2010年11月12日金曜日

涙。勝利。錯乱。re born【想】

出がけにツイッターで読んだ
脳科学者茂木健一郎のつぶやき


一緒に泣いた人は、
きっと心の奥深くで
最も深くつながることができるよ。









11.13未明
で、指折り数えた。

風と走る
風のササヤンカ村
もも
ある秋の夏休み
水の惑星/むじなの森
ある秋のクリスマス
southparadise/奄美越え
雪だるま作戦
母と娘のプラネタリウム/未完



しぼりこめば、たぶん指二本。
いい反応をもらいながら、
しかし今夜はひどく、せつない。

おまえはなにをしてきたのだと
どこか、で見知らぬ自分の声がする。

仕事をしてきた時間のなかで
ただひとりだけ
おれのコトバを文字通り正確に理解してくれた
畏友Mr.K。
彼に、ぐちだらけのメールを一通。

古河の仕事で
まともに組んでみたかった。
これだな、というスケールの仕事をさせたかった。
そしてその成功を肴にバカ笑いの夜を過ごしたかった。
仕事と遊びとを、彼となら完全に同調させられたはず。

映像という枠ではじまった世界は
その枠をいつまでもはずしてはくれない。
アタマの中が爆発しそうだ。

100を30で生きていくことが
ラクではなく、これほど疲れることになるとは
ほんとうに知らなかった。

勝ったと書き、行くぞと掛け声をかけながら
力のすべてが消滅していく…そんな夜だ。今夜は。




11.13 13:17
駐車場。街路の淡い明かりが
ほとんど届いていない暗闇。
では、と頭を下げ上げたとき、
まだ彼の体が起きていないことに気づいた。待つ。
数秒のことだったろうが、長かった。
黒い塊が目の前の腰の辺りにあった。
体が起きた。表情はまったく見えない。
離れた。
車を走らせてから
あのときを思いだすな。45度の夜。
とつぶやいたら
直角に見えましたよ、と。
だから、腰の辺りに塊が…
と思ったら、彼が、その瞬間に
あの夜を再現したのだと腑に落ちた。
それも、あの夜よりもさらに深く折って、託した。


あの日、おれはひとつの選択と決意をした。
決意は3年後にカタチを結んだ。
選択は7年後に結果となった。


結んだカタチは7年をかけ育ち
ほぼ盤石と思えるものになりつつある。
もしかしたら彼とおれの約束と役割は
もうあの場所では役目を果たし終えたのでは…
そんなふうに感じることが多くなっていた。


九月の初めにかかってきた唐突とも言える
♪smileについての話しから
すこしずつうねりがはじまり
【歳月篇】という結晶に至った。
あの街でのおれの役割は果たせたな、
これでいいのだと、別れる瞬間まで
いくらか寂しさもある達成感に浸っていた。


しかし
あの暗闇の中の辞儀の再現は
いやさらに深かったそれは
【歳月篇】という映像の完成などではなく
運動体としての【Dfactory】の
新しいディメンションを
再構築していきたい
まだ、【その先】があるはずだ。
もういちど一緒に行かないか
という意思の表明とともに
差し伸べられた手、ということなのだと思う。


そのことが、いまのおれには
重すぎたのかな、と夕べから未明にかけての
自分の意外とも思える弱気と混乱を
たどりなおしながら考えている。




引くか。進むか。
ここが、岐路なのだ。
きっと彼にとっても、おれにとっても。


その互いの岐路で、手を出された。
握り返せなければ、この十年が霧消する。
すくなくとも俺の十年は闇に沈む。




ならば、握ろう。
「夢」ではなく、
おれの「幻」の旗を
胸の底に掲げよう。
その旗の文字は】。






♪夜霧のブルースでいくしかねえな、そう了解。
一晩の錯乱のあげく、たどりつけた
これが、 ましこ的結論。




Japanesqueの端緒を
【終わり=慰藉と再生sunsetseries】で切ったのだ。
Re BORN 平仄もしっかり合っている。


          2010.11.13 昼 T.M
















2010年11月10日水曜日

ひとは、どんな瞬間に家にかえりたくなるのか

2010.11.10湯治ML02427

ところで今日、3Dテスト撮影をしていたものは
2Dとしてもつかえるよな?
いい夕焼けだったね、2日続けて。

撮ってます、とおれに自慢するためだけに
メールと写真をくれたワケではないよね(*⌒O⌒*)

ここまでは、撮影部長岡さんへ
以下は、みなさまへ

みんな、夕日タイム、家路タイムの撮影は
冬はなぁ…と不安がるけど

ほんとうに「ひとが家にかえりたくなる」のは
木枯らしが吹いたり、足もとで落ち葉が風に舞ったり
襟元を合わせ首筋をなぜる北風から身を守ろうとしたり
そういう季節がいちばんなんだよね。
どんな家でどんな時間が待ち受けていようと
ぽつりぽつりと灯りはじめた街明かりや
家々の明かりを目のはしにとらえる数が増えるたびに
「あぁ、家にかえろう」と吹き出しが浮かぶんだと思う。

冬は、日が暮れるのが早い。
街の明かりも家の明かりも
そのぶんだけ早く灯る。
空気は乾き、濁りなく
低いあたたかみのある光線が
さむいこごえる世界をほんのり染める。
だから、冬。

夏なんて
7時をすぎて明かりが灯り出すと
よし、どっかに寄っていこう…
ってなってしまう。
春も秋もまたおなじ。
そぞろ歩きが恋しくなる。

だから、冬。

12月上旬から中旬にかけ
どんな「家路タイム」をゲットできるか。
それが、おれのこの晩秋の最大の課題。

いま、少しでも可能性のある

「家路タイム」を手に入れるために
いっしょうけんめい想像をめぐらせているので
どんなヒントでも欲しいのだ。

思い描いているのは「動詞」的世界。
動詞でくくれる3つ、あるいは4つの
典型的な「家路タイム」。
動詞でくくるということは
老若男女、国籍不問で
思い描ける「家路タイム」であります。

ニッポンで
オーストラリアで
アメリカで
ロシアで
中国で…

誰がいつどこで目にしても
「あ、家にかえろう」
そうぽつんとつぶやきたくなる情景。




2010年11月7日日曜日

夕日関係素材 11.7現在

夕日関係の参考ムービーです。撮影はいずれも倉持さんです。

4.うみ。奄美大島 7月

5.の。若草山 7月

6.まち。京都郊外 7月

7.やま。田沢湖 8月

8.やま。岩手山 8月

9.かわ。多摩川 9月

10.かわ。隅田&荒川 9月

11.かわ。利根川 8月&10月

12.さと。南会津  12月

13.空港 7月

14.郊外 7月

15.土手 9月

16.郊外 7月 郊外 夕焼け▷雷雨

17.灯台 3月

18.海 3月

19.遊水池 6月

20.高原 9月

21.秋の雲 10月

22.水田 6月

23.遊水池の夕月 6月

24.山の夕/青 8月

25.天体観測の夕 8月

26.花火の夕 8月



2010年11月4日木曜日

11.1午後のもうひとつの気配

タイトルをクリック⤴
1日の夜景スタンバイまでの空き時間に撮った「なつかしい川のある風景」と同じ場所で撮ったものと、少し手前の空き地で撮った街の遠景を合わせ、あかりやがくれた♪bird2タイプをずらしてあてた。その日、不安定な大気の状態が、こうした2つの表情を、ほぼ同時に見せたのだと思う。これもまたひとつの【sunset】。これで均衡がとれた?

ゴマカシテイタノカ

あたった。と、思った。われながら凄えな、とも。で一夜。リアクション、ほぼゼロ。あったひとつも俺の想定とは解釈が微妙にずれていた。どうも、はずれているらしい。もういちどwebムービーをチェック。夕べほどの興奮は去ってはいるが、やはり悪くない。しかし反応がない。おれの視点と、周囲の視点にズレが生じはじめているということ。通じなくなってきた、ということ、か。秋の夕日は、つるべ落としというが、あるいは俺は、その落日。13日戦争などと、意味のないもっともらしさをことさらに強調しながら、自分の劣化をゴマカシテイタノカ。賞味期限切れ。この無響は、しかし、こたえた。1時に銀座で、初顔合わせががひとつ。3時に新宿でこのあとの撮影打合せ。初顔合わせに、どんな表情を浮かべていけばいいのか。途方に暮れる。


19:00
出がけに10分あったので禁を犯し美術Oに電話。OK。ホッとし、銀座へ。ビルはあっていたが階数をまちがえ行きつ戻りつしつつ、たどり着いた。初対面だが、そう思えない雰囲気のひとだった。オリエンシートを見せてもらう。クライアントは想像どうりだった。時間さえあれば、たぶんはまっていた、そう思った。Japanesqueのことを話し別れた。気持のいい顔合わせになったと思った。新宿へ。40分ほどあったので缶コーヒーを買ってきてもらいクルマの中で時間を潰した。5分前に23階へ。吹き抜けで、落ちたら一発だなと想像しながら時間調整。と、声をかけられた。一瞬わからなかった。設計部のTさん。ひさしぶりだった。会う度に美しくなってるなと、後ろ姿を見ながら。撮影部Nに電話。恥を忍んで問いただす。OK。これで二人目。時間。向かおうとしたら宣伝部のKさんに声をかけられ案内してもらう。プロデューサーが来ていなかったので座って待っていたらMさん。立ち話。とても褒められる。飼い主と久しぶりに会えた愛犬のような気分。OK。これで3人。3人目は総責任者。タガがゆるんだ。ため息つきながら座り込んでいるところにHさん。うながされ打合せルームへ。23階で会ったの4人ともすべて女性。なんだか秘密の花園に迷い込んだようだと幸運をふり返っていると、どかどかとプロダクションご一行が…
寝起きの40分は、しかし奈落の底だった。考えてみれば、夕べの今朝。あたりまえのいつものことではあるのに、なぜかひさしぶりに焦れた。Oの声音もNの声音も、まっすぐだったので解消したが、なぜあんなにぶれていたのか、ちょっとふしぎ。それにしても顔寄せて「よかったすごく」とささやかれた瞬間は、アタマが真っ白に。外観を見せない、いきなりダイニングから、1カットの異常な長さ、3分30秒で9カットなど、文法破りばかりのまとめ方をしただけに、担当者のこの感想はなによりだった。先のことはともかく、達成したのだと、実感。そのあとの2つの打ちあせもはずむような気分で対応できた。外に出て、湯治部に8日からの第二陣開始をメーリング。こんどは13日ではなく正味2ヶ月の長丁場。同時にJapanesque/サンセットシリーズの具体化と「うつくまし相聞」が重なる。さらに年末から夢テアトルがオーバーラップ。寝起きは、どうしてもOKの連発を聴きたかった、そのわけがたぶん今後の展開に。メーリングを出して7分後にNから「撮影部スタンバイ」と返信。これが、奈落からはい上がった午後から夕方にかけての顛末。




銀座は、【可能性】と【可塑性】。
新宿の2つの打合せは【深化と拡大】そのもの。
それともう1つ。これは余談ではあるが、A経由でバレていた(苦笑)。
苦笑と書いておくしかない。戻って内容を確認。これは、まずいだろうと思ったが
文字通りの後の祭り。なかばは仕事を突破していくために書いたはず。
俺には、ギャラのほかに【理由】が、要るのだ。
いや、【理由】を見つけられると、先に向かう力が湧く、か。
それが、そのまま理由だった。はず。
ふたたび読み返す。
これは、弁明しようもねえなぁ。
とも。


ま、書いてある通りだった。
行間も字間もない。あきれるほど、そのまま。


仕事のバネに転化するしか、ない(苦笑)。
赤面。が正しいが。







2010年11月3日水曜日

ひとは、家にかえってゆく。

ショートムービーをつなぎながら、涙があふれとまらなくなった。やべえなぁと思いながら手嶌蒼の♪家族の風景を仮あて。さらに、あふれる。「ひとは、家にかえってゆく。」七年間、日英中三カ国語versionのラストをしめた一倉さんの一行。よほど入れようかなと迷いつつ、さすがにOK出しだった、とやめた。ひとの数だけ、人生がある。うれしい人生もかなしい人生もくやしい人生もゆめのような人生も、どれもあなたの、あなただけの人生なのだ、と、耳元でささやいて肩をそっと叩いてやれたら…そんな一本をつくりてえなぁ、と夢想していた。古河の四季篇は、そのひとつの答えだと思っている。が、答えは多彩。ひとの数だけ、異なっている。そんなあたりまえのことに、今夜あらためて気づかされた。だから、おもしろいんだろうな。仕事も人生も。YouTubeにupするのに1時間あまりの表示。20分でつないだものがレンダリングで1時間。webへのupに1時間。なんか間尺に合わせない気もしますが、おかげでティッシュ一箱、空にしただけで終わりそう。さてみなさんが、おれのような反応をするのかどうか。どうでもいいけど、すこし気になる。公開マスターベーションしちゃっているような思いもいくらかはあるので…ま、いいじゃねえか、とも。


22;00
メーリングの終わりにコピー。公開マスターベーションは削除。さすがにクライアントも読むわけだからと自粛。時間が経つと、興奮が覚めていく。それが悩みのタネ。さまさず、さめさせず。その塩梅が、な。13日戦争と書き、閉じるとも書いたが、実際の曲折は、ここからはじまる。グラヴィス、静岡、三田もだが、なんといっても企業PR。一倉さんとのガチンコ。今日の一宮shortは、その予行を兼ねた。昨日の川の風景を明るいトーンでまとめたのもそのため。5日の梅田次第で本腰となるか流すことになるのか判明。ま、スタンバイOKとしたい。現状、何でも来いの心境に。13日はダテじゃない、と言い聞かせておきたい。怠惰なおれに。では、揚令伝最終巻とハワイコナとタバコを手に風呂に入る。長岡推薦のクナイプ。今夜はワコルダー。長湯用iPodは♪別れのブルースをエンドレスで。

山家流【無呼吸移動】

素材のOKだしが終わり、レンダリング中。「七人の小人スタイル」と現場の思いつきで笑ったけど、じっくりチェックしてみても正直、どこで誰が何をどうしたのか見当もつかない。ベースで見ていてNGの瞬間に床にはいつくばったスタッフがちらっと見えたから想像できたようなものの…特機もさることながらカメラマン自身も相当めんどうなことをしている気配がカメラマイクを通して伝わってくる。ムービーでしかできないカット。というしかないな。トリッキーさではなく、ね。余分をギリまでフレーム単位で切ってみたけど、それでも60秒を2秒こえていた。4段階のクランク、そのあいだフレームレベルのぶれもなし。その場の工夫にしてはというより、事前に時間をかけてリハを重ねたところで出たとこ勝負だろう。それにしても6月の古河まビー・サイエで【無呼吸移動】と名づけた超スロー移動を山家さんにお願いし成功してから、徹底して【スローリビング】用に使ったけど、あたりだった。山家さんがスキューバダイビングの達人という情報がなければ頼めなかったけど。ひと足おさきにと暮れなずむ一宮で別れ、東海道を戻って今日は仙台の現場に行っているはず。おれはあの人に雪崩事故の時、助けられたのだ。それなのに「呼吸しないでガンバレ」なんて無謀な注文をつけて、すこし反省。

七人のこびと作戦成功の夜に

品川でスタッフと別れ、改札の手前で志賀さん達とも別れた。どこかに座って休みたかった。泣きを入れるが、疲労困ぱい。くたくただった。ベンチを探した。ない。休むためには、新幹線の構内に戻り、あの無味乾燥をカタチにしたような待合室を目ざすしかない。で、あきらめコーヒーショップに。JRは、いつのまにかあちこちからベンチを取っ払い、人間をなめ切ったようなどこにいっても金太郎飴のごとき駅の光景をつくってしまった。新幹線の座席はしんじられないほど窮屈だし、3人掛けの真ん中など冗談としか思えない。ため息を百くらいつきながらくそまずいコーヒーを飲んだ。タバコを3本。奄美の暴風雨と台風14号並走と10℃を切った真冬日と昨日未明の東京大雷鳴と竜巻と突風被害…21日から今日2日までの13日をふり返った。金沢、博多、尾張一宮。いずれも一睡もできずもんんとしながら本番を迎え、乗り切った。家に戻り、熱いシャワー。気温は低いようだったけど、身体の芯に熱いものが居座って離れず。さましているところに渡辺から電話。素材を持ってくるという。明日にしようと言いかけ、コトバをのみ込んだ。長岡から渡された撮影データをのぞみの最前列で電源を取り名古屋からずっと変換しつづけていた。品川に着いた時に保存が終わらず、降りずに東京駅に。その渡辺が届けますからというのだから、いいよとはさすがに言えず。おれもまた、ちょっとでも確かめたい気持が。で、昨日1日のスタンバイ中に撮った「まち」の一部を2分あまりにまとめる。金色のすすきのカットをmotion/pictureとして1シーンでいこうと思ったが、ふと気が変わった。足もとに咲いていたオレンジの名も知らぬ小さな花と淡い紫の花、昭和の風景のような1カットを追加し、雲を添えた。川音だけでいってみようと思ったが、手嶌の「家族風景」をあててみたくなった。iTunesからあてる。後半を1分カット。おだやかでなつかしくてなつかしくなるような「金色の時間」が見えた。どこにでもありそうなあらためて見つめることもないような変哲もないまちのかわりばえのしない川の姿と古びた街の光景。きのう、なぜ、ぼくたちがあの光景に魅かれ、むさぼるように収めていったのか、自分の胸の底にある何と共鳴しあったのか、わかったように、思えた。仕事の成果は、明日にまわしたい。これからとろけるような夢も見ない眠りをむさぼり、カラダの痛みが消えていたら、魂を込めて今日の成果を切り出したい。だから、やすらかな眠りのために、今夜は「川のある風景」だれもが目を閉じると思い浮べるような、なつかしくちよっとせつなく美しいショートムービーを、まず13日を戦えたおれ自身にささげてやりたい。それからたぶんこの時間には家にたどり着いたはずのクルマチームに、さらに尾張一宮で後始末のために居残った美しく食欲旺盛なひとりの女性と数人の森の小人たちのような美術チームにささげたい。26人のすべてがそれぞれの場所でやすらかで満ち足りた眠りにつかれることを祈りつつ。愛こそ、すべてだ。

2010.11.2夜 T.M拝


※11.311時追記
OKだしをしながら「七人の小人作戦」という名のきかっけのカットを繰り返しチェック。
うまくいかないだろうという前提というのもおかしいけど
もし、すべてがうまくいけばと、という申し合わせで試みたシーンだった。
床に何人のスタッフがはいつくばってたのか不明だが
なんど再生しても仕込みの気配はゼロ。
動感と期待感にあふれた素晴らしい移動シーンになっていた。

七人の根拠は、こうだ。
カメラマン、撮影助手、特機二人、床這い二人、制作。
この七人の呼吸がちょっとでもズレていたらNGだった。
約60秒の無呼吸移動。おみそれしました。

知るかぎり、4人が目撃した紅蓮。

その真っ赤な火の玉のような夕日に気づいたのは抜けにわずかに見えている空の青が消えるまえに撮ろうとスタッフがしゃかりきになっている時だった。テラスの端でふと目を上げたら屋根の間に沈む火の玉の上1/3が。スタッフに言ったら集中がもたなまなると思い、近くにいたクライアントを呼び、教えた。彼女もまた目を丸くしてコトバを失っていた。火の玉は、あっというまに沈んでいった。あんな赤を見た記憶がない。鮮烈だった。名古屋で飯を食いながらその話をしたら、倉持さんが気づいていた。倉持さんに教えられ渡辺も知っていた。その夕日を撮った携帯写真を見せてくれた。こんな色じゃない。まったく違うとつぶやくと、倉持さんが、光が強すぎて色が出ないのだ、と教えてくれた。知るかぎり現場で4人が目撃したことになる。台風13号が崩れ前線と衝突した奄美災害からはじまり台風14号ときわどいすれ違い、竜巻突風の大被害と、金沢/福岡/一宮のピンポイントロケは、異常な気象の隙間を縫うようにして過ぎた。ニッポンの四季の終わりの始まりとなるだろう2010年という年らしい秋の3連戦。なんとかすべて、突破した。そのラストを飾るのに、ふさわしい、紅蓮。くたくたに疲れはしたけど、ま、ふさわしい。いつか撮ってみたい、赤。

2010年11月2日火曜日

一宮の空と雲のこと 10.11.1

一宮にて。
浜松を通過したあたりからも青空。
現地に着いたのは2時過ぎ。
スチールが佳境だったので
下見をした後、近くの空き地へ。


雲が、夏と秋と冬。同居。


この一ヶ月、サンセットに取り組んで学んだ
「街」を入れ込む、をさっそく試す。
不細工な電線も、パッとしない家並も
変哲もない用水も、すべてが人の営みなのだ。


で、空に挑む。
見たこともない、と書いてしまえば
身も蓋もない。
でも、見たことのない、そういう空の景色だった。


空がというより
倉持正美というひとりのキャメラマンを通して
切り取られた「空の風景」が、
背筋が寒くなるほどの
叫び出したくなるくらいの
言葉にしがたい、透明さに満ちていた。


ぼくの仕事は
彼の耳に聴こえるようにため息を吐き
ときおり、いいなぁ、とうなってみせること。


空き地から歩いて数分の小さな川べりに。
そこでもまた、時間と場所を忘れ去るような
こころの箍をはずされてしまったような
じぶんの胸の中にしまいこんでいた
原風景のような「まち」の風景が。


足下に咲いていた小指の先ほどの
小さなちいさな赤い花を
うずくまるようにしてとらえた。
秋の終わりの風に揺れる名も知れぬ花が
昨日、ひさしぶりに観た緋牡丹博徒の
凛冽なせつない美しさをよみがえらせた。


一時間あまり、散歩のおりに
ふいと切り取ったようなどこにでもあるような場所で
だれも見たことのない しかし
だれのこころにもひめられているような
うつくしく鮮烈な秋の夕を、撮った。


現場に戻り、夕景の準備にかかった時
立ち上がれないほど疲れていることに気づいた。
おれもまた、彼とともに戦っていたのだと
ふと、思った。


撮影;倉持正美
CA;矢野まい
VE;長岡茂樹


立ち会い
渡辺、鈴木、宮島、益子















2010年11月1日月曜日

♪奄美越え関係者へ

おきさんは無事。
仕事に復帰したようだ。
取材に出たことをさつきwebで確認しました。
これからが正念場だとは思うが
まずは安心してください。

おれはこれから天城越えを3回リピートしてから
明日の一宮ロケに備え、早寝するつもり。

なお、天気予報をチェックしたら
明日現地入り予定時間の14:00以後晴れマーク。
明後日は終日晴れマーク。
金沢、福岡ときた連勝は、そのまま継続できそう。
ま、負けたら終わり、というのがフリーの辛いところだが、
おれは負けない。ねじ曲げてでも勝ちにしちゃうからね。

何人かは、明日の新幹線かダイレクトに現地で会えるね。
サンセット12タイトル終わったし奄美のオキさんも無事だったし
うまい飯でも食いましょう。

では、一宮で。再見。

2010年10月31日日曜日

冬の嵐が過ぎた。三十一日目、12タイトル目を決めた。





10月1日にvol1として
京都郊外の住宅街の「夕焼け」を
【まち。】の名ではじめた
12本バトルも紆余曲折を経て、
31日、10月の終わりには
「吹雪の日暮れ」を【さと。】として閉じる。
数えれば、三十一日。みそひと。
最後の一本を【相聞】とした理由?




街と里の黄昏どきのあいだに
【やま。】【うみ。】【かわ。】【の。】を配し、Japanesque_sunsetseries basicversion12title、
荒編集、これにて完成。




では、各方面に売り込みにかかる(*⌒O⌒*)
たのむぜ、みなさま。
記憶に留める仕事の機会を
お見逃しなく。
刮目して、おれの訪いを待つように。


        2010.10.31 16:16  
                                  真冬の台風が去りしのち T.M





2010年10月30日土曜日

楊令伝 15 天穹の章を頼んでしまった(T_T)

北方の水滸伝続篇「楊令伝 」の最終巻vol15が出ているのは
知っていたけど、ためらっていた。「sunset慰藉と再生」をテーマにしたのも
どこかで重なるものがあったのだと思う。
北方が、ほんとうのところどんな決着をつけるのか未読で悶々としても
ま、しかたないけど。テーマがテーマだけにせつない。
水滸伝19巻。揚令伝15巻。北方水滸伝正続34巻。
司馬のケレンをはるかに越えたと、おれは思う。
幕末も明治もどうでもいい
まだ流れている血が乾いていない現在こそ。
北方的、全共闘の総括の書。
それが水滸伝という幻影を得ることで
誰も書かなかった、いや書けなかった【あの時代とその後】を構築。
こころして、ページを開きたい。

閑話休題。ちょっと混乱していることを自覚

どうも“sunset”に取り組んでからジェットコースター状態が続いていて
もともと秋は好戦的になる傾向があったから、そんなものかと思っていたけど
ここ数日は、やたらとジャンヌ・ダルクを夢想。

ジャンヌが現れ、旗をふって
「フォローミー」とふり返る。
で、俺は、先駆ける。
気がつくと倒れていて青空だけが見えている。
と、ジャンヌの顔がフレームイン。
その目に浮かんだ涙に、息絶えていく自分の姿が映っている。
あっ、悪くねえな、と深い満足とともに溶暗。
流れている歌はロドリーゴのアランフエス協奏曲 。
歌い手は伊藤公子。つまり♪Follow me。

こんなイメージを思い浮べては、ため息をついている。
おれは、先祖に里見八犬伝の犬の血がまじっていて
こころの底の方で
凛々しい女に命じられたがっているのだろうか(苦笑)

男の終わりかたとしては、悪くないように思えて仕方がない。
十年前にも、同じ状態に襲われた夏があった。
戸籍に「むじな森」と江戸の頃から名づけられている
ほんとうに夜な夜なたぬきが出てきて月をみながら
踊り出すような、深い闇を抱え込んだ森でのできごとだった。

伊藤公子のフォローミーを知ったのは
スバルのモーターショーのコンセプトカー用ムービーで
あの、阿部さんが担当した映像に重ねて流されていたのがきっかけ。
映像はつまらなかったが、阿部さんの身を切るような想いが
ひしひしと伝わってきていたことを覚えている。

ま、秋のたわごと。
ピンポイント爆撃みたいなロケが連続しているので
神経がかなり過剰になっていて
その反動で無意識に鎮めようとする力が働いている?

と、したい。

2010年10月28日木曜日

冬を入れたくなってきた

いきなり真冬になったので、また、迷う。
吹雪の会津を、黄昏の一本としてもいいのでは?と。
曲り家の吹雪とぽつんとついた電灯、寂しいけど
だからこそぽっと灯がともる暖かさも…

28日未明
このところ奄美のことを考えていたからかな

2010年10月26日火曜日

12番目を“家路”に変える。

 
26日am5;43 これに変える。
千年相聞パイロット版第19夜
これでsunsetseriesを完成とする。


こころのはてにきづいた夜に
おのれの負けを記しておきたくなった。













2010年10月25日月曜日

southparadise異聞 “ 15 日ウォーズ佳境へ。 ”


件名: [japanesque:00240] 15 日ウォーズ佳境へ。
送信日時: 2005年 7月 16日 土曜日 2:10 AM
差出人: Toru Mashiko 
宛先:東京星菫派 ほか

すまんが、ひと足お先に奄美を越えた。

新月の撮入から12日目の
7月15日午後11時上弦の月、映像完成。
ツメの甘さがたたって最後はジタバタしましたが
あらためて通してみて、
われわれが現時点で成しうる、
ほぼ最良の仕事となったことを確認できた。
ここまでの仕上げ関係者に、
そのことをまず伝えたい。

さらに、寸暇を惜しんでスタジオを訪れ
激励、あるいは自らの達した世界を
確かめられた人たちに
まとめてお礼を申し上げたい。
みなさんが期待された通りの
素晴らしいdigital_Japanesqueが、
今夜片肌を脱いだところです。

音楽の井口さん
最後に長岡や古川と
大ボリュームで試写してみました。
悔しいが正直に言うぞ。泣きそうになったよ。
これは、おれだけではないと思うけどね…
大ボリュームで2回、試写した。
昨夜から今朝にかけてのおれの混乱と不安は
たぶん、これで解消できるのだと思えた。
例によってのスロースタートぶりに
怒って見せはしたものの
とりあえず脱帽しておきます。
永い付き合いも伊達じゃねえよな、さすがに。

録音の古川さん、ミキサーの浜田さん
一歩も引くな、と言いましたが
この仕事は、すでにパーフェクトな勝ちが見えた。
ひとりひとりのsouth paradiseを
追求してくれればいい。

テイストについて断っておきたい。
あの下品きわまる六本木ヒルズの影も無く
俳優座は劇場も映画館も灯がきらめいていて
WAVEがありシネ・ヴィバンがあり
青山ブックセンターがまだまともな本屋で
ときどき“れいの”あたりで打合せをしていた時代…
とはいえわずか数年前のことだけど。
あの頃の六本木のノリでいきましょう。

では17日には同じ六本木で
積水ハウスの編集をしますが
はやく終わると思うので顔を出すつもりです。
まず、圧倒するステレオを。
余力があったら5.1としましょう。
目を閉じたら、
あの杜でクルマを降りた時の圧倒する濃密な
音のシャワー体験が鮮やかによみがえること。
湖のようにおだやかな波音と
東シナ海ならではの荒ぶる波音の
差を明らかにすること。
生命樹・600年のいのちを持つ
ガジュマルに息吹を与えること。
以上がハードルです。

では、18日の大団円に向かってダッシュを!
おれは、くそして寝ます。

解熱。7.31夜

2005 07/31 19:25
熱がゆっくりと引いていくのが目に見えるように感じた。15分前。つまらないニュースをあくび半分で見ながらJVC塩原ロケの帰りにSAで買ったカレーの最後の一ヶを食べている瞬間。ああ、冷めていく…と感じた。自覚した。アタマのてっぺんから両手足のつま先にかけ、少しずつすこしずつ熱が冷めていくところが生理として知覚できたのだ。もしかしたらその30秒くらい前に流れたナイキの60"CMと関係があったのかもしれない。もういいな、ここまでだな、という感覚。目が覚めていく感じに似ていた。

   [ぼくらはぼくらに 
   または少女に
   それを視せて 
   とほくまでゆくんだと
   告げるのである
   とほくまでゆくんだ 
   ぼくらの好きな人々よ]
       吉本隆明「涙が涸れる」

たぶん、そういうことなのだ。熱がなぜ熱となって荒れ狂ったのか、そのことを知るよしもないし知りたいとも思わない。この7月は、ふしぎともいえるホットな時間となったという事実だけが、いまは残っている。書いたこと、伝えたこと、撮ったこと、つないだこと…そのどこまでに真実があったのか、あるいは無かったのか。それももうどうでもいいのだと思う。掛け声だけの薄味の夏としたくなくて、きっと足掻いていたのだろう。その幻を高め維持しつづけるために、無意識のうちにまきこんでしまった人に、あるいは人たちに詫びるコトバも見当たらない。狂夏としたかったのだ、と今夜のおれは自覚したが、ついさっきまで、その狂夏のまっただ中でのたうつ自分もあったのだ。なかったのではない。それは確かに存在していたよ。誇張も嘘もなく、書き連ねた、あるいは吐き落としたコトバひとつひとつは、その折々の真実。すくなくともおれはそう認識していた。でも、熱なら、いつか冷める。冷めてしまえば、うなされていた時間が嘘のように、おだやかな世界が開けている。
すまなかった。

2010年10月24日日曜日

♪Besame Muchoと♪天城越え

オキさん少なくとも日常の仕事はできているようだ。webは日々、更新されている。ただし書き込みに対するコメントの余裕はなさそうだ。元栄からメールで沖永良部島に本家があります、と。どこかで誰かが濃淡は異なっていても、つながっている。オキと会ったあの3日間のことを、朝から降り続いている氷雨のせいか、思った。七月の五日に上陸し、六日、七日と撮った。奄美大島空港でチェックイン待ちの時に、その日が七夕だと知った。キャストを誘い、イベントの短冊を書いた。おれは「あまみごえ」と。そしてロビーの笹竹にぶら下げた。北海道美瑛に決めていたロケを奄美に南転して10日あまり。夢のような収録素材を手に帰京し、さらに10日間の切ないような日々のこと。古いメール、webノートなどをたぐりつつ記憶が徐々にあざやかに復元していった。気づいたら3時間が過ぎていた。一部をコピーし、東京星菫派ブログに。southparadise異聞とした。この3時間の同伴者、いや同伴音楽は、あかりやさんがくれた“ベサメムーチョcollection”と“天城越え”。計20曲をリピートしたした回数はiTunesによれば182回。耳の底にベサメムーチョと天城越えが刻み込まれた気がする。体調が最悪の日曜日となったが、気がついたら少しラクになっていた。

その前の年の暮れ。SHチームの忘年会で、撮影部の忘年会から脱け出してきた古川が、ぐでんぐでんになって地の底からの絶叫のように発した♪天城越え。好きな女の歌いがい酔っ払いのカラオケなど聴く耳持たなかったけど、あの瞬間は背筋が凍った。ひとは思いがけない才能を秘めているものだ、と。古川は、録音する側ではなくされる方になるべきだと耳元で大声でどなったが、酔っぱらった古川は「ぼかぁ益子さんの仕事が大好きなんすよぉ」と繰り返すばかり。奄美の打ち上げの夜、歌わせようと仕向けたが、へらへらしているばかりで相手してくれなかったこと、いま思い出した。奄美越えから“奈落越え”へと続いた、あの暑い夏の記憶だ。 

southparadise異聞 “ユリイカとパンドラ”

2005 07/14 01:30
ユリイカとパンドラ
送信:2005年 7月 14日 木曜日 1:18 AM

表参道で8時から9時まで
Fさんに温暖化防止案の説明をし
タクシーに乗って川田さんに電話したら
PDP2台と液晶1台をセッティング中だから
見に来ないかと言われ、新橋のヴェルトへ回る。
安井さんとは去年の花鳥風月以来一年ぶり。
編集室に入ると40インチを超える
ディスプレイが3台横並び。壮観である。
異常な光景である。分配がうまくいかず
10時過ぎになんとか2台がOKに。
残りは明日の解決にまわし、映像を出してもらった。
HD900のテスト撮影をした
2001年8月5日舘岩村湯の花温泉で撮った
あの秘蔵の超月光シーンをはじめて
HDSR経由のPDPで見た。

ユリイカ!である。

あの稜線から出た満月は
光量が強すぎるので光の玉に見えるのだと
Hdarchive中にも思っていたのに、
月の陰影があったんだよ。

ただしこれは第6世代purevisionのみ。
パナソニックはまったく凡庸。
あの超満月は4年間、
光の強さだけに驚いていたけど
HD900は、その綾の部分を描出できていた。

そのことを今夜のテストランで知った。
マスモニターでチェックしていく事に
どんな意味があるのか
これは早急に解決すべき課題かも知れないね。
だってマスモニターで見えるのは
強い光の玉だけだったから。
今夜は奄美素材を封印し、archiveでテスト。

パンドラの箱は、明日と明後日だけ開かれます。
HDで撮ったものをHDSRで編集し
HD対応の最新PDPで見るのは
明日と明後日だけしかチャンスがありません。
スタジオは狭いですが、時間のあるスタッフは
ぜひ見ておく事をすすめます。


*********************************************************

「ないちゃだめ」
パンドラがとほうにくれていると、
小さな声がしました。
「だいじょうぶよ、わたしがついているから」
声は箱の中からきこえます。
「あなたはだあれ?」
パンドラはおそるおそるたずねました。
「わたしは『きぼう』です。
人間が『わざわいに』まけないよう、
おてつだいをします。
くるしいとき、かなしいとき、こまったときは、
どうかわたしをよんでください。
わたしはいつも、あなたたちの心の中にいます」
パンドラは「きぼう」のおかげでげんきをとりもどし、
またエピメテウスとなかよくくらしはじめました。
「きぼう」はパンドラだけのものではありません。
わたしたちが、くるしいとき、
かなしいとき、こまったときに、
くじけず、あきらめずにいきていけるのは、
心の中の「きぼう」が、なぐさめ、
はげましてくれるからなのです。
ほら、ごらんなさい。
雪がふり、風がふきつける、寒い冬。
でも、春はもうそこまできているのです。
歌野晶午「世界の終わり、あるいは始まり」


southparadise異聞♪モドレナクテモモウイイノォ


2005 07/28 03:32

ひるまスタジオでとりこんだ天城越えをさっきからずっとリピートしている。まともに聴いたのは、じつは今夜がはじめてのことだが、こりゃ名曲だな。なんか昔の出来の良かった頃の仁侠映画を観ているようで、思わず涙がにじむ。そして奇妙な勇気というかやる気が出てくる感じもあり。フレーズとメロがまことによく調和しているので正しい簡潔な日本語を聴かされているようで思わず居住まいを正したくなる。モノを知らないということは不幸なことも多いが、思いがけない歓びもまたあり。己の無知も時に活きる。あの奄美の熱と湿気のなかで天城越えをもじって奄美越えと名づけたのは、単にハードな仕事をクリアしたいという程度だった。はず。だがさっきから30回くらい聴き続けていると、また異なる風景が現れてもくるのだ。♪モドレナクテモモウイイノォクラクラモエルチヲハッテェなんかすげえ歌があったのだな、とあらためて。男と女のことはともかく、戻れなくてももういいの、と今夜のおれはそういう心境ではある。まいったな。奄美ならぬ天城越え。今日は、はまった。アナタトォコエタァイィアマギィゴォエェである。もう知らんぞ。



southparadise異聞05.07.19 01:38

2005 07/19 01:38

まさかあんな音楽を用意してくるとは。
最初の数十秒を聴かされた瞬間に、決めた。
感じていた欠落を補って余りある旋律だった。
6回見て、6回泣いた。
ハマルという言い方があるが文字通りはまった。
ショックですらあった。
これが自分の可能性なのかどうか。不明。
こんどの奄美行はいろいろな意味で
運と人に恵まれたのだ。それにしても…

southparadise異聞05.07.18 04:47

2005 07/18 04:47

いつまで引きずっていてもキリがないので
“奄美越え=south paradise”は
明日の完成を前に終了とする。
それにしてもサスティナブルまだ終わらず。
ほとんど持続不可能な段階に達しつつある。
MAに向かう気力が残るかどうか、
それすら心配になってきた。
ココロよりカラダが持たない。
泥沼というかシジフォスというか、
航路決めずの船出は、
やはりムリがあり過ぎるのだ。
イヤだな、という生理が鎮められそうにない。
旗かかげる気力すら皆無となった。
エムプティ。お手上げ。うんざり。
あれもこれも放り出しちまうかなあ。
啖呵切っちまおうかなあ。
拍手も喝采もどうでもいい。あきた。

southparadise異聞05.07.17


2005 07/17 23:57

おもに、浜田さん、古川さん、しんちゃんへ

いまコトブキのK3スタジオから
第2ビデオセンターに戻ったところ。

ステレオ仕上げとしての行方は見えたね。
明日は、文字通りの「奄美越え」。
奄美の音素材を配置しながら
奄美でもどこでもない根源としての
southに近づけばOK。
どこでもないpureな場所へ。

きみたちが奮闘している間に
ぼくは別件のCG編集をしていて、
まだまだ終わりそうもないのですが
今日の時間を共にしたいと
山岡に見つからないように
「奄美越えver.3」を2本つくっておいた。
先に家にたどり着いてたら
ビールでも片手に眺めてね。
「奄美越えver.3」aタイプ男と女篇
「奄美越えver.3」bタイプ19の春篇
個人的にはbタイプ19の春篇が好きだけどな。

では明日、K3で。
ともに喝采を浴びましょう。

ましこ@六本木地下


喜界島そして奄美。south paradise前夜のこと。



北から南へ舵を切ると決めたとき
P社の地下のレストランに
長岡と山岡と古川がいた。
上の会議室では紛糾をどう収拾するか
クライアントと汐留とプロダクションが
バトル中。いや、おれを外す算段中と
腹を決めた上で美瑛のロケハンから羽田に戻った
渡辺がかけつけてくるのを待っていた。
降りると言明した上で
もし続けるように申し入れがあった場合を
4人で想定しながら腹に食い物をいれていた。
そのとき古川がぽつんと呟いた。

「きかいじま」
「なに?」
「奄美なんです」
「あまみって、あの奄美か?」
「そこのはしっこで
きかいじま。
喜ぶ、世界の界。
いままでロケで行った中で
この世のはてみたいに
きれいなところでした」
「この世の涯か。
喜ぶ世界の島で
きかいじま、か。
よっし南転しよう」
「えっ、いいんですか?
おれの感じだけで」
「この世の涯なんだろう?
       それ以上、何がある。
北進転じて南へ。
こっちから申し出よう」

そこに渡辺が北海道から直行してきた。

「なべ。いろいろあったけど
美瑛は捨てる。奄美だ。
南に舵切るぞ。
南だ。南。
すぐに調べろ」

目が点になりながら
「はい」と返し、「で?」と聞いた。
長岡も古川も、すでに気持は南に向いている
そんな顔でうまそうにコーヒーを飲んでいた。
山岡は、当たり前のように微笑んでいた。

降りてきたプロデューサー二人に
その旨を伝えると、死んでいた目に
さっと炎が走った。
勝てる展開をつかんだときのプロデューサーは
まことにしたたかで強い。

ことは一気に進み
十日後には、奄美の海辺にいた。
そのそばで西郷さんのようなオキさんが
永遠に続くような微笑みを浮かべていた。
泣きたくなるような静かで美しい浜だった。

これが“south paradise”と名づけたムービーの
southの根拠である。

    B・ベントンの“雨の夜のジョージア”を聴きながら
2010.10.24 雨の夜に T.M

きっかけ

たぶん【夕日】をつなぎ出したことが、遠因だったのだと思う。
12日の夜にこんなことを書いていた。



で、おれははこう思う…
正確には、おれが好む詠み人知らずの

せつない歌の世界では、だけんど。




一期は夢よ


遊びなされやただ狂へ
 







この後の二日間で
東京夕景と横浜夕景をつないでいる。
過剰さが濃くなっていた。

勢いのあまり
こんなぶれに迷い込んだのか。

ありえない。

実在って何だ。
実在していないとはなんだ。







落花。10.21.17:30 金沢






10.21十四夜 金沢。雲に隠れて見えず。夜半に雨。
10.22十五夜 金沢。撮影が終わり撤収中に瓦屋根の上に春の宵のおぼろ月のようにぼんやりと黄色い月が。風はあたたかくなまめかしいような、匂い立つような妖しさに満ちていた。東京に戻って見上げたら南天に高だかと浮かんでいた。
10.23十六夜 OK出しが終わり眺めた。蒼空にねずみ色の羊のような雲。その雲の間からさえざえと輝く月。余韻の観月の風情は皆無。激しい嵐を予感させるような猛々しいまでの月光だった。雲の流れもまたすごい速さで、口あけてしばらく見とれた。数時間後、webにアップロードし、外へ。十六夜月と星がいくつか。月光の下の星月夜。この月を誰が眺めているのだろうか。そう思うと、やるせなくなった。

なお、“水盤”に紅い花びらを浮かべたことに深い意味はなし。水があって、すぐ近くに椿の樹が揺れていたから。落花流水とは、流れる水あってのことである。水盤の水は流れず。あふれていくのみ。




“落花流水”web辞書より
落ちた花が水に従って流れる意で、ゆく春の景色。転じて、物事の衰えゆくことのたとえ。時がむなしく過ぎ去るたとえ。別離のたとえ。また、男女の気持ちが互いに通じ合い、相思相愛の状態にあること。散る花は流水に乗って流れ去りたいと思い、流れ去る水は落花を乗せて流れたいと思う心情を、それぞれ男と女に移し変えて生まれた語。転じて、水の流れに身をまかせたい落花を男に、落花を浮かべたい水の流れを女になぞらえて、男に女を思う情があれば、女もその男を慕う情が生ずるということ。