2010年10月17日日曜日

弥太郎が国にむかって切った啖呵



仕事を最終的に引き受けることになったのは、
とりあえず預かった膨大な資料を読み込んでいくうちに
あるひとつま言葉と出あったことが大きかった。
自分の中で勝手にふくらませていた三菱の創設者の印象と
その言葉との隔絶ぶりに、もうれつな好奇心が湧いた。
展示演出としては空間の関係で実現しなかったが
【情報ボード】のなかに映像とグラフィックスで
この岩崎の【時代への啖呵】を組み入れた。
港を撮る時に必要以上に思い入れがあったのは
この三行の岩崎の国家に切った啖呵ゆえだと思う。
つなぐということに心意気がからむことがあるとすれば
それもまたもこの三行ゆえのこと。



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「 われを国賊というか。政府が果たしてその方針なら、
           われもまた所有の汽船を残らず遠州灘に集めて焼き払い、
           残りの財産を全部自由党に寄付せん 」
                 岩崎弥太郎 共同運輸との戦いの渦中の発言



●言葉の海
   
人の心をわしづかみできるのは
「言葉」である。
言葉こそが、体験を記憶を確かなものにし、
永遠にとどめようとする。
日本郵船の創始者、岩崎弥太郎が
時代と真っ向から向かい合いながら
発していった言葉の群れは、
日本という国の若さそのもののように
熱く激しいものだった。
日本郵船のそののちの興隆の源は、
岩崎弥太郎の数々の檄のうちにある
と言っても過言ではない。
岩崎弥太郎が
折に触れ発してきた言葉が薄い布地に墨書され、
ゾーン全体に天井から垂れ下がっている。
この布はかすかな風によっていつもそよいでいる。

かすかな風は、
時代の風である。
事実として残された岩崎弥太郎の
言葉だけで構成される
「日本郵船誕生秘話」である。
来館者は、岩崎のこの言葉の海によって
その後の日本郵船の
世界へと向かう意志を刻み込むことになる






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