digital_Japanesque連絡用。 ●ある感想から 「わたしに愛おしい古里があって その冬の白さや 夜闇の月光や 夏の緑や風や 命の水を あんな風に 美しく 幽玄に 残してくれる人がいることを知ったら うれしくてきっと涙が止まらないでしょう ほんとうに ほんとうに 素晴らしいです 改めて Japanesque・・一日も早く 待ってる人達のもとに とどけられますように」 4/12/2007 3:45 午前匿名希望
http://www.eatec.org/eatec/essay/sumita/sumita-99.html春夏秋冬“蝉しぐれ”角田稔webエッセーより引用86歳になる叔母に電話したところ、昔の思い出話になった。小学生の頃、夏休みの1ヶ月は醒ヶ井にある母の里で暮らし、その折に、当時、女学校に通っていた一番若い叔母は私の面倒を一手に引き受けてくれた。其の叔母の最も強く印象に残っているのは、蝉取りに熱中していた私の姿のようである。電話する度に其の話が出てくる。何故に蝉取りに熱中したか、子供の頃とて深いわけがあろう筈は無いが、醒ヶ井には樹林が多く、蝉が多くいたのが珍しかったせいであろう。鳴き声を頼りに蝉の姿を求めて歩くのが嬉しかったのかもしれない。広い庭にはいろいろの形をした庭木、川向こうには鬱蒼と繁る杉林があった。僅か1ヶ月の間にも、ミンミン蝉から油蝉へと鳴き声の中心が移り、ヒグラシの忙しげな甲高い声が混じり、ツクツクボウシが里近くで一声二声鳴いては木々の間を跳びわたるようになると、未だ暑い日が続いているのに、里人は、これで夏の暑さが過ぎるのだ、秋が来たのだと、言った。時の移りと共に蝉の種類の変るのが、春夏秋寒と季節に対応しているのが面白い。春夏秋冬といってしまうと一年間ずっと通してとなるが、流石に冬は冬篭りの季節であり、秋蝉と同じ頃でありながら、どんじりを勤めて鳴く蝉を寒蝉と名づけている。春蝉はマツゼミ、夏蝉はミンミンゼミ、秋蝉はアブラゼミ、寒蝉はツクツクボウシ、またはヒグラシのことである。ツクツクボウシはツクツクボウシと、ヒグラシはカナカナ(カンカン)と、鳴き声も、また姿も違うが寒蝉とまとめられている。この時期、何時でも、何処へ行っても蝉の鳴き声が絶え間なく降りかかって飽きる事がなかった。蝉しぐ
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http://www.eatec.org/eatec/essay/sumita/sumita-99.html
春夏秋冬“蝉しぐれ”
角田稔webエッセーより引用
86歳になる叔母に電話したところ、昔の思い出話になった。小学生の頃、夏休みの1ヶ月は醒ヶ井にある母の里で暮らし、その折に、当時、女学校に通っていた一番若い叔母は私の面倒を一手に引き受けてくれた。其の叔母の最も強く印象に残っているのは、蝉取りに熱中していた私の姿のようである。電話する度に其の話が出てくる。何故に蝉取りに熱中したか、子供の頃とて深いわけがあろう筈は無いが、醒ヶ井には樹林が多く、蝉が多くいたのが珍しかったせいであろう。鳴き声を頼りに蝉の姿を求めて歩くのが嬉しかったのかもしれない。広い庭にはいろいろの形をした庭木、川向こうには鬱蒼と繁る杉林があった。僅か1ヶ月の間にも、ミンミン蝉から油蝉へと鳴き声の中心が移り、ヒグラシの忙しげな甲高い声が混じり、ツクツクボウシが里近くで一声二声鳴いては木々の間を跳びわたるようになると、未だ暑い日が続いているのに、里人は、これで夏の暑さが過ぎるのだ、秋が来たのだと、言った。時の移りと共に蝉の種類の変るのが、春夏秋寒と季節に対応しているのが面白い。春夏秋冬といってしまうと一年間ずっと通してとなるが、流石に冬は冬篭りの季節であり、秋蝉と同じ頃でありながら、どんじりを勤めて鳴く蝉を寒蝉と名づけている。春蝉はマツゼミ、夏蝉はミンミンゼミ、秋蝉はアブラゼミ、寒蝉はツクツクボウシ、またはヒグラシのことである。ツクツクボウシはツクツクボウシと、ヒグラシはカナカナ(カンカン)と、鳴き声も、また姿も違うが寒蝉とまとめられている。この時期、何時でも、何処へ行っても蝉の鳴き声が絶え間なく降りかかって飽きる事がなかった。蝉しぐ
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