2010年10月24日日曜日

♪Besame Muchoと♪天城越え

オキさん少なくとも日常の仕事はできているようだ。webは日々、更新されている。ただし書き込みに対するコメントの余裕はなさそうだ。元栄からメールで沖永良部島に本家があります、と。どこかで誰かが濃淡は異なっていても、つながっている。オキと会ったあの3日間のことを、朝から降り続いている氷雨のせいか、思った。七月の五日に上陸し、六日、七日と撮った。奄美大島空港でチェックイン待ちの時に、その日が七夕だと知った。キャストを誘い、イベントの短冊を書いた。おれは「あまみごえ」と。そしてロビーの笹竹にぶら下げた。北海道美瑛に決めていたロケを奄美に南転して10日あまり。夢のような収録素材を手に帰京し、さらに10日間の切ないような日々のこと。古いメール、webノートなどをたぐりつつ記憶が徐々にあざやかに復元していった。気づいたら3時間が過ぎていた。一部をコピーし、東京星菫派ブログに。southparadise異聞とした。この3時間の同伴者、いや同伴音楽は、あかりやさんがくれた“ベサメムーチョcollection”と“天城越え”。計20曲をリピートしたした回数はiTunesによれば182回。耳の底にベサメムーチョと天城越えが刻み込まれた気がする。体調が最悪の日曜日となったが、気がついたら少しラクになっていた。

その前の年の暮れ。SHチームの忘年会で、撮影部の忘年会から脱け出してきた古川が、ぐでんぐでんになって地の底からの絶叫のように発した♪天城越え。好きな女の歌いがい酔っ払いのカラオケなど聴く耳持たなかったけど、あの瞬間は背筋が凍った。ひとは思いがけない才能を秘めているものだ、と。古川は、録音する側ではなくされる方になるべきだと耳元で大声でどなったが、酔っぱらった古川は「ぼかぁ益子さんの仕事が大好きなんすよぉ」と繰り返すばかり。奄美の打ち上げの夜、歌わせようと仕向けたが、へらへらしているばかりで相手してくれなかったこと、いま思い出した。奄美越えから“奈落越え”へと続いた、あの暑い夏の記憶だ。 

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