[ぼくらはぼくらに
または少女に
それを視せて
とほくまでゆくんだと
告げるのである
とほくまでゆくんだ
ぼくらの好きな人々よ]
吉本隆明「涙が涸れる」から
眠れぬ夜のために T.M
眠れぬ夜のために T.M
digital_Japanesque連絡用。 ●ある感想から 「わたしに愛おしい古里があって その冬の白さや 夜闇の月光や 夏の緑や風や 命の水を あんな風に 美しく 幽玄に 残してくれる人がいることを知ったら うれしくてきっと涙が止まらないでしょう ほんとうに ほんとうに 素晴らしいです 改めて Japanesque・・一日も早く 待ってる人達のもとに とどけられますように」 4/12/2007 3:45 午前匿名希望
未開の自然の中に 人々が住むということは、 漆黒の闇を 松明の灯で照らすようなもので、 それが啓蒙であり開明であった。 もっともカイメイには 晦冥という字を あてることもあるが、 晦も冥も暗いということなので、 開明とはまったく逆の意味になる。 「開明とは、光なのですね」 「しかし、それは闇を 松明の灯で照らすようなもの。 そこだけは明るいが、 周囲の闇はよりいっそう 暗さがきわだつ。 灯がなければ、 闇は闇ではない」 「では、闇のままで あった方がよかったと?」 「いや、人が生きるということは、 闇をひらく ということにつながります。 《晦冥》を知ることが すなわち《開明》であると 申しておきましょう」 -夢熊野-紀和鏡より |
日本郵船歴史博物館の企画書のタイトルは 【日本を、ひらく。】 その根拠となったのが紀和鏡の小説の一節だった。 |