読んで字の如く、逢魔時は「何やら妖怪、幽霊など怪しいものに出会いそうな時間」、大禍時は「著しく不吉な時間」を表していて、昼間の妖怪が出難い時間から、いよいよ彼らの本領発揮といった時間となることを表すとする。逢魔時の風情を描いたものとして、鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』があり、夕暮れ時に実体化しようとしている魑魅魍魎を表している。
古来から日本にある民間信仰の古神道は縄文神道ともいい、縄文時代にはすでに、死生観から命や神霊の存在が信じられてきた。その世界観において現世(うつしよ)と常世(幽世・隠世)という神域であり死後の世界が、存在すると信じられていた。
空間や時間の様相の特徴的な部分は、神域に繋がる端境と考えられており、自然の山河(神奈備)の山(磐座・磐境)や森(鎮守の森・神籬)や水平線(蜃気楼)や滝(那智の滝)などから地形の峰や坂や谷など、「がらりと風景が変わる場所」が神域へ誘う場所と考えられ、一日の時間もその特徴的な部分を神域との端境と考えていた。
また、『日本書紀』や『万葉集』などの記述には、常世は常夜という2つの様相があり、神の国は永遠で時の無い世界であるとしたが、時が無いことは夜か昼のどちらかになってしまうので、昼の常世と夜の常夜に分けていたと考えられる。常夜は黄泉の国や禍をもたらす、いわゆる地獄のような場所で、荒ぶる神が住まう場所と考えられた。
以上Wikiより引用
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