以下のメールは無許可転載。
音についての【気配】をどう考えるかに関わるので。
From: 益子自宅
Date: Wed, 06 Oct 2010 23:59:12 +0900
To: 長岡オフィス
Cc: 武田スタジオ
Subject: Re: パペーテの港の夕
ましこです。
じつは、こんどの【サンセットシリーズ】で
音楽は使わないことにしたのは
2つの記憶が根拠だった。
1つめは、奄美大島の原生林で味わった
あの濃密生命感あふれる気配。
場慣れしているはずの撮影スタッフが
思わず足を止めた、あの午後の体験。
そしてもう一つがきみのメールにある
タヒチ、パペーテの午後の体験。
ボラボラ島からパペーテに戻り
深夜便待ちでホテルで休憩していた夕の
あの日曜日らしい静かで満ち足りた
ビーチの微笑みたくなるようなやさしい気配。
楽器をつま弾きながら歌う家族、おだやかな波
犬の喘ぎ声、そよぐ風、フランス語と
タヒチの島コトバが交じり合った音韻、
あのとききみが撮ったテープのコピー
しばらくぼくも持っていたけど…
あの相異なる
2つの音のサンクチュアリを再現できたら。
というのが根底にありました。
欲しいのは、ドキュメンタリーとしてのリアルではなく
想像力を無限にひもといてくれ、開放してくれるリアリティ。
最終的にはサブタイトルの扱いになると思うけど
こんどの12本について現時点では
【東経北緯】の位置情報だけを入れたのは
5分経ったら一日過ぎたら一ヶ月後には
目にしている同じ環境は絶対にあり得ない、ということを
時間を外すことで表現したかったから。
二度と体験できない瞬間だから【事実も真実】も無関係。
だから音もまた自由であってほしい。
ここで使う【リアリティ】とは想像上のリアリティです。
記憶の中の奄美の原生林とタヒチの夕暮のビーチは
ぼくのなかでは何の【現実性】も持ちません。
目を閉じると歳月を越えてよみがえってくる
生きていることの不思議と歓びを刺激する【幻の現実】です。
メール、ありがとう。
うれしかったです。
西村にも、よろしくね。
>From: 長岡オフィス
>Date: Wed, 6 Oct 2010 17:48:46 +0900
>To: 益子自宅
>Cc: 武田スタジオ
>Subject: おつかれさまです(ジャケ写あり)
>益子さん、武田さん
>武田さんの言葉
>サラウンド音響の環境は僕らを何処へでも連れて行ってくれる
>「タイムマシン付きどこでもドア」だとおもいます。
>を読んでふと思い出したことがあります。
>益子さん、倉持さんと初めて行ったタヒチロケ
>カメラが壊れ、帰国直前の夕暮れのビーチで
>ふと聞こえてきた現地の人達の歌声
>たまたま持っていたレコーディングウォークマン
>で録音したカセットテープは現在も行方不明、、、
>そして数年前、フランスロケの際、セーヌ河
>沿いに立ち並ぶ古書店で見つけた赤いジャケット
>の一枚のレコード、音を聞いた瞬間、
>あのときのビーチの情景や空気感があざやかに
>よみがえりました
>(サラウンドではなくモノラルでしたが、、、笑)
>余談ですが、西やんはBeatlesのI Am The Walrusを
>聞くと夏休みを思い出すと
>よく言ってたのも思い出しました、、、笑
>長岡
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