digital_Japanesque連絡用。 ●ある感想から 「わたしに愛おしい古里があって その冬の白さや 夜闇の月光や 夏の緑や風や 命の水を あんな風に 美しく 幽玄に 残してくれる人がいることを知ったら うれしくてきっと涙が止まらないでしょう ほんとうに ほんとうに 素晴らしいです 改めて Japanesque・・一日も早く 待ってる人達のもとに とどけられますように」 4/12/2007 3:45 午前匿名希望
2006年6月8日木曜日
break順延
第1にたまっていた小説を読みたかった。これはすんなり。第2にジャパネスク以外に実務としての仕事に集中してみたかった。こちらはそれなりに過ぎるかと、拍子抜けしかかったが、伏兵あり。イメージサイエンスの若いプロデューサーからの唐突な依頼が、その伏兵となった。依頼内容より、むしろ依頼のスタイルに感じるものがあった。本腰入れる気分にさせられた。このあいだCの件で会ったOもなかなかよかったし、こんどのWも輪をかけて骨がありそうだ。週末前までブレークと考えていたが、週明けまで延長。週末に全力をあげてみたい。ため息つかせてやりたい。そういう気分にさせられる真摯さがあった。
2006年6月4日日曜日
break
No.84 な、ら、く。6.4
☝タイトルをクリックすると湯治部videocastへ

06.6.4荒編
place;吹割れの滝
奈落越え撮影直後のwebメモから++++++++++++++++++++++
2005 07/29 01:01「奄美越え奈落越え新宿砂漠」
出がけにメールをチェックしたら嬉しいメールが一本。古河の田中さんから。続けて空環研究所の田中さんからも。この二人の田中さんのメールで元気が出た。ウナギを喰ってから広尾の地下へ。陰影のある音世界ができあがりつつあった。作業を見ながら、ナレーションに手を入れる。青木菜なさんが来たので相談。録りながら様子を見ることにし、本番。ひさしぶりに気持ちのいいナレーション録りを経験。うんざりするような改悪ゼロは何年ぶりのことか。チェックを兼ね、青木さんと通しで見た。笑って欲しいところで反応してくれるのを斜め後ろから見ながらホッとした。青木さんは、しかし凄いな。いままでチャレンジしなかった世界の可能性を感じさせてくれる。合う合わないのとてもはっきりしたキャラクターだけに、貴重だ。榊原さん以来の幸運なのかもしれない。さらに夜になって澤本さんからメール。滝の撮影の日、おれが奈落越えなどとばかり書いていたから心配になったらしく現場を見にきていたらしい。そのときの写真が貼付されていて、そのポイントはおれたちが狙った場所とたがわなかった。ちよっとしんみりさせられた。さて、ここからは砂漠の時間。新宿砂漠の時間となる。
2005 07/26 01:45「この場を借りて、一本締めといきます。」
ましこです。
夏の名残の奈落越え、勝利しました。
あんな奔放な水のありようを、
まだ誰も見たことがない。
25日午前5時、雨 午後5時、雨
この12時間で、奈落を越えたよ。
あんな場所にクレーンを据えた特機部のくそ度胸と
そこまでして撮ることにこだわった撮影部と
奈落にサラウンドマイクを突っ込んだ突撃録音隊と
連続徹夜に目の下のクマを倍増させながら
無理難題に応えつづけた若き美術部の美青年若林君と
押し寄せる観光客の波を最後までもめることなく捌ききった制作部と
トイレもない120段余の急階段の現場にもかかわらず
笑顔でがんばった29歳と9歳の母娘と
ヤマユリをあのがんばっている母娘の手に飾らせたいという
ヒゲ男ワタナベの申し出にワタシは見なかったコトにしましょうと答えた
利根町役場教育委員会のお目付け役人の
上州からっ風に育てられた大岡裁きと
降水確率、台風近接の予報をものともせず、
goの英断をくだした川田&相馬プロデューサーと
異常なまでの愛嬌とやけにでかい握り飯と魚肉ソーセージを届けてくれた
元美人の中年女将と番頭さんにも
愛をこめて感謝を捧げたい。
もちろん、はるか離れた奄美にあって
7号の北上を抑えてくれた畏友にも深謝。
みなさんのわけのわからない情熱と遊び心の勝利です。
ニッポンの“夏の水”を、ゲットしました。
ありがとう。そして、おつかれさまでした。
この場を借りて、一本締めといきます。
いょぉっ!
2005.7.26 am1:30 T.M

06.6.4荒編
place;吹割れの滝
奈落越え撮影直後のwebメモから++++++++++++++++++++++
2005 07/29 01:01「奄美越え奈落越え新宿砂漠」
出がけにメールをチェックしたら嬉しいメールが一本。古河の田中さんから。続けて空環研究所の田中さんからも。この二人の田中さんのメールで元気が出た。ウナギを喰ってから広尾の地下へ。陰影のある音世界ができあがりつつあった。作業を見ながら、ナレーションに手を入れる。青木菜なさんが来たので相談。録りながら様子を見ることにし、本番。ひさしぶりに気持ちのいいナレーション録りを経験。うんざりするような改悪ゼロは何年ぶりのことか。チェックを兼ね、青木さんと通しで見た。笑って欲しいところで反応してくれるのを斜め後ろから見ながらホッとした。青木さんは、しかし凄いな。いままでチャレンジしなかった世界の可能性を感じさせてくれる。合う合わないのとてもはっきりしたキャラクターだけに、貴重だ。榊原さん以来の幸運なのかもしれない。さらに夜になって澤本さんからメール。滝の撮影の日、おれが奈落越えなどとばかり書いていたから心配になったらしく現場を見にきていたらしい。そのときの写真が貼付されていて、そのポイントはおれたちが狙った場所とたがわなかった。ちよっとしんみりさせられた。さて、ここからは砂漠の時間。新宿砂漠の時間となる。
2005 07/26 01:45「この場を借りて、一本締めといきます。」
ましこです。
夏の名残の奈落越え、勝利しました。
あんな奔放な水のありようを、
まだ誰も見たことがない。
25日午前5時、雨 午後5時、雨
この12時間で、奈落を越えたよ。
あんな場所にクレーンを据えた特機部のくそ度胸と
そこまでして撮ることにこだわった撮影部と
奈落にサラウンドマイクを突っ込んだ突撃録音隊と
連続徹夜に目の下のクマを倍増させながら
無理難題に応えつづけた若き美術部の美青年若林君と
押し寄せる観光客の波を最後までもめることなく捌ききった制作部と
トイレもない120段余の急階段の現場にもかかわらず
笑顔でがんばった29歳と9歳の母娘と
ヤマユリをあのがんばっている母娘の手に飾らせたいという
ヒゲ男ワタナベの申し出にワタシは見なかったコトにしましょうと答えた
利根町役場教育委員会のお目付け役人の
上州からっ風に育てられた大岡裁きと
降水確率、台風近接の予報をものともせず、
goの英断をくだした川田&相馬プロデューサーと
異常なまでの愛嬌とやけにでかい握り飯と魚肉ソーセージを届けてくれた
元美人の中年女将と番頭さんにも
愛をこめて感謝を捧げたい。
もちろん、はるか離れた奄美にあって
7号の北上を抑えてくれた畏友にも深謝。
みなさんのわけのわからない情熱と遊び心の勝利です。
ニッポンの“夏の水”を、ゲットしました。
ありがとう。そして、おつかれさまでした。
この場を借りて、一本締めといきます。
いょぉっ!
2005.7.26 am1:30 T.M
2006年6月3日土曜日
No.83 sandstorm6.3
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06.6.3荒編
place;奄美大島
去年のwebメモから+++++++++++++++++++++++++
2005 07/26 02:49「23/25」
7月1日のプランを書いたのは6月21日。7月4日-7日のプランを書いたのは6月23日。その夜、美瑛から奄美に変更。吹割りの滝下調べを決めたのは7月1日。滝の下見レポートを奄美で受け取ったのが7月6日。奄美を終わらせたのが、7月18日。dyneを終わらせたのが7月22日。7月25日のプランを書いたのはいつのことだったか。最終は7月23日。撮影のべ7日。編集のべ12日。MAVのべ4日。今日は7月25日夜。撮影&編集&MAVのべ23日間。これはけっこう激烈であったな。さらに7月は編集&MAVが2日控えている。たいした夏でもある。
2005 07/28 03:32「♪モドレナクテモモウイイノォ」
ひるまスタジオでとりこんだ天城越えをさっきからずっとリピートしている。まともに聴いたのは、じつは今夜がはじめてのことだが、こりゃ名曲だな。なんか昔の出来の良かった頃の仁侠映画を観ているようで、思わず涙がにじむ。そして奇妙な勇気というかやる気が出てくる感じもあり。フレーズとメロがまことによく調和しているので正しい簡潔な日本語を聴かされているようで思わず居住まいを正したくなる。モノを知らないということは不幸なことも多いが、思いがけない歓びもまたあり。己の無知も時に活きる。あの奄美の熱と湿気のなかで天城越えをもじって奄美越えと名づけたのは、単にハードな仕事をクリアしたいという程度だった。はず。だがさっきから30回くらい聴き続けていると、また異なる風景が現れてもくるのだ。♪モドレナクテモモウイイノォクラクラモエルチヲハッテェなんかすげえ歌があったのだな、とあらためて。男と女のことはともかく、戻れなくてももういいの、と今夜のおれはそういう心境ではある。まいったな。奄美ならぬ天城越え。今日は、はまった。アナタトォコエタァイィアマギィゴォエェである。もう知らんぞ。

06.6.3荒編
place;奄美大島
去年のwebメモから+++++++++++++++++++++++++
2005 07/26 02:49「23/25」
7月1日のプランを書いたのは6月21日。7月4日-7日のプランを書いたのは6月23日。その夜、美瑛から奄美に変更。吹割りの滝下調べを決めたのは7月1日。滝の下見レポートを奄美で受け取ったのが7月6日。奄美を終わらせたのが、7月18日。dyneを終わらせたのが7月22日。7月25日のプランを書いたのはいつのことだったか。最終は7月23日。撮影のべ7日。編集のべ12日。MAVのべ4日。今日は7月25日夜。撮影&編集&MAVのべ23日間。これはけっこう激烈であったな。さらに7月は編集&MAVが2日控えている。たいした夏でもある。
2005 07/28 03:32「♪モドレナクテモモウイイノォ」
ひるまスタジオでとりこんだ天城越えをさっきからずっとリピートしている。まともに聴いたのは、じつは今夜がはじめてのことだが、こりゃ名曲だな。なんか昔の出来の良かった頃の仁侠映画を観ているようで、思わず涙がにじむ。そして奇妙な勇気というかやる気が出てくる感じもあり。フレーズとメロがまことによく調和しているので正しい簡潔な日本語を聴かされているようで思わず居住まいを正したくなる。モノを知らないということは不幸なことも多いが、思いがけない歓びもまたあり。己の無知も時に活きる。あの奄美の熱と湿気のなかで天城越えをもじって奄美越えと名づけたのは、単にハードな仕事をクリアしたいという程度だった。はず。だがさっきから30回くらい聴き続けていると、また異なる風景が現れてもくるのだ。♪モドレナクテモモウイイノォクラクラモエルチヲハッテェなんかすげえ歌があったのだな、とあらためて。男と女のことはともかく、戻れなくてももういいの、と今夜のおれはそういう心境ではある。まいったな。奄美ならぬ天城越え。今日は、はまった。アナタトォコエタァイィアマギィゴォエェである。もう知らんぞ。
No.80 うみゆかば6.3
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06.6.3荒編
place;犬吠埼
三年前のwebメモから
2003 03/30 02:06「はじめて海に出あったとしよう」
たとえばぼくは深い森のある山あいに暮らしている。
生まれてからまだいちども海というものをみたことがない。
ある日、話に聞く、海というものが
どうしても見たくなり、
いくつもの山や丘や川や平野を越えて海に向かった。
季節はきっと、春。
桜が咲いて、大地が緑になって
空に鳥たちが飛びかい
月がしみじみときれいな夜がつづくころ。
ぼくははじめて見る海に向かったのだ。
そして、ついに
海と出会う。
そのときぼくはどんなコトバをもらすのだろうか。
最初に感じるのはきっと際限のない明るさ
同時にまぶたを突き刺すようなまぶしさ
明るさとまぶしさに目がなれた頃
はてしない水平線を前に無限の広さを感じ
そして最後にわけもなくうれしくなって笑いをこぼす。
自分の中にありつづける海のイメージは
そういうふうなものらしい。
そして、その海は
つねにひらがなで飾られている。
なんだかガキのようだが。
そんな気がしている。
webの観光ナビhttp://www.city.choshi.chiba.jp/kanko/sa_shinkou/guide/inubou/inubou.htmlから
豪快な犬吠埼の突端にそそり立つ白亜の塔、犬吠埼灯台は1874(明治7)年英国人リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計により造られた西洋型第一等灯台で、日本で24番目に点灯されました。
レンガ造りの建築物としては日本一の高塔(31.57m)として、また第一等4面レンズを通して200万カンデラの光を発しており、名実ともに日本一の灯台です。99段のらせん階段を昇った眺望は太平洋の孤島に身をおいた錯覚を覚えるほど雄大です。
平成10年には「世界の歴史的灯台100選」に選ばれました。

06.6.3荒編
place;犬吠埼
三年前のwebメモから
2003 03/30 02:06「はじめて海に出あったとしよう」
たとえばぼくは深い森のある山あいに暮らしている。
生まれてからまだいちども海というものをみたことがない。
ある日、話に聞く、海というものが
どうしても見たくなり、
いくつもの山や丘や川や平野を越えて海に向かった。
季節はきっと、春。
桜が咲いて、大地が緑になって
空に鳥たちが飛びかい
月がしみじみときれいな夜がつづくころ。
ぼくははじめて見る海に向かったのだ。
そして、ついに
海と出会う。
そのときぼくはどんなコトバをもらすのだろうか。
最初に感じるのはきっと際限のない明るさ
同時にまぶたを突き刺すようなまぶしさ
明るさとまぶしさに目がなれた頃
はてしない水平線を前に無限の広さを感じ
そして最後にわけもなくうれしくなって笑いをこぼす。
自分の中にありつづける海のイメージは
そういうふうなものらしい。
そして、その海は
つねにひらがなで飾られている。
なんだかガキのようだが。
そんな気がしている。
webの観光ナビhttp://www.city.choshi.chiba.jp/kanko/sa_shinkou/guide/inubou/inubou.htmlから
豪快な犬吠埼の突端にそそり立つ白亜の塔、犬吠埼灯台は1874(明治7)年英国人リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計により造られた西洋型第一等灯台で、日本で24番目に点灯されました。
レンガ造りの建築物としては日本一の高塔(31.57m)として、また第一等4面レンズを通して200万カンデラの光を発しており、名実ともに日本一の灯台です。99段のらせん階段を昇った眺望は太平洋の孤島に身をおいた錯覚を覚えるほど雄大です。
平成10年には「世界の歴史的灯台100選」に選ばれました。
“80日間世界一周”達成!
2006年6月2日金曜日
No.77 とほくまでゆくんだ 6.2
2006年6月1日木曜日
2006年5月31日水曜日
“80日間世界一周”
犬吠埼素材からsunrise&sunsetをふくめ1ダース強。
素材の俯瞰としてはほぼOKというところか。
あとは若草山などバラ素材の主なものをチェックすればいい。
+1ダースで納得がいくか、どうか。
とりあえず“80日間世界一周”と言ったので
あと2週間余りでいけるところまで行こうと思う。
3月28日から80日目の6月16日をメドに、一日一本。
組み合わせを考えると
無限とは言わぬが、すでに際限は、ない。
さらに素材が追加されていくことを考えると
笑いがとまらず。
素材の俯瞰としてはほぼOKというところか。
あとは若草山などバラ素材の主なものをチェックすればいい。
+1ダースで納得がいくか、どうか。
とりあえず“80日間世界一周”と言ったので
あと2週間余りでいけるところまで行こうと思う。
3月28日から80日目の6月16日をメドに、一日一本。
組み合わせを考えると
無限とは言わぬが、すでに際限は、ない。
さらに素材が追加されていくことを考えると
笑いがとまらず。
2006年5月30日火曜日
2006年5月29日月曜日
2006年5月28日日曜日
No.66 moonrise5.28
2006年5月27日土曜日
2006年5月26日金曜日
ポリフォニー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ポリフォニーとは、複数の異なる動きの声部が協和しあって進行する音楽のこと。 音楽史上では中世西洋音楽期~ルネサンス期にかけてもっとも盛んに行われた。通常は、それぞれの声部が独立した古典派以降の「モノフニー」の対義語として用いるが、 いくつもの声部から成り立つ「ホモフォニー」に対して使われることもある。
ポリフォニーは「ホモフォニー」のように主旋律・伴奏といった区切りがなく、 どの声部もほぼ同等の比重で絡み合う。 ポリフォニーでもハーモニーは生まれえるが、ポリフォニーは各声部の流れに重点をおいているので、 その結果従属的に生まれたものといえる。ただし、1つのメロディ(またはパート)を複数で奏する場合に生じる自然な「ずれ」は例外とされ、 これは「ヘテロフォニー」とよばれる。
広義では以上の通りだが、 西洋音楽史ではもっと狭義の意味で用いられ、 たとえ複数の声部であってもリズムが別の動きでなければ ポリフォニーとは呼ばないとすることが多く、この意味で、「対位法」と重複する部分をもつ。
上で述べた「ホモフォニー」の対義語とするというのは、この狭義の意味のときである。
引用 polyphony
http://2style.net/misa/kogaku/polyphony.html
2本以上の旋律を同時に重ねる、多声音楽のひとつの形式です。 音楽史上では9〜10世紀ごろから表れはじめ、特にルネサンス時代——15世紀中頃から16世紀にかけては、このポリフォニー音楽の最盛期でした。
私たちが一般に耳にするクラシック音楽(バッハ以降の、18世紀から19世紀にかけての近代の音楽)が、同じ多声音楽でもホモフォニー(fomophony)と呼ばれ、最上部が主旋律として優位を保ち、下の諸声部は和音的な支えの役割を果たすのに対して、ポリフォニー(polyphony)では、それぞれの声部がすべて均等に、互角に絡み合い、全体の音の綾をなしていくもので、どの声部にも主従の関係はありません。従って、ポリフォニーでは各声部の流れに重点がおかれ、ハーモニーはその結果として、従属的に生じるとものと言えます。
もちろん、ポリフォニーとホモフォニーの区別は相対的なものですから、実際の音楽ではこの二つが適当に入り交じっているのが普通です。ただ、全体的の傾向から、ルネサンス期の音楽はポリフォニーの要素が強く、18世紀以降の音楽にはホモフォニーの傾向が著しいと言えるでしょう。
引用 「ポリフォニーについて」 96/04/30 01:34
http://members.jcom.home.ne.jp/tana-masa/rikutu/poli.html
ミハイル・バフチンによれば、ドストエフスキーの小説は、ポリフォニーで
あると言う。このポリフォニーは、本来は音楽用語であるらしく「多声音楽」
と訳されるものらしい(20世紀思想事典)。
バフチンによれば、ドストエフスキー以前の小説はモノローグであると言う。
このモノローグは「単旋律」と訳されている。
ポリフォニー的小説について、バフチンは次のように書いている。
ミハイル・バフチン「ドストエフスキーの詩学」(ちくま学芸文庫)
第一章 ドストエフスキーのポリフォニー小説
および従来の批評におけるその解釈より引用
「それぞれに独立して互いに融け合うことのないあまたの声と意識、それ
ぞれがれっきとした価値を持つ声たちによる真のポリフォニーこそが、ド
ストエフスキーの小説の本質的な特徴なのである。彼の作品の中で起こっ
ていることは、複数の個性や運命が単一の作者の意識の光に照らされた単
一の客観的な世界の中で展開されてゆくといったことではない。そうでは
なくて、ここではまさに、それぞれの世界を持った複数の対等な意識が、
各自の独立性を保ったまま、何らかの事件というまとまりの中に織り込ま
れてゆくのである」
ドストエフスキーは一つの小説に、決っして統合される事のない様々の声と
意識を書いたと言う事。作者も主人公(複数)も他の登場人物も、皆、それぞ
れの声と意識、つまり「それぞれの世界」を持っていると言うのである。それ
らのいくつもの世界が、一つの小説の中に織り込まれているのだと言うのであ
る。重要なのは、それらの世界が「それぞれの世界を持った複数の対等な意識
が、各自の独立性を保ったまま」であると言う事である。つまり、作者の思想
のもとで統合されてあるような世界ではないと言う事なのだ。
つまり、こういう事だ。モノローグ的小説と言うのは、ここで言われている
「複数の個性や運命が単一の作者の意識の光に照らされた単一の客観的な世界
の中で展開されてゆく」ような小説と言う事になる。この小説世界の特徴は、
作者の思想により決定される。作者自身の持つ思想か、そうではないかの問題
ではなく、作者が何らかの思想のもとに、人物、背景、事件、顛末、結末を用
意しているような小説と言う事である。これらの小説は言わば一つの結末に向
けて走る馬車のようなものである。巧みな御者の運転で、読者は御者の用意す
る目的地に向けて、様々の冒険の果てに連れていかれるのである。物語として
の小説は、この御者の腕一つで楽しかったり、楽しくなかったりすると言うの
は衆知の事である。これは物語の持つ面白さに直結する。
ポリフォニー的小説は上の比喩で言えば、読者はめまぐるしく馬車を乗り継
いでいる状態と言う事になる。目的地も一つではない。それは読者に委ねられ
ている。例え、作者が結末らしきものを小説の最後に記そうが、それは読者の
結末と同じにはならない。もちろん、なっても構わないのだが。読者がどの御
者の腕が気にいったかの要素の方が強いのである。モノローグは作者自身が御
者であるが、ポリフォニーは登場人物のすべてが御者であると言っても構わな
いのである。物語的面白さは、ポリフォニーの場合、いくつも見い出せるのだ。
しかし、小説は物語的な面白さだけではいけないらしい。つまり、時代を描
くと言う事である。その作者が現そうとする時代をどのように描くか、つまり
それが小説の一つの問題であるらしいのだ。ぼくは、最近まで、ずっと、小説
を物語としてのみ捉えていたので、このような視点は、まるっきり、欠落して
いたのである。人間、本は読むものである。それはともかくとして、一つの時
代を描こうとする場合、モノローグ的手法は、必然的に一つの時代に対する視
点を確立させていなければならない。それは、どのような思想を用いてであれ、
作者自身の用意する、時代に対する答えを提示しなければならないと言う事で
ある。つまりは、時代に対する作者の判断と言う事である。その判断を巡って、
登場人物たちが、葛藤したり、反目したり、相克したり、殴り合ったり、愛し
あったり、弁証法的に対話したり、殺し合ったり、妊娠したり、出産したり、
卒業したり、旅に出たり、わけもなく憂鬱になったり、嬉しかったり、悲しか
ったりするのである。
もし、小説が、文学が科学であるとするならば、作品はその時代が正しく捉
えられているかで判断されるのだろうか。それとも、それはぼくの大いなる誤
解で、そうではない科学的分析と言うのがあるのだろうか。コントの「三状態
の法則」によれば、思考は三つの相で順次なされていると言う事で、すなわち、
神学的または仮構的な状態、形而上学的または抽象的な状態、科学的または実
証的な状態と言う事であり、文学が科学であるとするなら、この科学的または
実証的な状態と言うのは、どのようなものなのであるか。
話しがそれてしまった。つまり、モノローグ的に時代を書くと言うのは(そ
れが科学的、実証的かの問題は別にして)、問題があるのである。目的を時代
を書くと言う事に限定して、作者側から方法的に考えると無理があるように思
うのである。それは選択の問題として作者に意識されるのではないか。どの立
場から書くかと言う事を作者は選択しなければならない。一つの時代がどのよ
うな時代であるかと言うのは、モノローグの場合、常に一つの断面を取り出す
と言う事でしか表現出来ないのである。取り出された断面は、作者の提示する
断面と言う事でしかなく、それが全的に時代を表現すると言う事は無理なのだ。
それが小説自体の持つ価値とは全く無関係に、モノローグ的小説の時代を表現
する事の限界である。仮に普遍的真実と言うものがあるとして、それをえぐり
だすようにして提出する小説が出て、初めてモノローグ的手法で時代を書いた、
と言う事になるのだ。
ポリフォニーは、その限界を突き破るための手法である。作者は極力、選択
を行わない。時代に現われた思想、立場、生活レベル、職業意識、宗教観、そ
の他いろいろのものを、決して統合させることなく、小説上に展開させるので
ある。これはつまり新聞やワイドショー、ニュースショーの手法である。今ま
で、悲惨な事件を伝えていたその口で、しかも、顔つきまで一転にこやかに、
「さて、好天の日曜、各地の行楽地では‥‥」と始めるのである。
そういえば、バフチンの本にドストエフスキーは新聞をいくつもとって熟読
して、友人たちに新聞を読むようにすすめていたと言う事が書いてある。
もちろん、ポリフォニー的手法を創造したとされるドストエフスキーの小説
が新聞やワイドショーであると言っているのではない。原理的には同じだと言
っているのである。問題はポリフォニー的小説も何らかの作者の意志のもとに
統御されていると言う事である。統御されない小説はありえない。やはり、時
代からいくつかの断面の選択がなされているのである。しかし、それにしたっ
て、モノローグ的手法からは、時代を書くと言う事について、また、ドストエ
フスキーの小説と言う事に限って言えば物語的にも、格段の厚みと拡がりがあ
ったと言う事になるのではないか(もちろん、これは単に手法上の区別であり、
モノローグ的小説でも傑作はある)。
つまり、何が言いたいのかと言えば、ポリフォニーがより広く時代を現すと
言う事について、ぼくの考えている普遍についての概念に重大な示唆があるよ
うに思えたのである。それが、どういうモノであるのかは、まだ、全然判らな
いのだけれど、いずれ意識上に言葉として現われるのではないかと言う事なの
だ。
ポリフォニーとは、複数の異なる動きの声部が協和しあって進行する音楽のこと。 音楽史上では中世西洋音楽期~ルネサンス期にかけてもっとも盛んに行われた。通常は、それぞれの声部が独立した古典派以降の「モノフニー」の対義語として用いるが、 いくつもの声部から成り立つ「ホモフォニー」に対して使われることもある。
ポリフォニーは「ホモフォニー」のように主旋律・伴奏といった区切りがなく、 どの声部もほぼ同等の比重で絡み合う。 ポリフォニーでもハーモニーは生まれえるが、ポリフォニーは各声部の流れに重点をおいているので、 その結果従属的に生まれたものといえる。ただし、1つのメロディ(またはパート)を複数で奏する場合に生じる自然な「ずれ」は例外とされ、 これは「ヘテロフォニー」とよばれる。
広義では以上の通りだが、 西洋音楽史ではもっと狭義の意味で用いられ、 たとえ複数の声部であってもリズムが別の動きでなければ ポリフォニーとは呼ばないとすることが多く、この意味で、「対位法」と重複する部分をもつ。
上で述べた「ホモフォニー」の対義語とするというのは、この狭義の意味のときである。
引用 polyphony
http://2style.net/misa/kogaku/polyphony.html
2本以上の旋律を同時に重ねる、多声音楽のひとつの形式です。 音楽史上では9〜10世紀ごろから表れはじめ、特にルネサンス時代——15世紀中頃から16世紀にかけては、このポリフォニー音楽の最盛期でした。
私たちが一般に耳にするクラシック音楽(バッハ以降の、18世紀から19世紀にかけての近代の音楽)が、同じ多声音楽でもホモフォニー(fomophony)と呼ばれ、最上部が主旋律として優位を保ち、下の諸声部は和音的な支えの役割を果たすのに対して、ポリフォニー(polyphony)では、それぞれの声部がすべて均等に、互角に絡み合い、全体の音の綾をなしていくもので、どの声部にも主従の関係はありません。従って、ポリフォニーでは各声部の流れに重点がおかれ、ハーモニーはその結果として、従属的に生じるとものと言えます。
もちろん、ポリフォニーとホモフォニーの区別は相対的なものですから、実際の音楽ではこの二つが適当に入り交じっているのが普通です。ただ、全体的の傾向から、ルネサンス期の音楽はポリフォニーの要素が強く、18世紀以降の音楽にはホモフォニーの傾向が著しいと言えるでしょう。
引用 「ポリフォニーについて」 96/04/30 01:34
http://members.jcom.home.ne.jp/tana-masa/rikutu/poli.html
ミハイル・バフチンによれば、ドストエフスキーの小説は、ポリフォニーで
あると言う。このポリフォニーは、本来は音楽用語であるらしく「多声音楽」
と訳されるものらしい(20世紀思想事典)。
バフチンによれば、ドストエフスキー以前の小説はモノローグであると言う。
このモノローグは「単旋律」と訳されている。
ポリフォニー的小説について、バフチンは次のように書いている。
ミハイル・バフチン「ドストエフスキーの詩学」(ちくま学芸文庫)
第一章 ドストエフスキーのポリフォニー小説
および従来の批評におけるその解釈より引用
「それぞれに独立して互いに融け合うことのないあまたの声と意識、それ
ぞれがれっきとした価値を持つ声たちによる真のポリフォニーこそが、ド
ストエフスキーの小説の本質的な特徴なのである。彼の作品の中で起こっ
ていることは、複数の個性や運命が単一の作者の意識の光に照らされた単
一の客観的な世界の中で展開されてゆくといったことではない。そうでは
なくて、ここではまさに、それぞれの世界を持った複数の対等な意識が、
各自の独立性を保ったまま、何らかの事件というまとまりの中に織り込ま
れてゆくのである」
ドストエフスキーは一つの小説に、決っして統合される事のない様々の声と
意識を書いたと言う事。作者も主人公(複数)も他の登場人物も、皆、それぞ
れの声と意識、つまり「それぞれの世界」を持っていると言うのである。それ
らのいくつもの世界が、一つの小説の中に織り込まれているのだと言うのであ
る。重要なのは、それらの世界が「それぞれの世界を持った複数の対等な意識
が、各自の独立性を保ったまま」であると言う事である。つまり、作者の思想
のもとで統合されてあるような世界ではないと言う事なのだ。
つまり、こういう事だ。モノローグ的小説と言うのは、ここで言われている
「複数の個性や運命が単一の作者の意識の光に照らされた単一の客観的な世界
の中で展開されてゆく」ような小説と言う事になる。この小説世界の特徴は、
作者の思想により決定される。作者自身の持つ思想か、そうではないかの問題
ではなく、作者が何らかの思想のもとに、人物、背景、事件、顛末、結末を用
意しているような小説と言う事である。これらの小説は言わば一つの結末に向
けて走る馬車のようなものである。巧みな御者の運転で、読者は御者の用意す
る目的地に向けて、様々の冒険の果てに連れていかれるのである。物語として
の小説は、この御者の腕一つで楽しかったり、楽しくなかったりすると言うの
は衆知の事である。これは物語の持つ面白さに直結する。
ポリフォニー的小説は上の比喩で言えば、読者はめまぐるしく馬車を乗り継
いでいる状態と言う事になる。目的地も一つではない。それは読者に委ねられ
ている。例え、作者が結末らしきものを小説の最後に記そうが、それは読者の
結末と同じにはならない。もちろん、なっても構わないのだが。読者がどの御
者の腕が気にいったかの要素の方が強いのである。モノローグは作者自身が御
者であるが、ポリフォニーは登場人物のすべてが御者であると言っても構わな
いのである。物語的面白さは、ポリフォニーの場合、いくつも見い出せるのだ。
しかし、小説は物語的な面白さだけではいけないらしい。つまり、時代を描
くと言う事である。その作者が現そうとする時代をどのように描くか、つまり
それが小説の一つの問題であるらしいのだ。ぼくは、最近まで、ずっと、小説
を物語としてのみ捉えていたので、このような視点は、まるっきり、欠落して
いたのである。人間、本は読むものである。それはともかくとして、一つの時
代を描こうとする場合、モノローグ的手法は、必然的に一つの時代に対する視
点を確立させていなければならない。それは、どのような思想を用いてであれ、
作者自身の用意する、時代に対する答えを提示しなければならないと言う事で
ある。つまりは、時代に対する作者の判断と言う事である。その判断を巡って、
登場人物たちが、葛藤したり、反目したり、相克したり、殴り合ったり、愛し
あったり、弁証法的に対話したり、殺し合ったり、妊娠したり、出産したり、
卒業したり、旅に出たり、わけもなく憂鬱になったり、嬉しかったり、悲しか
ったりするのである。
もし、小説が、文学が科学であるとするならば、作品はその時代が正しく捉
えられているかで判断されるのだろうか。それとも、それはぼくの大いなる誤
解で、そうではない科学的分析と言うのがあるのだろうか。コントの「三状態
の法則」によれば、思考は三つの相で順次なされていると言う事で、すなわち、
神学的または仮構的な状態、形而上学的または抽象的な状態、科学的または実
証的な状態と言う事であり、文学が科学であるとするなら、この科学的または
実証的な状態と言うのは、どのようなものなのであるか。
話しがそれてしまった。つまり、モノローグ的に時代を書くと言うのは(そ
れが科学的、実証的かの問題は別にして)、問題があるのである。目的を時代
を書くと言う事に限定して、作者側から方法的に考えると無理があるように思
うのである。それは選択の問題として作者に意識されるのではないか。どの立
場から書くかと言う事を作者は選択しなければならない。一つの時代がどのよ
うな時代であるかと言うのは、モノローグの場合、常に一つの断面を取り出す
と言う事でしか表現出来ないのである。取り出された断面は、作者の提示する
断面と言う事でしかなく、それが全的に時代を表現すると言う事は無理なのだ。
それが小説自体の持つ価値とは全く無関係に、モノローグ的小説の時代を表現
する事の限界である。仮に普遍的真実と言うものがあるとして、それをえぐり
だすようにして提出する小説が出て、初めてモノローグ的手法で時代を書いた、
と言う事になるのだ。
ポリフォニーは、その限界を突き破るための手法である。作者は極力、選択
を行わない。時代に現われた思想、立場、生活レベル、職業意識、宗教観、そ
の他いろいろのものを、決して統合させることなく、小説上に展開させるので
ある。これはつまり新聞やワイドショー、ニュースショーの手法である。今ま
で、悲惨な事件を伝えていたその口で、しかも、顔つきまで一転にこやかに、
「さて、好天の日曜、各地の行楽地では‥‥」と始めるのである。
そういえば、バフチンの本にドストエフスキーは新聞をいくつもとって熟読
して、友人たちに新聞を読むようにすすめていたと言う事が書いてある。
もちろん、ポリフォニー的手法を創造したとされるドストエフスキーの小説
が新聞やワイドショーであると言っているのではない。原理的には同じだと言
っているのである。問題はポリフォニー的小説も何らかの作者の意志のもとに
統御されていると言う事である。統御されない小説はありえない。やはり、時
代からいくつかの断面の選択がなされているのである。しかし、それにしたっ
て、モノローグ的手法からは、時代を書くと言う事について、また、ドストエ
フスキーの小説と言う事に限って言えば物語的にも、格段の厚みと拡がりがあ
ったと言う事になるのではないか(もちろん、これは単に手法上の区別であり、
モノローグ的小説でも傑作はある)。
つまり、何が言いたいのかと言えば、ポリフォニーがより広く時代を現すと
言う事について、ぼくの考えている普遍についての概念に重大な示唆があるよ
うに思えたのである。それが、どういうモノであるのかは、まだ、全然判らな
いのだけれど、いずれ意識上に言葉として現われるのではないかと言う事なの
だ。
2006年5月24日水曜日
区切り
No.59ポッポイの汽車に乗って5.17
No.57虹の彼方に5.16
No.44きみのほかには5.11
No.61真夏の夜の夢5.22
No.62さよなら5.23
63本のbasicから以上の5タイトルをDVDに焼く。
“No.62さよなら5.23”をHDテレビで3度見る。
ここまできたか、という感慨もあり。
91年の8月に峠から撮った田沢湖のsunsetシーンに使った
佐々木洋一の詩を2004年8月同じ田沢湖のsunsetを
湖面ぎりぎりで撮ったdigitalHD素材に重ねた。
前半に七つ森を。後半に春の小さな挨拶を添える。
DVDのメニューにはシューベルトのSerenadeを。
明日奈良で、倉持さん、鈴木さん、長岡さん、渡辺に
地震実験の後の晩飯の時に渡します。
二年前の夏。
わが町の「夏休みロケ」をどう乗り切るか、
−5℃と40℃、45℃の温度差のなかで議論を戦わせた
あのなつかしの奈良ロイヤルホテルで、ね。
では、奈良で。
起振台の前で、会いましょう。
No.57虹の彼方に5.16
No.44きみのほかには5.11
No.61真夏の夜の夢5.22
No.62さよなら5.23
63本のbasicから以上の5タイトルをDVDに焼く。
“No.62さよなら5.23”をHDテレビで3度見る。
ここまできたか、という感慨もあり。
91年の8月に峠から撮った田沢湖のsunsetシーンに使った
佐々木洋一の詩を2004年8月同じ田沢湖のsunsetを
湖面ぎりぎりで撮ったdigitalHD素材に重ねた。
前半に七つ森を。後半に春の小さな挨拶を添える。
DVDのメニューにはシューベルトのSerenadeを。
明日奈良で、倉持さん、鈴木さん、長岡さん、渡辺に
地震実験の後の晩飯の時に渡します。
二年前の夏。
わが町の「夏休みロケ」をどう乗り切るか、
−5℃と40℃、45℃の温度差のなかで議論を戦わせた
あのなつかしの奈良ロイヤルホテルで、ね。
では、奈良で。
起振台の前で、会いましょう。
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