2006年4月15日土曜日

春宵値千金。名を吐竜。さて…

その滝の名がそうなのか、場所の名なのか
正確にはわからないが、ま、滝の名なのだろう。

竜が吐くと名づけるには、
横ひろがりなうえに常緑の水苔が自生する
なんとも穏やかとさえいえる風情の滝だ。

教えてもらったのは11年前の秋。
ちかくに別荘をもっている写真家のタッド・若松さん。
それから七、八度は撮影に行ったか。

4年前に小山と組んで
HD素材の自主撮影をしたときの素材を解禁し
今朝までの24時間で使い切った。蕩尽しきった。

ある素材を一定期間以上寝かせたうえで
いっきにとりかかるというのは、
“天然の日本”シリーズ以来のこと。

あのときは一年、寝かせた。
こんどは長いもので5年半。
吐竜素材は3年半。
犬吠埼でも2年半になる。
寝かせることに意味はない。
ただ機が熟さなかった。
そのかんに「いよいよだ」というアナウンスを
何度繰り返してきたか。
狼少年も、はや中年。
耳を貸してくれる相手もずいぶん減っていた。
digitalJapanesqueは
掛け声だけで潰えさる幻の企画になるのかと
あきらめに似た想いにとらわれる日もふえた。
いつのまにか、月を観ても
撮りたいなと思えなくなっていた。
野の花や夕日を見ても、ああいいじゃないか
としか答えない日が多くなっていった。
星もすみれもありゃしねえな
そんな気分が濃くなるいっぽうだった。
カラダの中からアタマの芯から
“おもいえがくちから”が
音を立てて消えていくような気分にひたっていた。

年末の南会津の冬ロケが、
離陸のきっかけになるまで
東京星菫派の呼びかけを発してから丸4年。

さて、
と思いはじめたときに例の問題が追い討ちをかけた。
うっとうしい時間ではありながら
この問題が結果的には後押しとなったのだ。
かかわっていくことの不毛さをあらためて思い知らされ
カラダのあちこちに埋められていたプラグが
おもしろいように音立てて引き抜かれていった。

ひとわたり消耗戦が続いたら、もう春になっていた。
そんな日に、長岡から桜だよりが届く。
その場所に立ったのが28日。
数日後の風景を想像しながら
これを撮ったら、最後の弾みになるかなと思った。
即決したのも有無を言わせなかったのも、
それだけが理由だった。

そして10日後の6日に、
その「春を」手にいれた。

「抱き返り」の水から「吐竜」まで3週間足らず。
離陸はぶじ成功。シートベルト着用のサインも消えた。
ここからはくわえタバコの水平飛行となる。
アナログではなくdigitalHDの水平飛行に。
4月15日春の宵。
記憶するかぎり、
東京の桜がいちばんながくたのしめた春の、名残の宵。
ひとり離陸を祝い、
星やすみれがぶじに空の旅を続けていくことを
せつせつと祈ったことを記しておきたい。
祝いの友は、ちかくの酒屋で名まえの良さで選んだ
シシリーワイン“CORLEONE”。
“吐竜の滝”を撮った2002年の赤。
つまみは今日届いた干しいも「いもの華」10本。
音楽はiPodで聴くタン・ドゥン&ヨーヨー・マの
“グリーン・デスティニー”。
志をコトバにのせた2001年暮れから1000回は
聴いたdigitalJapanesqueの、いわば隠れテーマ曲。
遠ざかる陸地をあるいは大地をしのびながら
祝いの小宴をたのしんでいる。春宵値千金。



さて、と書いておきたい。

「見たこともないわぃ」という
あのスーパー歌舞伎の大見得を
満天下に披露する日も近い。

さて。あ、さて。さて。さて。

1 件のコメント:

torum3 さんのコメント...

2002 08/02 のウエブメモから

稲光を引き連れるように帰京。
途中、相模湖の花火を遠望。
花火と稲光という組み合わせをはじめて知った。

朝日/東京 凄烈な滝 カエデの緑 透明な水 水苔 
元気甲斐弁当 温泉 青田 甲斐駒ケ岳の夕 夏の雲 アフガン 金星 夜の稲妻

堪能した。
吐竜の滝は、この7年で4回目の挑戦だが
いちばんいい状態の水の姿態を撮れた。

明日のプレビューがたのしみだ。

DJシリーズ、これをもって正式にスタートとする。