2010年10月4日月曜日

綿毛のような秋の雨に打たれ。

 雨。音で気がついた。静かでやわらかなつつみこむような雨音。窓を開ける。雨足は見えないのに、たしかな雨の濃密な空気。道路は黒く濡れている。タバコをつかみ、外へ。雨にあたる。冷たくない。あたたかな霧のような秋雨。タバコに火をつける。街灯のしたで一本、灰に。顔は濡れていくのに火は最後まで消えなかった。
【sunset】12篇、夕方、クリエで渡辺と検討し決めた。選択肢はほかにもあったが、【12】という数と、地形的な広がりに配慮。最大の前提は「息を飲む美しさ」ではあるが。まずは、はじめることだ、と。1日の未明に[born againあるいはHello,Goodbye.]という名の基本プランを書き、明け方に蒲田松竹撮影所跡の公園で日の出に願掛け、翼2日は竹芝桟橋で夕日に祈り、今日3日の明け方はまた蒲田で朝日に遥拝と、なんだか興奮したまま三日続けて【必勝祈願】をしてた。天と地のことだ。天と地に願う他にはない。なんて理由で奇妙とも言えるハイな気分を納得させながら。ウェブの【東京星菫派】も、この三日で20コラムくらい書いていた。2006年の夏からだから、ほとばしるのもムリはない?三日続いた興奮がやわらかな温もりのような夜の雨でなだめられていく…【sunset】という、いはば「終わり」をコトの発端と据えたのは【再生を前提とした慰謝】。とするなら、熱狂をつつみこむ、今夜の雨にうたれたことは、多いに意味があったのだ。と思っておく。おきたい。


今朝、茂木健一郎がツイッターで「ざわめくこころ」をテーマにこんな呟きを残していた。


「希望と不安は、とても近いところにある。
不安が希望の母なのであり、その逆ではない。
まずは自分を胸がざわざわする不安の中に置かなければ、
希望も生まれようがないのだ。」


と。ツイートは9つ連続しており、これはその中の7番目。ちなみに4番目にはこんな呟きが残っている。


「夕暮れ、街を歩いているときに、何とも言えぬ不安に
包まれることがある。自分を包んでいる
社会的文脈がほぐれ、とけ、たった一人で世の中に
放り出されているかのように
感じるのだ。そのような時、胸の奥が、
甘美にざわざわとし始めるのがはっきりとわかる。」


と。そしてラストツィートはテニスンの詩を引用して終わっている。


「The stream flows, The wind blows,
The cloud fleets, The heart beats, Nothing will die.
/ All things will change. 」


茂木が、たまたまこのタイミングで【夕暮れ時】をフックにこころのざわめきについてツィートしたことは、たんなる偶然だけど、その彼のツィートをほぼリアルタイムで【慰謝と再生としてのsunset】を考えていたおれが見つけるというのは、シンクロニシティそのものなのだと、思う。

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