離(9)クマのお母さんは、
子クマを親離れさせるとき、
大好物のいちごを夢中になって食べているうちに
いなくなってしまうのだそうだ。
白神山地の工藤さんに聞いた。
「いちごっぱなれ」と言う。
「離」のために、おいしいイチゴが見つかるといいね。
約19時間前 webから仕事は明日に回しカゼ薬のんでぼんやりツイッターのタイムラインを一日分さかのぼっていた。ぼくがフォローしているのは未知の人だけで40人前後。
たまたま読んだツイートが気になったりするとリツィートして自分のメモとして残してる。
きっかけはシャーウッドの企画で国産材の森を調べようとしたこと。できあいのブログだと整理されすぎていてつまらなかったので、林業従事者で検索。で、小さな村で林業再生に取り組む人たちを何人かフォローできたたことだった。効果はあったような。ないような…ただ、ふつうにwebで情報を拾うことにくらべ息づかいが聴こえるようなそういう感じを、強くもった。
それから、なんとなく続けているんだけどフォローしたりフォローされたり自分が何かツィートしたりすると「タイムライン」というカタチで記録が時系列で残っていくことに気づき映像のノンリニア編集のタイムラインとちょっと似ていてでもまったく異なる性質なことにとても新鮮さを感じている。異なるというのは、つながない。再構成しないこと。削除。つまりカットすることは簡単だけどそれは永遠にフェイドアウトし編集のように、もう一度つかうことは不可能。人のツィートが自分のツィートと一緒になっておそろしいほどの無関係さでしかしまちがいなく自らのフォローしたという最初の選択で埋められていく。明快にする必要のない自分自身のアタマの中を勝手に並べられていくようなそんな気分にさせられることも。
この二週間、よくリツィートしたのが脳科学者の茂木健一郎のツィートだった。
冒頭に引いた子別れのエピソードも、また。風景論がたまたま重なっていてそのことがリツィートする理由だったけどちょっとだけ気になっていることもあり。
ここ数日のツィートをながめていると彼は、どこか危うい状態にあるのではないかとても大きなクライシスを抱え込んでいるのではそんなふうに読めてしまうことがなんどかあった。リアルタイムで、直接的に誰にということを気にすることなく吐き捨てていけるという奇妙な仕組みを持っているツィッターが無意識に拾ってしまう心模様…そんなふうに読めなくもない。
なにを言いたいのか、といいますといままでちょっと経験したことのないまことに奇妙かつ蠱惑的なそういうシステムというか世界が目の前に、横たわっている。
最初は気づかなかった。でも、この一週間はこわいくらいに気になっている。
この経験をまだうまく整理できないが未体験なら、はじめることをすすめます。
ぼくは基本的に知人や仕事関係者とやりとりしていないけどそれがもしかしたら奇妙な共感の要因かも。おもしろいと感じる根っこなのかも。
それもまた、不明だけどね。
ものすごく巨大なスクランブル交差点を全方向からいっせいに人が渡りはじめる。その無数の無関係な他人の海に放り出されながら行き交う人々のつぶやきが耳に残されていく。見知らぬ人ではありながらコトバを交わしたことも握手したこともハグしたこともない人たち。
でも、そのつぶやく人たちをどこかで選択したのは無関係で未知であるこのぼく自身。
ふしぎ。
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