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2006.4.25荒編 no.06/21
place;舘岩村湯の花四つ地蔵
digitalHD-F900テスト撮影素材
菊池雅志@東京星菫派音楽顧問の“光の日本”から仮あて
本番は2006版“のちのおもいに”を予定。
福島泰樹の短歌絶叫バージョンとする。
●2001.8.5夜のメモから++++++++++++++++++++++
迷いを捨てて飯を食べ、月を撮りに向かってよかった。
西表島で体験した星空いらいの満天の星を見た。
流れる星も二つ、見た。
それから雲が星を覆った。
舘岩村の湯の花温泉の奥にある四つ地蔵という
山に囲まれた暗やみで、客を放り出して
月の出をともに愉しみに来た旅館の人たちと
待つことさらに一時間。
あきらめかけて、帰るか、と言おうとした直後、
雲が切れた。
出たんだよ。「光り輝く満月」が。
村人とスタッフたちがいっせいに歓声をあげ、拍手した。
山の稜線を染めた月光に向かって全員が拍手をした。
なんだか月光教団にでもなったような気にさせられた。
踊りの好きなタヌキでもあるまいに月に向かって拍手だよ。
やるもんだろ。
さ、褒めてもらいましょうか。
2 件のコメント:
http://homepage.mac.com/torum_3/iMovieTheater537.html
2001年7月6日。未来博の開幕前日。むじなの森を美しい夕焼けが染め、巨大な虹が森にかかった。その夜は満月が出るはずだったが雨になり各地に散ったスタッフが月を眺めて祝杯というもくろみはかなわず。それから一月後、舘岩村の湯の花で満月を捕獲に成功。一月遅れの満月をむじなの諸君に献上できた。群雲におおわれ撮影中止を告げようとしたワタクシを必ず月が出ますと励まし、その撮影を成功に導いたひとである。末広旅館のたみさんの姉上で、いまは会津若松の飯森山のふもとに暮らしている。飯森山にかかる月とご主人と二人のご子息と愛犬《さぶろう》くんをこよなく愛しているたおやかな麗人である。明子さんはまた《器の家 まあ舎》という名の陶器のギャラリーを開いている。彼女のやさしい眼差しにかなって蒐集された皿やカップなどが小さなギャラリーに展示されみなさんを待っている。むじなの森本部もまた、《まあ舎》の器の大ファンである。だからなんだ、と言われても困るが。愛用者だということである。ギャラリーは月曜日から金曜日まで。
2001 08/26 06:39のwebメモから引用
8.26午前6時、ついに闇しばりを解いたぞ。
プロローグの月の出を確かめたくて《光の日本》を見直す。けっきょく、最後まで見てしまった。作り直すことは可能でも、上回ることはムリだなと痛感した。やれるとしたら、山下亜美の朗読を録りなおすていどだ。しかし、それすらも不要な気がする。これはいったい誰に向けて見せたかった作品なのか。果たしそこなったいくつかの苦い記憶に向けたものなのか、直後にかき消えた賢明さんをあらかじめ追慕したものとしてか。
あるいは十年後の現在に向けたものなのか。少なくともプロローグの月とエピローグの落日の計10分はパーフェクトだ。ずっと「風のササヤンカ村」がベストだと考えてきた。見直してみて、《光》の10分こそ、つくりたかったことだったのだと、あらためて思い知らされた。ここにあるのは、どうみても、いま現在のおれ自身。素材がベーカムかHDかの違いのほかに、何の異なりがあるのか。これを、どう見るのだろうか。やはり慟哭するのではないだろうか。あの湯の花の月の光をここに据え代えたとしたら、それはどんな想いを、そしてはじまりを告げることになるのか。すべてが、いま現在のためにあったとすれば、混迷も放念も得心がいくのだ。真崎の源氏の1カットもしかりである。おれはなぜあの1コマに10年間も魅かれ続けたのか。おなじことなのだ。さだめられたものがあるとすれば、この混迷こそが、我が運命。ちと大げさな気もするとはいえ、朝まで起きていた勢いもある。ここらで見据えないことには、立ち直れそうもない。見切った。8月26日午前6時ジャスト。すべてを受け入れることで、落着。一切の迷いを捨てた。これでおれの21世紀の幕も開けられる。闇しばりからの脱出。おまえは偉い! そう記しておく。四六時中、以上の時間があるとすれば、それこそが我が《時間》。その《時間》のすべてを注ぎたい。呵々大笑の夜明けである。
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