬間、
ひとは自分の中に秘めたさまざまな
“いまとは異なる時間。世界。人生”
の可能性に直撃されることになる。
だれにもいつでもどんなときでも
いまある日常以外の時間や人生や世界が
ここではないどこかに必ず存在する。
ひとはその瞬間と思いがけずに遭遇することで
なぐさめられ勇気づけられ力づけられ
可能性の存在に気づかされることになる。
自分の中にいつもと異なる
もうひとつの時間が
特別な瞬間が
たしかに流れていることに
思い至ることになる。
そして、ため息をつきながら
ふたたび日常へと帰って行く。
慰謝され再生するために。
日常生活において“慰謝と再生”を
もっともシンボリックに表現するのは
沈む夕日と
そのきわだつ赤をうけとめ
闇の中でさえざえとかがやく月
そして再び力強く世界を照らし出す太陽である。
一日の=人生の最上の豊饒な結晶としてのsunset。
その豊かさを映し出し静かにふり返らせる
自らではなく光の反射としてのみ存在しつづけるmoon。
慰謝と眠りを根拠に再び生まれる新しい可能性sunrise。
だからsunset&moon&sunrise。
これをdigitalJapanesqueBDのデビュー第1弾としたい。
sunrise を胸の内に宿したsunset を求める
日常の中に潜む極上なひとときmoonlight
にたどりつくまでの
さまざまな“道”を描く
ショートムービーシリーズ。
それぞれの、
一人ひとりの
道のその先につづく
もうひとつの“道”の物語。
それが第1弾デビューのテーマとなる。
2009年9月2日水曜日
むずむずくちゅくちゅちゅちゅちゅ étudeNo.0930
さよならって言えることは嬉しい
なぜって
さよならの前には
いつもこんにちわがあり
そのほんの隙間には
はなとみつばちのようなむずむずがあり
ゆめとくちびるのようなくちゅくちゅがあり
したとちちふさのようなちゅちゅちゅがあり
こいぬのはなのしめりっけが
言葉を 離れて ある
さよなら
あなたもあんたもあなたもあなたも
さよなら
そんなはるのしなやかな挨拶が
風をほんのり赤らめ
もう ニンゲンも はるなんだね
佐々木洋一「春のしなやかな挨拶」
撮影場所:秋田県田沢湖湖畔
撮影日;2004年8月2日
仮あて曲「風のササヤンカ村」
作曲 菊池雅志
尺八 菊池雅志
ドラム・パーカッション 石塚俊明
ピアノ 永畑雅人
仮あて朗読 中田浩二 山下亜美
詩 佐々木洋一「未来ササヤンカ村」
これにて懸案だった2つの課題を
全クリアとする。
2009.9.2 15;20
T.M
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