2011年8月5日金曜日

再録 《ひとは、ある日》2010.10.01


ひとは、ある日、
ふとしたできごとをきっかけに
それまでまったく想像することもなかった
想いや行動を引き起こすことがある。
そして、その刹那、
ひとは、自分の中に秘めたさまざまな
“いまとは異なる時間。世界。人生”の可能性に
直撃されることになる。
異化される時間。劇場化される日常。
だれにもいつでもどんなときでも、
いまある日常以外の時間や人生や世界が、
ここではないどこかに必ず存在する。
ひとは、
その瞬間と思いがけず遭遇することで
なぐさめられ勇気づけられ力づけられ
可能性の存在に、不意に気づかされることになる。
自分の中にいつもと異なる
もうひとつの時間が、特別な瞬間が
たしかに流れていることに、思い至ることになる。
そして、ため息をつきながら、
ふたたび日常へと帰って行く。
昨日までとは、少しだけ
そして確実に異なっている
自分の中の、もうひとつの時間の存在を胸に。
ひとは、いやされ
そして、再生する。
想いとカラダにかかわるあらゆる表現は
この“いやしと再生”を、目ざす。
日々の暮らしのなかで、
この“いやしと再生”を
もっともシンボリックに表現するのは
沈む夕日と昇る朝日である。
一日の=人生の
最上の豊饒な時間としてのsunset。
沈む太陽は、同時に
再び昇っていく太陽でもある。
sunrise=再生を前提とした
sunset=いやしの時間。
だからこそ、夕日は、終わりではなく
再び生きていくための[始まり]の時間である。
日常の中に潜む極上のひととき
=再生のためのいやしの黄金の瞬間。
これをdigitalJapanesqueシリーズの第1弾としたい。
2010.10.01未明 東京星菫派・益子透



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