2011年8月5日金曜日

8.4の夕月と夕日について



夏の楽園」と「思いで」の2篇を
いっきに仕上げ、まったなしで
SWテクニカルに戻り、迷路にはまった。


ほんとうなら
これだけ想いをこめた仕事の後には
適切な休息をとるべきだった。


これまでも
自分にとってターニングポイントと
なるような仕事のおりには
かならず【脱出】の時間を確保していた。


もろもろのなりゆきで
そう自衛できなかったことが
月末から月初めにかけての一週間の
混迷の源だった。


日比野から
速攻で離脱すべきだと
アドバイスを受けながら
どこかでダイジョウブだと
タカをくくっていた。


まさか
これほど混乱するとは。


自分が
もしかしたらもう
すべて出し尽くしてしまい
燃えかすになっているのかも
そんな妄想にとらわれて一週間。


ねむってもねむっても
眠りの充足を自覚できず
読みかけの小説は止まったまま
ただ、微速前進するのだと
アホのように思い込んで
放り出すこともできず
深間にはまっていったように思う。


きのう
はじめて眠りを自覚して目覚めた。
夕暮れの空に浮かんだ月も観た。
あぁ、きれぇだなぁ、と思った。


公園のいつものベンチに座り
秋のような風のしたで
夕日と月を眺めながら
気がついたら長岡に電話していた。


もう、ダイジョウブだと
伝えることができた。


再生
というキーは
ほかの誰でもなく
ぼく自身のために
必要だったのだ、
そう素直に思えた。


なにかをつくるということは
吐き出す、ということは
つまり、自分に向かってるのだと
ふつうに思うことができた。


ひとりひとりが
そうなのだと、思えた。


肉体の隅々に澱んでいた
細胞としての役割を果たした
おれの名残りが、分身が
すーっと脱けていくのが
はがれ落ちていくのが
実感できた。


夕月も夕日も
ため息つきたくなるくらい美しく
みごとな大暑の夕を
しみじみ味わうことができた。


そういう、ことだ。


2011.8.5 18;00  T.M











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