2010年10月25日月曜日

解熱。7.31夜

2005 07/31 19:25
熱がゆっくりと引いていくのが目に見えるように感じた。15分前。つまらないニュースをあくび半分で見ながらJVC塩原ロケの帰りにSAで買ったカレーの最後の一ヶを食べている瞬間。ああ、冷めていく…と感じた。自覚した。アタマのてっぺんから両手足のつま先にかけ、少しずつすこしずつ熱が冷めていくところが生理として知覚できたのだ。もしかしたらその30秒くらい前に流れたナイキの60"CMと関係があったのかもしれない。もういいな、ここまでだな、という感覚。目が覚めていく感じに似ていた。

   [ぼくらはぼくらに 
   または少女に
   それを視せて 
   とほくまでゆくんだと
   告げるのである
   とほくまでゆくんだ 
   ぼくらの好きな人々よ]
       吉本隆明「涙が涸れる」

たぶん、そういうことなのだ。熱がなぜ熱となって荒れ狂ったのか、そのことを知るよしもないし知りたいとも思わない。この7月は、ふしぎともいえるホットな時間となったという事実だけが、いまは残っている。書いたこと、伝えたこと、撮ったこと、つないだこと…そのどこまでに真実があったのか、あるいは無かったのか。それももうどうでもいいのだと思う。掛け声だけの薄味の夏としたくなくて、きっと足掻いていたのだろう。その幻を高め維持しつづけるために、無意識のうちにまきこんでしまった人に、あるいは人たちに詫びるコトバも見当たらない。狂夏としたかったのだ、と今夜のおれは自覚したが、ついさっきまで、その狂夏のまっただ中でのたうつ自分もあったのだ。なかったのではない。それは確かに存在していたよ。誇張も嘘もなく、書き連ねた、あるいは吐き落としたコトバひとつひとつは、その折々の真実。すくなくともおれはそう認識していた。でも、熱なら、いつか冷める。冷めてしまえば、うなされていた時間が嘘のように、おだやかな世界が開けている。
すまなかった。

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