Date: Fri 10 Nov 2000 17:04:25
To: 水の惑星 miraite2@mail.pref.fukushima.jp>
From: 益子透
Subject: [the-earth:00119] その前夜
《屈服はいたしませぬ》
ここは奥州みちのく。
とある小さな小高い山に、突如立ちのぼる真っ赤な火の手。
火はたちまち燃え広がり、山全体が炎の海と化す。
やがて、魔物のような火の化身は晩秋の夜空を焦がし始める。
折しも、詰めかけた多くの群衆からは感嘆のどよめきがわき起こり、
と同時に割れるような拍手があたり一面にこだまする。
遠くから聞こえ来る哀愁をおびた太鼓の音色。
あまり例を見ないこの催しものの正体こそ、
日本三大火祭りのひとつ、福島県須賀川市に伝わる伝統行事
『松明あかし』なのである。
この奇祭の歴史が四百余年にも及ぶと知るとき、
何故にかくも長い年月を経ながら、今なお現存しうるのか、
そして松明あかしの原点とは何なのかという疑問がわいてくる。
落城の憂き目をみた須賀川二階堂氏の苦難を忍び、
時の犠牲者の霊を弔うために挙げられる『のろし』。
それが松明あかしなのだ、と聞いたところで、ではなぜ、
気の遠くなるような年月を『火』を絶やさずに来れたのか、
松明あかしの存続を可能にしているものは一体なんなのだろうという
更なる疑問がわいてくる。
伊達政宗の手にかかり、須賀川・二階堂氏が滅亡したのは今から
約四百年前の天正十七年(1589)十月二十六日のことである。
伊達方一万の軍勢に対し、二階堂軍勢二千五百で応戦するという、
『負け』を覚悟しての戦いであった。
にもかかわらず我が身を捨てて善戦。一時は優位にたったものの、
反撃むなしく敗れ去った。
『最後の戦い』との思いから、死闘を繰り広げた二階堂勢の戦いぶりは、
敵の大将・政宗を唸らせたという。
二階堂氏の結束の堅さ、そして時の女城主・大乗院に対する忠誠心に、
ひとかけらの偽りもなかったという所以であろうか」
-『松明あかし』国分ヒサ著/歴史春秋社刊-
暮れなずむ須賀川の空を目の前にこのレポートを書いています。
ちょっと長かったけど須賀川市内の本屋で買った「松明あかし」の序文から。
現在十日午後四時。照明部、ライトのテスト準備中。
数十本並べられた松明の前で地元須賀川高校の応援部諸君が
明日に備えて声を張り上げてます。
その松明の彼方に秋の夕日が沈もうとしています。
町にも会場にも、明日の松明あかしへの期待が高まっているように感じます。
天下の伊達政宗に弓をひき、女だてらに一歩もひかなかった大乗院の心意気
「屈服は致しませぬ」にあやかって、明日の二十世紀最後の松明あかしが
みごとに須賀川の夜空を染めあげ、新世紀の迎え火となることを願いつつ。
P.S
演出部は昼過ぎに大松明が出立する二階堂神社に明日の晴天を祈願。
実行委員の経営する酒屋に立ちより「松明あかし」の絵馬十枚、
スタッフ差入れ用・特製地酒「松明あかし」などを入手。
これらの前準備の写真はのちほどWEBページにアップします。
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