2007年10月18日木曜日

凛冽。夏至の水

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時間 2007年6月16日昼
場所 南会津町伊南川屏風岩
撮影 倉持正美

車両部の杉田が桧枝岐村で買い出しできた握り飯などを冷たいお茶で腹にいれ
猛烈な陽射しの下で涼風を胸に入れながら、泣きたくなるように凛冽な夏の水を撮る。
谷川の水で冷やしたのは「ビール」ではなくペットボトルの玉露だったが
その味もまた、青春のやうにかなしかった(*⌒O⌒*) ぜ。

湯治部、クライアントのいない夏至ロケ。かくして大成功。

奔。 夏の相聞その4

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時間 2007年6月16日昼
場所 南会津町伊南川屏風岩
撮影 倉持正美

夏の水車。

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時間 2007年6月16日午後2時
場所 館岩前沢曲家集落水車小屋
撮影 倉持正美


↓南会津町舘岩観光協会ウエブぺーじから引用
http://kankou.tateiwa.org/tateiwa040.htm

会津は大変雪深いところです。人々は雪国で暮らす工夫を重ねてきました。曲家(まがりや)と呼ばれるL字型の民家には、雪国で暮らす工夫が隠されています。間取りを見て下さい。土間が道路の方に長くつき出しています。かつては農業に馬が欠かせませんでした。雪深い冬、馬を外のうまやにつないでおくのはあまりにも忍びないではありませんか。住まいの中にうまやが設けられるようになりました。うまやをつくればどうしても、土間が大きくなります。土間から出入りするとき、道路まで離れていると雪かきが大変な重荷になります。せっかく雪かきをしたのに、一晩で1mも積もることもあります。少しでも雪かきを楽にしようと土間を道路に少しでも近づける工夫が生まれました。その結果住まいがL字型をした間取りに発展したのです。前沢をはじめ舘岩村はl、雪国で馬とともに暮らす工夫を取り入れた、数多くの曲家がつくられました。その後も住みにくいところを少しずつ改良しながら、曲家を今に伝えています。各地の雪国でも曲家が作られましたが、次々と消滅しています。そのため前沢の曲家は歴史文化遺産としても貴重になってきました。村では昭和60年に環境美化条例を制定して曲家集落の保存にのりだすとともに、曲家資料館を移築公開してし来訪者のもてなしを図っています。

雷神の、朝。

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時間 2007年6月16日午前7時-
場所 館岩湯の花雷神神社
撮影 倉持正美

木立の間を抜けたところに、ひっそりと隠れるように古い社と森。
撮影後、末廣旅館に戻り、女将のたみさんに聞いたら
このごろは使わなくなった「雷神さん」と呼ぶ神社だと教えられた。
Japanesqueseries成功祈願になったか、どうか。
いずれにせよ、寝た子ならぬ、寝た雷神を起こしたのだ、と思いたい。

これもまた、sunrise。

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時間 2007年6月16日午前6時-
場所 館岩湯の花六地蔵
撮影 倉持正美

2001年8月、digitalHDF900のテスト撮影をした同じ場所で日の出を撮った。
早起きは三文の得だね、と笑いながら。

before daybreak

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時間 2007年6月16日午前4時35分
場所 館岩湯の花六地蔵
撮影 倉持正美

Re: きっと涙が止まらないでしょう

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管理方法が変更になってからアクセスできなくなり
半年間放置したままになっていたけど、
digital_Japanesqueの試みは閉幕したわけではありません。
更新できない半年のあいだ
書き込まれた「
きっと涙が止まらないでしょう」という文章を
なんどもなんども繰り返しながら力づけられてきました。
どこのどなたかしりませんが
もしかしたらよく知った方なのかもしれませんが
再開にあたって、このことをどうしても書いておきたかったので
読んでいただけるかどうか不明のまま、記しておきます。
すべては続いています。
どうか期待していてくださいね。



以下に、4/12/2007 午前3:45 にエールをくれた
「匿名」さまの書き込みから引用

わたしに愛おしい古里があって
その冬の白さや 
夜闇の月光や 
夏の緑や風や 
命の水を
あんな風に 美しく 幽玄に 
残してくれる人がいることを知ったら
うれしくてきっと涙が止まらないでしょう
ほんとうに ほんとうに 素晴らしいです 改めて

Japanesque・・一日も早く 
待ってる人達のもとに 
とどけられますように



2007年4月3日火曜日

4.3突破祝。げに春は…



花泥棒は罪にあらず、と言うらしい。

近くの公園で散り残った桜を手折り
どこで買ったのか忘れたけど
録音部古川がこの世でいちばん
きれいな風景だったと教えてくれた
あの喜界島特産の黒糖焼酎で
前祝いの祝杯としたい。

Ipodから流れる唄は
やはり古川にちなんで♪天城越え。

ついでに仮り歌も一首。肴がわりに、福島泰樹から。

  げに春は驟雨とともにはじまるよ咲かぬ桜を慕情というは


ひと足先に、離脱いたします。乾杯。

2007年3月3日土曜日

3.3桃の節句メッセージ

古河のムービー、昨夜完成。
撮了21日。MAV初号3月2日。
ひさしぶりにきっちり台本を書き
思い通りに撮り、そのまま仕上げた。
ある意味で、
これもまたdigital Japanesqueシリーズと言える。

2007年2月13日火曜日

2.14バレンタインメッセージ


2月14日付けで[うつくしま]篇11タイトルをまとめた。
15日、16日と福島各地を渡辺がまわる。
デジタルジャパネスクのファーストシュートは福島県舘岩村湯の花。
あれから五年の歳月が過ぎ、船を漕ぎ出すとすれば
やはり、館岩のあの満月月光からがふさわしい。
きわめてビターなバレンタインチョコレートを
まずは福島に届けたい。

2007年2月3日土曜日

そのひとの、こと。

   倉持さん、鈴木さん、長岡さん、山岡さん、渡辺さん限定


   昨日、編集中にクリスタルのスワロフスキーの話になって
   5年前の秋に大森のマキシオのロケ現場で
   スワロフスキーをテスト撮りしたことを想い出し
   そのころのwebメモを読み返していたら
   東急エージェンシーの小泉さんのことを書いたものを見つけた。
   小泉が生きていたら、digitalJapanesque、
   しみじみ喜んでくれただろうな、とつくづく思うよ。
   これをメモしたのは八ケ岳の真っ暗な道路に寝ころんで
   一時間で数千個降った、あの狂気のような、
   しし座流星群を見た五日後のこと。
   以下、引用。
   
   



2001 11/23 22:35 その罪を忘れないために。

14日の熊谷ロケの帰りに小泉さんの死がガンだったことを聞かされ、引っかかっていた。オフィスで古いデータを整理していたら彼女と会った頃のメールが見つかった。亡くなる一年あまり前のことである。このすこし後から体調を崩していったのだ。いまさらどうしてやることもできないが、強引に温泉に引っ張っていって、胸のすくようなきれいな映像を見せてやればよかったと悔やまれる。その頃は読み流していた行間に、彼女の想いがいまはよく見えている。この世にいないことだけが、悔やまれてならない。30歳。明るく聡明で美しい人だった。いまさらではあるが、果たしそこなった秋の約束が口惜しい。すまなかった。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


Subject: メールテスト OK!
Date: Thu 03 Jul 1997 12:30:08 +0900
From: yuming-k@tokyu-agc.co.jp (小泉 由稔
ハハハハ )
To: mashiko@mars.dtinet.or.jp

  小泉です。

    昨日はありがとうございました。

    
    メールテスト、OKであります!
    
    今朝、アクセスし、思いがけないお便り発見…。
    まだ、異動まもなく「小泉」の“においつけ”がままならない
    ちょっと落ち着かないスペースの中で、思わず歓声を上げ
    一人ニヤニヤしているわたくしであります。

    スエちゃんとは、よく メールで遊んでました。
   
    そんなこんなで、実は今回の仕事でお目にかかる前から
    語りべスエちゃんのおかげで、益子さんのこと、存じ上げておりました。
    ですから、
    今回ご一緒できることを、本当に嬉しくありがたく思っているのです。

    いろいろ、制約の多い仕事で申し訳なく思うことしきりなのですが、
    スエナガクよろしくお願いいたします。

    わたしは非力な存在ですが、縁あって巡り合えた仕事、そして
    お世話になる様々な人たちのことを財産だと思っています。
    そのチャンス、1つ1つが刺激であり肥やしであり、楽しみであります。

    VPづくり、ワクワクしてます。
    あの美しい映像たちに出会えたこと、そしてこれからも出会えること。
    (ホントになんだか申し訳なく思ってしまうほどです。
                ホントに涙がででしまいます…)

    皆さんにご苦労をおかけしてしまいますが
    
    四季を通して、その世界の片隅にいれることを
    
    幸せに思っています。
    
    
   
    暑い日に、なんだか あっついメール になってしまいましたが
    
    また、明日もお会いできるのでこの辺にしときます。

    それでは…。

    

              7/3  TAG   YUMI KOIZUMI
    

Date: Fri 11 Jul 1997 21:09:27 +0900
From: yuming-k@tokyu-agc.co.jp (小泉 由稔
ハハハハ )
To: mashiko@mars.dtinet.or.jp

  小泉です。

  昨日、社内打の帰りにロビーを通ったら
  「お届けもの、お預かりしてます。」と受付嬢に呼び止められました…。

  思わぬ贈り物、本当に、嬉しい限りでございます。
  
  ありがとうございました。

  直筆のサイン、もったいなくって、思わず切り取って(封筒さん、ごめんね)
  DESKで眺められるように貼ってしまいました。
  (わたしの元気の素にしようと思って…)
  ホントに嬉しかったものですから。

  このところ、職場環境が変わり改めて少々緊張感のある日々を送っている
  のですが まぁ、新しいことを始めるのは悪いことではないって
  ポジティブに捕らえています。
  「慣れ」とか「要領」とかって、いい意味で気持ちいいし、心地よいし、
  嬉しいのは確かなんだけど、たまには違う目的意識の集団の中に身を投じて
  スポンジのように吸収体制に入っている裸の自分もよいものなのかも
  しれません。

  できるだけ多くをためこんで、何かを絞り出せるようになるときは
  きっと 所詮 わたしはわたしでしかないのですから
  形なりタイミングなりに「小泉由稔」がうつっているのでしょうけど
  それがはまるか、はまらないか、良いのか悪いのか、実はそれすらも
  わからない状態なのです。

  できあがっている水たまりに、わたしの落とす滴が
  音もなく溶け込むのか、はたまた みなも揺れるのか…。

  ここは、自然体でしなやかに、でも確固たる思いをもって
  とりあえず頑張ってみよう と思っている今日この頃なのです。

  でも 流石に ふと 「元気の素」を欲してしまいます。  
  
  MILKの仲間と接しているとき とても温かく、そして熱く、
  この心地よさは言いようがありません。
  (そう、財産です。元気の素です。)

  …ついつい訳のわからない話をつづってしまいまして、ごめんなさい。

  益子さんの世界を拝見すると、何だか思いをさらけだしてしまいたく
  なりまして…。(お許しください)

  今のわたし、ホントは あの 空や海や 緑のなかで 風のにおいをいっぱい
  吸い込んで おもいっきり伸びしながら“きもちいーっ!”って叫んで
  大の字になりたい気分なのです。
  (実は、常に わたしのDNAはこんな声を発していますが…)

    そろそろ つぶやきを終わりにしないと

     あきれられてしまいますね…。

    それでは また お会いできる日を 楽しみにしながら、
    つづっているうちに元気にしてもらったことを感謝しながら、
    ペン(?)をおくことにいたします。

                ありがとうございました。

                      7/11   小泉 由稔    
 
              
Subject: そろそろ温泉に入って、骨
ハハハハ 休めしたいです。
Date: Mon 06 Oct 1997 14:16:45 +0900
From: yuming-k@tokyu-agc.co.jp (小泉 由稔
ハハハハ )
To: 益子透

お元気ですか。

先日は、お忙しいなか、ついつい睡魔に負けてしまいがちの講演におつきあい下さい
ましてありがとうございました。
(ホント途中は気を失っていました。まぶたに目でも書いておけばよかった…。)

久々に益子さん、そして皆さんにお会いできて、とても嬉しく気持ちのよいひととき
を過ごすことができました。

感謝しております。

スエちゃんより、先週ロケのスケジュールを聞きまして、めちゃくちゃお供したくて
一晩悩んでおりました。
勿論、担当営業としても参加すべきと思うタイプですので、
(例えクライアント不在でも…そして何の役にたてないとしても…)
何とか、と思っていたのですが、物理的な問題でどうしても調整がつきそうになく
とても悲しい気持ちになっております。
ましてや、これは少々動機が不純ですが、今回の仕事は特に現場の空気を感じるのが
とても楽しみで、しかもロケのあと温泉入って皆さんと過ごせるなんてとても刺激的
で(スエちゃんからもずっと前から話聞いてましたし)こんなに行きたい気持ちなの
に、貧乏営業かけもちの悲しさに、やるせないものを感じてしまいます。

仕事の方は、益子さんも、皆さんも、スエちゃんも塚さんも、みんなついていてくれ
ますから大船にのっていますが。

残念で、そして申し訳なく思ってしまいます。

いろいろ、きつい仕事で申し訳ありませんが何卒よろしくお願いいたします。

また、画面を通じて日本の四季のすばらしさを、

そして澄み切った空気を、

感じさせていただけるのを楽しみにしております。

時間がない中かなりの強行軍になることと思いますが、
どうぞ皆様お風邪など召されませんよう、
乾いた東京の空のもと、ロケのご無事をお祈りしております。

                   10/6    TAG  小泉 由稔

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

乾いた東京の空のもと、ご無事を祈っております。と書いてくれたその当人が死んで3年。小泉さん、東京の空の下は、地の果てのように乾いているよ。干からびているよ。オフィスで、ことしはじめて使った加湿器がかなしい蒸気を出している。

どこかの武道に3年殺しとかいう技があるという。きみのメールはその秘技のようだ。
読み返して、言葉が、ない。
せめて、罪を忘れないために、ここにさらしておく。
ほんとうに、すまなかった。

2007年1月30日火曜日

works6お披露目1.28



1月28日日曜日付けで配布用のworks6パッケージなどを決定。
明日から、少しずつ渡辺がリリースしていきます。
もうすぐ、立春だしね。

2007年1月13日土曜日

川崎[事件]


夕方まで熟睡。起きてコーヒーを一杯飲んでから川崎に。去年の秋に買ったチケットが今夜だった。はじめてミューザ川崎シンフォニーホールへ。西口の変貌を初体験。驚く。コンサートはベルリン・フィル八重奏団。五重奏までは体験があったが八重奏は初体験。ホールは四階席まである1800人収容の巨大空間。正面奥が客席になっていることもあり圧迫感はなし。


ひけてから朝昼兼夕飯をと思いショッピングモールをぶらつく。昔の東芝工場があったあたりの再開発。予想以上にひろびろとした空間で。疑似ボードウォークもなかなかの出来。さほど寒くなったので、デッキをゆっくり見て回った。食欲をそそられた店は゛とこも満席。あきらめカレーショップトムスでドライカレー。そのあと一階のイタリアンカフェに寄りダブルエスプレッソとモンブランでタバコ。とにかくタバコが吸えない。名うて公害の街・川崎にして禁煙地帯続出。行き帰りは京浜東北線。駅から一歩もでない気分で大ホールでコンサートを楽しみ、食事をとってホームに立てる…これってけっこうすごいな、と感心。ちなみに蒲田の住まいのドアからコンサートホール入り口までジャスト20分。これもすげぇ。川崎との付き合いは永いけど、しかし変わったものである。公害とやくざと風俗とで織りなす吹きだまりのような印象だけが強かった川崎が、一変していた。

2007年1月12日金曜日

初ねぎし



今年、はじめて打合せに新宿へ。いわば仕事始めとなった。前半分のスケジュールがすべて埋まる。帰りに、渡辺と南口のねぎしへ。初麦とろ。新宿から山手線で品川に。コンコースでずんだ餅を見つけたので購入。カフェによりココアを飲み、目の前の本屋で文庫を三冊。そのままホームに降り蒲田へ。新しい福島県知事から懇親会の通知が届いていた。福島は、まだ終わらないのだ。

2007年1月5日金曜日

-digitalJapanesque étude2006-


親愛なるひとたちへ

年末から昨日三日まで、ひさしぶりに
パソコンを開かずに過ごせました。
新井薬師に初詣でに行ったほかは
徹底して何もせず。
初仕事は、正月返上で渡辺が進めてくれた
制震システム実験/比較篇/社内発表用DVDの内容チェックと、
クリスマスに撮った粘弾性ゴム実験のまとめだったけど
これは、ほとんどチェック作業で終始できたから
僕自身のめでたい初仕事として
今日の昼過ぎからさっきまでかかって
年末29日にお知らせした2005-2006年worksの
SideB特別編 digitalJapanesque'06étudeの
DVD原版づくりに没頭。

29日に告知したものは全13タイトルでしたが
吟味し各セクション3タイトル、計12タイトルを厳選。
内容は、以下のようになりました。

●works'05-'06 sideB  -digitalJapanesque étude2006-
1.総合メニュー
総合タイトル
“ anywhere; to the end of the world”
メニューBGM: La Japonaise/ Freddie Mercury
  
2.サブメニュー1 「月の光」
メニューBGM: Exercises In Free Love/ Freddie Mercury
 86 湖畔の月光
 94 only you
 44 きみのほかには
※サブメニュー1「月の光」はアナログ版Japanesqueの
「光の日本」を越えることをテーマとし、クリアできたもの。

3.サブメニュー2 「ササヤンカ村へ」
メニューBGM: Ensueño/ Freddie Mercury
 62 さよなら
 72 ここではないどこかへ
 77 とほくまでゆくんだ
※サブメニュー2「ササヤンカ村へ」はアナログ版Japanesqueの
「風のササヤンカ村」を越えることをテーマとし、クリアできたもの。

4.サブメニュー3 「bornagain」
メニューBGM: Living On My Own/ Freddie Mercury
 37 seasidesunset
 38 lighthouse sunset
 33 riversidesunset
※サブメニュー3「bornagain」は
マルフ企画のテーマsunrise&sunsetから
3つのsunsetsceneを。なおsunsetseriesはすでに2ダースあり。

5.サブメニュー4 「snowland」
メニューBGM: Guide Me Home/ Freddie Mercury
 26 流白
 28 Japanesque
 29 青幻
※サブメニュー4「snowland」は
湯治部創設以来の悲願だった「雪」から。
豪雪の里南会津が百年来体験したことがない、と嘆いた
あの2005年大豪雪ロケ素材から3タイトルを厳選。

すでにご承知のように昨春からはじめた
DigitalJapanesque荒編/étudeは
晩秋の奈良で100タイトルとなっています。
どんな組み合わせでどう展開していけるか
さまざまな可能性を考えながら
2001年夏から撮りだめたHD-F900素材に取り組み
課題としていた「光の日本」「風のササヤンカ村」の2本を
充分に凌駕するものにたどりつけたと確信するに至りました。

あとは、これら百花繚乱のneo花鳥風月素材を
広く世に問うため、全力を注ぐつもり。
武器は、揃ったので戦うのみ。前進あるのみだと
三が日を寝正月しつつ、腹をくくった次第。
まずは正月中に配布する「益子透works2005-2006」の
特別付録SIDEB -digitalJapanesque étude2006-として公開。

その後は、-digitalJapanesque étude2006-十二タイトル
一枚をひっさげ、各方面に売り込みを開始します。

そういうもろもろをこめ、
初刷りを末広がりの八枚としました。
この八枚は、ましこ自身が一枚一枚せんべいのように手焼きし
それぞれに通しナンバーを入れ、署名したものです。
まずはこの八枚を以下の八人の方にお届けします。
ほかの東京星菫派メンバーには、
ピクチャーDVDとしてブラッシュアップした配布版を
渡辺が複製し、届けることになります。まっててね。



PSなべちゃん
と、いうわけで、さっききみに手渡したDVD
No.2からNo.8を以下の7人の方に送ってください。
さらに時間をみてNo.1の君自身のDVDを原盤とし
必要な枚数をコピーしてみなさんに配布してください。

初刷り八枚の宛先
No.1 渡辺
No.2 倉持さん
No.3 長岡さん
No.4 鈴木さん
No.5 三上さん
No.6 井口さん
No.7 武田さん
No.8 古川さん

     2007.1.5 未明 
        益子 透


2006年12月28日木曜日

ぼくらのyellowsubmarine2006.12.27


'06.12.28am0:30今年最後の乾杯
忘年会のあった地下を出て、
タクシーを捕まえようとしたが
春のようにあたたかな夜に、帰る気にもなれず
Nオカ、Kヤマ、Wナベを誘った。
みんな同じような気分だったらしく
、鍛冶橋、八丁堀あたりをそぞろ歩く。
名前を忘れたが
4時まで開いているというカフェを見つけ入る。
珍しいことにハワイアンカフェ。
店内には甘いコンテンポラリーハワイアンが流れ
十二月の二十八日の日本とは、また異なる空気が。
Nオカがビールを頼んだら
なんとコナの地ビールが登場。
コナは、DJ'06マルフプランニングのラストに書いた
nightrainbowの町。
メンバーの顔ぶれにふさわしい帳尻なので
今年最後の乾杯とする。
撮影者はWナベ。


12.27夜 “ぼくたちの黄色い潜水艦”
30年前の名古屋時代。まだ若く郷里で貧乏暮らしを楽しんでいた親友が11月に亡くなり、今夜27日が四十九日にあたるのだと前置きし、yellowsubmarineの自己流意訳を語りだそうとした、その瞬間に、彼は声を失った。涙をぬぐって、再びマイクを前にしたが、またひとことも発せず、慟哭。R.O。60歳近くなるはずの成功した役者が、あんな席で激情にかられ、身も蓋もなく涙をあふれさせるのを見ながら、鼻の奥が痛くなった。どこか遠い昔に、サーチライトに照らし出された夜の底で聴いた、いくつものシュプレヒコールを思い浮かべた。この男と年明けに仕事をすることになるのだと思うと、昂ぶるものがあった。別れ際に、挨拶を交わしたときには、いつもの気さくな好感度抜群の役者R.Oに戻っていた。ひとは、深いな、としみじみ思った。生きているのも悪くねえな、と切々と思った。一年の暮れ方としては、申し分ない。これまでに聴いたyellowsubmarineの中で、最高の一曲となった。

2006年12月27日水曜日

♪明日という字は明るい日と書くのね


digitalJapanesqueシリーズをやろうと決めた夜?のカメラマンとVE

明日という字は明るい日と書くのね
あなたとわたしの明日は明るい日ね
それでもときどき悲しい日もあるけど
だけどそれは気にしないでね
二人は若い 小さな星さ
悲しい歌は知らない

若いという字は苦しい字に似てるわ
涙が出るのは若いというしるしね
それでもときどき楽しい日も来るけど
またいつかは涙をふくのね
二人は若い 小さな星さ
悲しい歌は知らない

「悲しみは駆け足でやってくる」
      アン真理子 作詞
       中川克彦 作曲

2006年12月26日火曜日

肌にゃあ墨ば打てても…


小牧にある某研究所で今年最後の撮影。
24日イブの午後に東京を出、日暮れに小牧着。
一泊し、25日終日、研究所内でロケ。
最終カット20:00。撤収後夕食をとり
春日井ランプから東名に乗ったのが22:00。
蒲田着26日3:00ジャスト。
撮影のあい間に外の喫煙所を何度も往復。
灰皿とベンチの置かれた一角に寒椿が咲いていた。
携帯電話のカメラで撮った。

雨の東名を走りながら
iPodに入れておいた八代亜紀の“雨の慕情”をリピート。
東京に着いて、柚子湯に入っていたら
なぜか緋牡丹博徒・藤純子のキメ台詞が浮かんだ。
うろ覚えだが
幼い女の子に向って
腕の入れ墨を見せながら
たしかこんなふうに言ったはず。

  「見なっせえ!
   女だてらに、
   こぎやんもんば背負うて生きとっとよ。
   だけん、身体じゃナカ!
   肌にゃあ墨ば打てても
   心にゃ誰れも打つことは、できんとヨォ」

2006年12月20日水曜日

12.18記念


二年前の「ある秋のクリスマス」13分版を
はじめて越えられたかな、という気もします。
その余韻を胸に、
埼京線と宇都宮線を乗り継ぎ古河へ向おうと
エレベータに乗ったら、三上さんがいた。
一階で三上さんに見送られタクシーに乗った。
タクシーの中で、ふと思いました。
「Japanesque」だったんだ、と。
あの「光の日本」「風のササヤンカ村」を
一緒につくった三上さんと偶然会ったことで
新・春-夏篇に強く魅了された意味が
わかったような気がします。


それから
とちゅうできれいな日没を見たけど、
着いたら真っ暗だった。

その暗闇にあの町のすべてが
新しいイルミネーションで
あわやかに浮かび上がっていました。
六本木や新宿のような東京イルミネーションとは
まったく異なる、ふつうの家が集まった
どこにでもある小さな町。
派手なものはひとつもなく、
それぞれの異なる家族たちが
思い思いに楽しんでいる…

すこし距離を置いてみると、
それが小さな電球の道のようなもので
つながれているようにも見える。
眠りにつく前のシナプスのきらめきのようで
ふしぎな有機体のようにも感じられた。

あたりは渡良瀬・古河の深い闇。
その闇の底に、ひっそりとかがやくイルミネーション。

その明かりをぼんやりとながめながら
K2の仕上げを思い浮かべる。
桃源郷のような春と夏の6分を。
そばに誰もいなかったので
「マシコ、偉いぞ」と呟いてもみる。

ポチが答えはしなかったけど、
あの公園の真ん中に
見えないスクリーンがあって
5つの家に暮らすみなさんの
春や夏や秋や冬をいろどる
歓びや怒りや哀しみが
浮かんでは消えていく。

演出冥利につきる一瞬だった。

この二年間は、
一本仕上げるごとに「終わったな」という
虚脱感にしばらくの間、とらわれていたけど
今夜はなぜか、次の展開ばかりが浮かんだ。
奇妙なことに、まだまだ無限に、
音も映像も工夫してみたい、と素直に思えた。

六本木の興奮と古河の深い闇が
きもちよく溶け合って
ほんとうに記憶に残る日になった。

2006年12月14日木曜日

♪愛がなければ人生はないわ…赤穂浪士討ち入りの日に


ジャケットのポートレートを眺めていると、
しみじみと泣きたくなるような佳い女Omaraは歌ったのだという。
チェ・ゲバラが奔流のように駆け抜けた
40年代から50年代のハバナの夜を思い浮かべながら…

では、古川のキューバからのぶじ帰国を祝い
深夜ではあるが祝杯をあげたい。
伴奏は長岡がくれたDiana Krallの♪Besame Muchoだ。
Omara Portuondoの9分バージョンが手に入ってれば
そいつもかけてみたかったけど…
古川、よく帰ってきたね。
武勇伝?はイブの名古屋行きロケバスの中で聞かせてくれ。
乾杯!

2006年12月2日土曜日

晩秋90" 12.1

↑タイトルをクリックするとムービー

3週間にわたる奈良での地震実験撮影のあいまに二度、秋を撮ることができた。
これは11月29日、撮影の中休みの一日、斑鳩の里で撮ったもの。
苔むした塀の瓦と渋柿。緑と朱の2色を90"にまとめ、イタリアの古歌をあててみた。
ま、この秋のおまけ。番外篇ということで…
さすが、法隆寺近郊。柿の風情が天下一品ではある…
実験素材整理の気分転換に。明日から、また、奈良。

2006年11月25日土曜日

わが町blog

↑タイトル「わが町blog」をクリックすると飛べます。

あなたが良く知っている 
あるいは住んでいる
どこにでもある、ごく普通の“町”
これは、その町で暮らす数組の家族たちの
ごくあたりまえの日々の記録…らしい。

これも、もうひとつのdigitalJapanesque。

2006年11月18日土曜日

No.100 fall in love… 11.18

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しし座流星群が極大を迎える日を記念してひさかたぶりに荒編を追加する。撮影場所は奈良。

2001 11/19 09:09のwebmemoから…
流星雨、野辺山で体験。魂を奪われた。

流星群、野辺山の先の峠でゲット。18日夜10 時、野辺山と須賀川の天候を最終チェック。野辺山の条件が良さそうなので中央高速に向かうが工事渋滞で都心を抜けるのに一時間かかった。野辺山に着く寸前から流れ星が肉眼で見え始めた。1993年に西表島で毎晩数時間眺めたベルセウス流星群もすごかかったが、獅子座流星群には度肝を抜かれた。流星雨という呼び名通り。文字通り「星降る」世界に身を置いた。二時ごろから二時間あまり、氷点下五℃まで下がった峠で堪能しつくした。ときにアスファルトに横たわりながら凍えるような寒さも流星の迫力に溶けた。自然は、あらゆる想像力の境界線をやすやすと越える。中央道を暁闇から日の出にかけひた走りロケ現場の大森に集合時間前に着いた。あの流星群を眺めたあとて仕事に戻るのはいささか切なくもあるが、快晴。野辺山に比べればすでに十数度も気温は高い。

■出現の歴史 http://ja.wikipedia.org/wiki/しし座流星群 より
しし座流星群の出現に関する最古の記録は902年のもので、スペインなどに記録が残っている。その後も中国や日本、ヨーロッパなどで繰り返し記録されている。1698年、1799年、1833年、1866年、1966年、1999年、2001年に大出現があった。これらの大出現は流星天文学の発展にも大きな役割を果たしている。極大を迎える時期は70年に1日程度の割合でゆっくりと遅くなっていて、10世紀には11月初頭、15世紀には7日から10日頃、20世紀初頭には15日頃、そして21世紀初頭現在では17日から19日ごろとなっている。

2006年9月29日金曜日

5年越しの“ヤクソク”を忘れないために


福島県の佐藤知事が辞職した。いくつものシーンがフラッシュした。この5年間、お目にかかるたびに一方的に話してきた約束がある。そのヤクソクを果たしたい。ここに載せた写真は5年前、2001年晩秋の一枚。渡辺が手に入れてきた会津蝋燭の炎を跡地の瓦礫の上で燃やし、一通の手紙を灰にし、その灰を土に戻した。知事に出した手紙の写しだった。“森に沈む都市”への共感と消失してしまった“特別な場所”をいつか各地に再生したいという決意を書いた手紙だった。彫刻家・安藤がつくった“森の人”をフィナーレの日に燃やし、その灰を大地に蒔いたように、跡地に灰を蒔いた。それから秋になるたびに五度会った。会うたびに、ヤクソクをした。その誓いをカタチにすることを、忘れないために書いておく。これから、だ。

2006年9月10日日曜日

パイロット版3巻セット完成



8日付けで31タイトルを選びパイロット版として全3巻にまとめました。
HD素材をDVにダンコンして編集したものですが
デジタルジャパネスクシリーズの豊饒さは充分に確認できるレベルです。
必要な関係者は渡辺まで↓ご連絡ください。
mctokio@mac.com

2006年9月6日水曜日

前哨戦十三夜at神田




重陽の節句9日再開としたが、6日が前哨戦となった。雨の夕暮れ、神田サボールに集った長岡、郡山、渡辺、益子の4人。高校時代のバカ話などで気勢を上げた後、九段下へ。(某所での30分の打合せ←実り多いもので進展したら報告します)雨の九段下から神田へタクシーで移動し、あかりやさん推薦の四川一貫を目ざしたが、見当たらず10分ほど路頭に迷う。やっと発見し、さっそく注文。おまかせで出てきた一品目がこの野菜炒め。なんだかわからないがうまかった。あかりやさんに店で食べている旨を連絡したら10分後に顔を出した。神出鬼没なひとである。サマータイムコレクションのことなどを肴に超オススメの麻婆豆腐へと進む。これが絶品。山椒をたっぷりと使った薬膳料理の趣でかつ、ウマイ!!!あかりやさんの助言でご飯をもらう。うっすらと汗がにじむのをティッシュでぬぐいながら、ひたすら食べているうちに、きれいになくなった。麻婆豆腐、あちこちで食べたけどこれほどうまいのははじめてである。ぜひ倉持カメラマンを連れていきたい。四川一貫を湯治部推薦の麻婆豆腐店としたい。教えてくれたあかりや氏に深く感謝したい。あかりやファミリーに別れを告げ神田駅までそぞろ歩いた。その時間だけ雨が上がり、月が出ていた。十三夜。おぼろながら仲秋の名月である。京浜東北線に揺られながら4人で再開を祝しあった。

諸君。いよいよ始まるぞ。 2006.9.6十三夜 T.M

●四川一貫
http://gourmet.yahoo.co.jp/0006635296/U0002087614/

2006年9月4日月曜日

涼しくなったので再開したい


古河のプロジェクトが終わった。
しばし休息したら、digitalJapanesqueシリーズにかかる。
なお、写真は8月31日、最終テストラン寸前の夕空。

2006年7月7日金曜日

'04.8.1[japanesque:00029] 愛してるからね





+++++++二年前の東京星菫派メーリングから
件名: [japanesque:00029] 愛してるからね
送信日時: 2004年 8月 1日 日曜日 4:15 AM
差出人: Toru Mashiko
宛先:東京星菫派


1992.1.13
アバコで“風”と“色”の音楽を録音するために
東京星菫派音楽顧問・菊池雅志さんに渡した1.13付けのメモの前書きから

 「目を閉じると 
  見えてくる
  色がある
  光がある
  水がある
  風がある
  音が
  空気が
  世界がある

  あなたが
  わたしが
  無数のわたしたちが
  いつの日か
  そこにいて
  そして
  いつまでも
  夢見つづける

  まだ
  誰も 
  見たことがない
  ニッポンの 
  美しい風景が
  ここにある」

だからどうしたというわけでもないが。
要するにおれはこいつをdigitalでやりたいわけです。
12年経って、さすがに髪が薄くなり
あるいはさっぱりと坊主になってしまっている
菊池さんや石塚さんをNHKで見ながら
そう思った。
寒風と雪まじりの臼田の電波望遠鏡の前で
月光仮面もどきの格好で震える彼らの熱演に
カラダが震えるような興奮を覚えたこと。
その足で熊野に走り、熊野古道で300inchスクリーンに
宙を飛んで届いた二人の雄姿を映し出し
そいつを緋毛氈に座ったフランス女とアメリカ男と
日本人男女が呆然と観ているという
わけのわからないエンディングにしたことなど
http://homepage.mac.com/torum_3/r1118/iMovieTheater180.html
猛烈に思い出されていく。


番組で最初に演奏された
「のちの思いに」は、
「光の日本」で試みた立原道造と福島泰樹という組み合わせを
あらためて福島泰樹独りの世界に再構成したもの。
http://homepage.mac.com/torum_3/r1118/iMovieTheater150.html
http://homepage.mac.com/torum_3/r1118/iMovieTheater151.html

二年前の大雨の夜、十年ぶりに曼荼羅でお会いしたとき
歓迎のつもりか、その旨を観客に紹介し、特別演奏をしてくれた。
予定外のことで、俺は恥ずかしくて下を向きっぱなしで
会場が暗いのを良いことに涙をぼろぼろこぼしてた。
http://homepage.mac.com/torum_3/love/iMovieTheater552.html
http://homepage.mac.com/torum_3/love/iMovieTheater555.html

これからHD900を引っさげて
レガシーとコロムビアを同時に撮った
http://homepage.mac.com/torum_3/r1118/iMovieTheater181.html
あの東北に向かえるのだと考えると
センチメンタルになって眠れねえ。
お察しください。

なお、レガシーとコロムビアはほぼ同時に仕上げられ
そののちポイントディゾルブと称するようになったエフェクトと
映像デザイナーという言葉をひねり出した記念の年。
愛する山岡は、元祖小深田の愛弟子としてまだ初々しい青年でありました。
六本木TSPA編。
酔客の声と六本木の夜風がストレートに窓から出入りし
モニターにはドアの向こうで見守る郡山青年が番人のように映っていて
できたばかりのWAVEや青山ブックセンター六本木店が光り輝いた頃のこと。
おれはまだ39歳だった(添付の証拠写真↓)。


いやあなんつーか、葉月八月は懐古回顧で開けちやった。


ひさしぶりの東北ロケに興奮で眠れず
引き出しの奥から古いメモを引っ張り出し
あのときの気分を思い出してます。
その1992年1月13日に書かれた
「色と風 音楽とSEに関するメモ」の最後のページには
作曲の菊池雅志さん宛にこんなメモが書いてあった。


  エピローグ
  「もう春なんだね」
  ササヤンカ村からの風を受けながら、さようなら。
  これで、この巻と、全4巻のすべてが終わる。
  挿入詩no.8「はるのしなやかな挨拶」が
  やさしげに入る。
  哀しみも喜びも、こもごも溶け合った音楽が
  スタッフのクレジットの最後まで流れていく。
  聴いているすべての人が
  いつか辿り着いてみたいと
  思いたくなるような音楽が。


そして、最後のページに
「また、いつか、
こんな仕事で逢いたいね。
ササヤンカの村からの、
誘いの風が吹くその日まで、さようなら」
と、添えてある。

pioneerのneo花鳥風月をテストケースに
六月から本格スタートしたdigitalJapanesqueシリーズが
この最後のメモの永い余白の末の一行なのだ、と思います。




手書き絵本「女鬼」をお渡ししてから
さらに月日が過ぎたけど
すべてはつながっていると、あらためて言っておきたかった。

もう、3時間もすれば
東京駅の銀の鈴でみなさんとお会いすることになりますが。

ま、そんなところであります。ご静聴感謝じゃ。

   2004.8.1 朝 T.M