2009年9月1日火曜日

秋扇湖


秋扇湖。湧水の輪郭。

湖畔、溶暗。


撮影場所:秋田県田沢湖湖畔
撮影日;2004年8月2日



田沢湖。トンボの宿の湖畔。



流紋




撮影場所:秋田県抱き返り渓谷
撮影日;2004年8月2日




岩の微妙な切れ込みが浅瀬とあいまって水面にうねりをつくりだしたらしい。



瀬音


抱き返り渓谷

緑陰のせせらぎ


抱き返り渓谷の支流の小川
その名を知らず



2009年8月30日日曜日

HDVチェック済の素材タイトル



クリックすると拡大できます↑
こうしてみると、まだまだ入り口レベル?


たとえば
仙石原の中秋満月斜め走り
犬吠埼春の怒濤横ナメと黄金旭日♨ショット
幻となったビオガーデン雨の紫陽花と水草
ロケハン大収穫の田沢湖落日と湖の十六夜
多摩川河口の鳥と昇月
紅葉黄葉の京都慟哭
twilight YOKOHAMA
Rainy Night In YOKOHAMA
100年ぶりの豪雪遭遇…
うーん、寝て、いや、見てみたい*^_^*





毒もつがゆえの美。


撮影部から提供されたHDV素材を
徹底的に再検証しているうちに、夏が逝く。
切り直したシチュエーションアーカイブ、88タイトル。
うち、おもしろがって遊んだ['09étude]が23本。
夏休みの補習授業を受けた中学生のように
ひたすらデスクトップMacに向かい続けた。


秋田田沢湖に行く道ばたにある秋扇湖をつなぎながら
毒のある水がなぜかくも美しいのか、不思議でならなかった。


倉持さんが切り取ったどの1カットも
時間を持った日本画のようだ…
と思いながら、気がついた。
鉱毒というのは別な見方をすれば[岩絵の具]なんだよな。


だから、玉川と秋扇湖の風景は
色も風情も、あんなにも美しい。


大地をキャンバスに鉱毒という[岩絵の具]が描き出した…
そう考えると渡良瀬遊水地がときに見せる
この世の果てのような凄絶な世界もまた
[鉱毒=岩絵の具]の結晶なのだ。


魅了させられる、それがもしかしたら
いちばんの理由なのかもしれない。
ま、深夜モードの思いつきだけど。


これだけだと身も蓋もないので
福島泰樹の短歌を一首借用。




  
   飛ぶ鳥も遠くの空へむかうゆえ
      一生一緒に居てくださいな
                           「中也断唱」より


BGMは♪Moliendo Caféあたり?





では、秋にむかって…ご一緒に。  

 2009.8.30処暑未明  T.M拝














花の力

秋扇湖へと分け入る道ばたの花。
夏の盛りに咲く花は炎天下でもなお、凛々しい。
蜜を吸うトンボもまた、力強い。



湧水の力

秋扇湖の入り口近くにあった湧水の流れ



0923 _38℃ 炎天と静寂

秋の扇の湖、と書く。「しゅうせんこ」。
湯治部レガシーロケ以来の必勝地。

2009年8月29日土曜日

夏の通り雨




玉川Wikiより**********************************************
玉川(たまがわ)は、秋田県を流れる一級河川。別名副川(そいかわ、そえがわ)。雄物川の支流としては最長である。玉川温泉の強酸性水が流れ、玉川毒水と呼ばれる。

秋田県仙北市田沢湖田沢の岩手県との県境にそびえる大深岳に源を発する。いくつかの川を合わせながら国道341号と並行して流れ、玉川ダム鎧畑ダムの山間部を抜け集落に到達する。ここで田沢湖に注ぎ再び玉川に戻る水路を分ける。その後夏瀬ダム神代ダム抱返り渓谷を流れ、横手盆地に出ると南西に向かい、大仙市花館付近で雄物川に合流する。
上流部は水力発電所がいくつも建設されているほか、仙北平野で広く使用されている田沢疏水の一部も引き込まれ農地を潤している。
第二次世界大戦中玉川毒水が田沢湖に引き込まれた際、湖内のほとんどの生物を死に至らしめた。特に田沢湖の固有種であるクニマスは、本格的な研究が行われる前に絶滅してしまった。

2009年8月28日金曜日

風の力。雲の力


水鏡。素材/夏の湖

岩洞ダムは、東北農政局が管理する灌漑用水・発電を目的とするロックフィルダムです。
ダム湖は、岩洞湖と呼ばれ、(財)ダム水源池環境整備センターのダム湖百選に選定されています。下流の岩洞第1発電所、岩洞第2発電所では、合計49,600kwの発電を行っています。
この岩洞ダムの型式は、たいへん珍しい傾斜土質遮水壁型ロックフィルダムです。
この形式のダムは、御母衣ダム、九頭竜ダム、岩屋ダムと大規模なダムが多いのですが、岩洞ダムはその中でももっとも堤高が低いダムです。岩洞湖は全国のダム湖の中で堆砂の進行が最も遅いダムの一つで、試算では無策で放置した場合でも約70万年経たないと、堆砂容量が満杯にならないと見込まれています。

http://pcpulab.dip.jp/main/gandoudam.htm


場所は岩手県盛岡市の北東、北上山地の深い山の中。現在は携帯も使えるらしい(*⌒O⌒*)
それにしても本番の夜は、寒かった。



以下はWikiから引用*********************************************
http://ja.wikipedia.org/wiki/岩洞ダム
岩洞ダム(がんどうダム)は岩手県盛岡市玉山区(旧岩手郡玉山村)、一級河川・北上川水系丹藤川に建設されたダムである。農林省(農林水産省)東北農政局が国営岩手山麓開拓建設事業の中心事業として建設した農業用ダムで、現在は岩手県企業局が管理する県営ダム。かんがいが主目的であるが水力発電の目的も持つ多目的ダムである。堤高40メートルのロックフィルダムである。ダム湖は岩洞湖(がんどうこ)と呼ばれるがこちらが有名で、地域のレクリェーションスポットとして観光客が多い。

素材/夏満月。40倍zoom



あのときの40倍の威力。HDVで精密にチェックしていてよくわかった。
8月1日。玉川温泉近くの橋のたもと。
湿度でややかすんではいるが、まぎれもない盛夏の満月。


秋か冬の光がきれいなときに超望遠、また狙いたい。





以下はWikiから引用**********************************************
http://ja.wikipedia.org/wiki/玉川温泉_(秋田県)
秋田岩手の県境にまたがる八幡平(火山)の秋田側に位置し、山中の一軒宿だったが、多様な泉質と豊富な湯量と効能から、本格的湯治場として人気が高く、長期で滞在する湯治客も多い。きわめて宿泊の予約が入れにくいため、1998年に同経営の「新玉川温泉」が玉川温泉から徒歩10分程の所に、さらに2004年には別経営の宿「ぶなの森玉川温泉 湯治館そよ風」が新玉川温泉の近くに開業している。湯治向きの玉川温泉に対して、新玉川温泉は観光客向けに作られている。玉川温泉と新玉川温泉とでは、新玉川の湯の方が刺激も少なく入りやすい。これは、源泉から長距離引湯している影響である。特に有名なのが、この温泉と台湾北投温泉にだけ存在する北投石(ほくとうせき)。しばしばマスコミにも報道されている。
温泉地には地熱の高い地獄地帯が存在し、岩盤浴が名物である。多くの人がゴザを引いて岩盤浴を行う光景が見られる。
地元のマタギにより1680年に発見された。発見時に鹿が傷を癒していたことから、古くは「鹿の湯」、「鹿湯」と呼ばれた。1885年明治17年)に、鹿湯という名称で湯治場として開かれるまでは、当地にあった硫黄採掘所の工夫とマタギが温泉を利用していた。
温泉地としての本格的に開かれることになったのは、五代目・関直右衛門が開発に乗り出してからである。 1929年昭和4年)に当地で湯治を行い、その効能の高さを知った関は、1932年に近隣の湯瀬温泉に湯瀬ホテルを建設すると共に玉川温泉の権利を取得した。
1934年(昭和9年)、それまでの鹿湯という名称から玉川温泉に改められた。命名は朝日新聞記者・杉村楚人冠による。
戦前は、が主要な交通手段で、交通の便が非常に悪かった。第二次世界大戦後の1950年(昭和25年)、国道およびバス路線が開通。その後開発が進むようになった。

2009年8月26日水曜日

春の輪郭




渡良瀬遊水地(わたらせゆうすいち)は、足尾鉱毒事件による鉱毒を沈殿させ無害化することを目的に渡良瀬川下流に作られた遊水池渡良瀬川思川巴波川の3つの川が合流する地点に作られている。
当時、設置の表向きの名目は洪水防止目的で、鉱毒対策をうたってはいないが、1903年の政府の第二次鉱毒調査委員会が渡良瀬川下流部に遊水池を設置する案を提示したことを受けて造成されており、鉱毒対策目的であることは明白であった。
法令上は、国土交通省が管轄する河川の内部になっている。足尾鉱毒事件から100年近く経った現在では鉱毒は減少し、主に治水と利水のための地域になっている。ただし、減少したのは上流から新たに流れてくる鉱毒の量であって、遊水地の土壌には現在(2009年)でも銅などの鉱毒物質は多く含まれている。
領域は栃木県群馬県埼玉県茨城県の4県にまたがるが、ほぼ全域が栃木県下都賀郡藤岡町に属する。残りの部分は栃木県小山市、栃木県下都賀郡野木町、茨城県古河市、埼玉県北埼玉郡北川辺町、群馬県邑楽郡板倉町に属する。
内部の面積は33km²で、山手線の内側の面積の約半分である。ゴルフ場が造成されている場所があったり、ごく一部に旧建設省の許可を得て耕作が行われた場所があったりするが、建物はなく、若干の道路と橋のみがある。 最寄り駅は東武日光線柳生駅新古河駅および板倉東洋大前駅
内部に第1調節池、第2調節池、第3調節池があることになっているが、第1調節池以外は増水時以外実態がない。第1調節池はかつてお化け沼と呼ばれ、釣り人に親しまれたが、その後の造成により南部がコンクリート張りの谷中湖になった。渡良瀬川の西側が第1調節池である。第2調節池は巴波川の東で、第3調節池は渡良瀬川と巴波川の北側である。遊水地内の堤の一部はあえて低く作られた越流堤があり、増水時には調節池に向けてわざと水を流して一時的にため、下流での洪水を防ぐしくみになっている。

外に出たら、星。今夜は「太陰太陽暦」(旧暦)の七夕



ニュース 速報 YOMIURI ONLINE(読売新聞)

今月26日は「太陰太陽暦」(旧暦)の七夕に当たることから、各地の天文台などで星空の観察会やイベントが開催される。旧暦の七夕の日に合わせ、夜空を眺めてみてはどうだろう。
月の満ち欠けをもとにした太陰暦に、太陽の動きを加味してつくられた太陰太陽暦では、今年は8月26日が七夕にあたる。太陽暦の7月7日は梅雨のさなかで星空の観察が難しいことなどから、国立天文台(東京都三鷹市)では、太陰太陽暦による「伝統的七夕」の日の星空観察を呼びかけている。
群馬県高山村の県立ぐんま天文台では「伝統的七夕」の観望会を初めて実施する。午後7時半、8時15分、9時の3回、天文台職員の解説で天の川などの星空観察を行う。「『天の川を見てみたい』『七夕のイベントをしてほしい』といった要望が寄せられていた。観察には現在の暦より、旧暦の七夕の方が観察しやすいので実施を決めた」という。入館料300円。
東京都江東区のガスの科学館でも8月26日に、親子向けのイベント「もうひとつの七夕を楽しむ」を初めて開催する。願い事を書いたり、七夕人形を作ったりするほか、屋上での観望会も行う。参加無料。先着40人。
沖縄県の石垣島では伝統的七夕の日を前に、8月19~23日に「南の島の星まつり」を実施する。22日には大規模な観望会を行う。星空が見えやすくなるよう、同日午後8時半~9時半は島内の商業施設や家庭に消灯を呼びかける。
天の川は、大都市で見るのは難しいが、天候に恵まれれば各地で観測できるという。

2009年8月25日火曜日

夏の輪郭。コスモス





南会津舘岩の道ばたで撮った秋桜。


夜になって、秋の虫の鳴き声をこの夏はじめて感じた。
蝉はまだカナカナを聴かず。


詳細はWikiで**********************************


http://ja.wikipedia.org/wiki/南会津町
南会津町(みなみあいづまち)は、福島県南会津郡にある
2006年平成18年)3月20日、南会津郡田島町、南会津郡舘岩村、南会津郡伊南村、南会津郡南郷村新設合併して誕生した。




2009年8月24日月曜日

夏の夜の、夢。



あの小さな露草が、なんとつややかで色っぽいことか。ため息ひとつ。









2009年8月23日日曜日

BDvsDVD比較チェック

パイオニア黒50インチ/パナソニックBDで
[étude01-15]のBDとDVDを比較。
使用素材はHD>HDV共通。
あきれるほどに違っていた。
唖然とするほど鮮明だった。
文字ぬけも圧倒的。

全シーン比較
1.[étude0910/夢と追憶]
2.[étude0909/慕情3遠くの空へ]
3.[étude0913/さよならっていえることは]
4.[étude0911/ぬばたまの]
5.[étude0915/抒情]

BDのみチェック
[étude0907/慕情]
[étude0901/Água de Beber]


※1曲vs1シークエンス

2009年8月22日土曜日

千住博『美を生きる』世界文化社刊から抜粋

p145【雨】
「ふと足もとの水たまりに目をやると、凪の中鏡のように青空がきれぎれの雲の間に映り、雨が止んで雨雲が移動してゆくのだなと知り、心まですがすがしくなった…つくづく美というものは、それを感じる心さえあれば、文字通り、足もとにも存在しているのだな、と思います。羽田空港第2旅客ターミナル到着ロビーの作品[水の森]もそんな何気ない雨に煙る湖畔の光景と、雨後の水面に光が反射する美的感動を作品にしたもので、同名の作品をニューヨーク国連大使公邸にも、そして大徳寺聚光院別院の襖絵にも描きました。
最近になって私は雨の景色というよりも、雨が降っているという状態が何か創造的発想を刺激するのではないか、と思えてきました。画家としての経験を積むうちに、古より人類が絵を描いたり音楽を奏でたりするという行為は、雨の存在と密接にかかわっていたのではないかと感じるようになってきたのです」


p149-150【美的感動のルーツ】
「今から振り返ると、失われたものを描きたいというこの時の私の思いは、自ら内なる記憶から自覚的に獲得した美的感動の第一歩だったように思います。私が描きたかったものは、懐かしい記憶そのものの結晶だったのです。そして私にとってはこの“懐かしさ”こそが、絵を描く上で次第に形を明らかにしていった美なるものの鍵穴だったのです。私にとって美的感動とは、懐かしさと同室の心の動きを生み出すものなのです。それは『私が探していたものはこれだ』という思いに違いありません。その心の動きのルーツは、私の記憶の中に既に種が蒔かれていたものなのです」

「美的感動の源には遠い昔の記憶が存在しているのだと改めて感じ、それも昨日今日の記憶から遥か遡って、いつしか生まれてくる以前の生命の記憶のようなものにまで辿り着いた事に私はたいそう驚かされたのでした」

p152-154【夏】
「芸術作品にとって春や秋は描かれるべき絶好の季節、と思われているかもしれません。特に風土の美しい日本においてはなおさらです。しかし私は、実は四季の中で夏こそが最も多くの芸術作品に登場している季節ではないか、と思っているのです」
「ぎらぎら輝く太陽の光そのものが夏の感性の魅力だとしても、その時には暑いとだけ感じ、本当の良さはなかなか分かるものではありません。日焼けの跡や残った麦わら帽子を見てその残像を思い出すように、むしろ過ぎ去ってみて初めて。『あれが夏だったのだな』と感じさせるものではないでしょうか。夏とは熱気であり、具体的には形をなさないエーテルのようなものです」


p191【宇宙物理学者と美の始まり】
「美という意識は、今の私たち文明人よりはるか以前から存在していた事になります。東京大学大学院教授で宇宙物理学者の佐藤勝彦さんは、『わたしたちは澄み渡った青空や木々の緑のある風景を見て、直感的に美しいと感じます。それはなぜか。それは、私たちの遠い祖先がまだアフリカの大地で暮らしていた頃、そうした環境が人間が生き抜くための豊かな恵みをもたらしてくれるものだったからです。つまり、人間が生存していくためには、それらの環境がどうしても必要だったのです。ですらそういう景色を見ると人間は直感的に快感や心地よさを感じる。それが美の始まりだと思います』(『宇宙と、人間と』富士通マネジメントレビューNo.232)と述べています」
        『美を生きる』世界文化社刊から抜粋 2009.8.21夜

2009年8月21日金曜日

里の水車。初夏


これは6月の素材。
同じ場所の【8月盛夏】素材あり



[初夏の川]は伊南川/南郷付近
同じ場所の【豪雪】素材あり



[里山の初夏]は館岩前沢曲り屋付近
同じ場所の【盛夏】【豪雪】素材あり